今昔物語その四

今は昔、讃岐の国に、本名は不明であるが源太夫(げんたいふ)と呼ばれる猛々しい男がいた。因果を知らず三宝(さんぼう)を信じず、人の首を切ったり手足を折ったりせぬ日の方が少ない、という極悪非道の人間であり、日夜、朝暮に、山野に行っては鹿や鳥を狩り、海や川に行っては魚を取る、といった殺生をなりわいにしていた。

そのうえ法師と名のつく者をことさらに嫌い、そばに近づくこともなかった。そのような男だったので、みんなから嫌われ恐れられていた。ある日この男が家来を四、五人引きつれ、鹿などを多く獲って山から下りてきたとき、たくさんの人がお堂に集まっているのを見た。源太夫が家来にきいた。

「これは何をする所ぞ」

「これはお堂です。今ここで講が行われているようです。講というのは仏さまやお経を供養する貴い法要のことです」

「そういうことをする人間がいると聞いたことはあるが、間近で見たことはない。どんなことを言っているのか、さっそく行って聞いてみよう。汝らはしばらくここで待っておれ」

そう言って源太夫は馬から下りた。郎党どもも馬から下りながら、「一体どうなることか。講師はどんな目に遭わされるやら。気の毒なことだ」などとささやき合っているうちに、源太夫はずかずかとお堂の中へ入って行った。

お堂の中に集まっていた人々は、突然こんな悪人が入って来たものだから、「何をしでかす積もりだ」と恐れ騒ぎ、中には逃げだす人もいた。源太夫が入っていくと、並み居る人々は風になびく草のように道をあける。源太夫は高座のかたわらに坐ると、講師をにらみつけて言った。

「講師は何を話していたのだ。わしの心が現になるほどと納得できることを話して聞かせてみろ。それでなければただではおかぬぞ」と、前に差した刀をひねくり回した。そのため講師の僧は「これはえらい災難だ」と恐れ、何を説法していたかも忘れてしまい、高座から引きづり落とされはしないかと心配したが、もともと智恵のある僧だったので、「仏さま、お助け下さい」と念じながら教えを説いた。

「ここより西へ多くの世界を過ぎた所に、阿弥陀仏と申す仏さまがおられる。その仏さまは心が広く、長年罪を作りつづけてきた人であっても、後悔してただひとたび南無阿弥陀仏と唱えれば、必ずその国に迎えてくださる。するとその人は楽しくめでたきお浄土に生まれ変わり、すべての願い事がかない、ついには仏になることができるのです」

それを聞いた源太夫が言った。

「その仏は人々を哀れみたまうからには、わしを憎むこともないであろうな」

「その通りです」

「ならばわしがその仏の名をお呼びすれば、答えて下さるだろうか」

「真心をこめてお呼びすれば、答えて下さらぬはずがありません」

「その仏はいかなる人をよしと言われるのか」

「仏は誰をも憎いとお思いになりませんが、人が自分の子を可愛いと思うように、弟子になった者を一段とかわいくお思いになります」

「いかなる者を弟子というのだ」

「私のように頭を剃った者はみな仏の御弟子(みでし)です。在俗の男も女も御弟子ではありますが、頭を剃ればなお勝っていましょう」

「ならば汝、今すぐ我が頭を剃れ」

「そっ、それはまことに貴いことですが、すぐに頭を剃ることができましょうか。心からの発心なら、まず家に帰って妻子や一族の人と相談し、万事ととのえてから剃るべきです」

「何を言うか。汝は自分を仏の御弟子だと名乗っておきながら、仏は必ず答えて下さると言っておきながら、仏は御弟子になった者をかわいがると言っておきながら、何でたちまちに舌を返して、のちに剃れと言うのだ。まったくおかしいではないか」

と言うや、刀を抜いて自ら髻(もとどり)を根もとから切ってしまった。かかる悪人がにわかに髻を切ったものだから、どうなることかと講師は物も言えないほど驚き、その場に居た人々も騒ぎ出した。その騒ぎを郎党どもが聞きつけ、太刀を抜き、あるいは弓に矢をつがえて駆け込んできた。「我が君、いかがなされました」

それを見た源太夫は大声で言った。「汝ら、わしが善き身になろうとするのを何と思って妨げるのだ。今朝までわしは家来をもっと欲しいと思っていたが、たった今から汝らは行きたいところへ行き、仕えたいと思う人に仕えるがよい。一人もわしに付いてきてはならぬ」

「どうして出し抜けにこんなことをなさるのです。とても正気とは思えない。きっと何かに取り憑かれたに違いない」。そう言って郎党どもは地に伏して泣いたが、源太夫はそれを制して髻を仏に供え、ただちに湯を沸かし、紐を解いて着物の襟を開き、自ら頭を洗い講師にさし出して言った。

「剃れ。剃らぬと承知せぬぞ」

「まことにそこまで決意したのなら、剃らぬわけにはいかぬ。また出家を妨げればその罪は重い」

講師はそう思い高座から下りて頭を剃り戒を授けた。それを見ていた郎党どもは涙を流して悲しむこと限りなかった。入道となった源太夫は着るものを粗末な僧衣と袈裟に替え、持っていた刀と弓を鉦(かね)に替え、衣と袈裟と鉦をきちんと身につけ終えるとみなに言った。

「我れはこれから西へ行く。鉦をたたいて阿弥陀仏を呼びながら、答えて下さるところまで行く。答えて下さらぬ限り、野山であれ、海川であれ、さらに引き返すことはない。ただひたすらまっすぐ西へ向かって進む」

源太夫入道はそう言うや、「阿弥陀仏よ。おおい。おおい」と声を張り上げ、鉦をたたいて歩きはじめた。郎党どもも一緒に行こうとしたが、「おのれ等はわしの邪魔をするのか」と入道に打ちのめされそうになり、仕方なくその場に留まった。こうして入道は阿弥陀仏の名を呼びながら鉦をたたいて西へ向かい、深い水があっても浅瀬を求めず、高い峰があっても回り道をせず、倒れ転びしながらまことにまっすぐ西へ進んだ。日暮れにある寺に行き着いたとき住持の僧に言った。

「我れは発心して西へ向かって行く者である。左右を見ることもなく、まして後ろを振り返ることもない。これからこの西にある高い峰を越えて行くが、今から七日ののち必ず我れをたずねて来て下され。草を結びつつ行くのでそれを目印に来られよ。それと食べ物があれば少しばかり分けてほしい」

住持が干飯(ほしいい)を取り出して与えると、「これは多すぎる」と言って、ほんの少しだけ紙に包んで腰に挟み、「もうすっかり日も暮れたので今宵はここに泊まりなされ」と住持が言うのも聞き入れず出ていった。

七日後、言われたように住持が後を尋ねていくと、たしかに草が結んである。それをたどって高い峰を越えると、その先にさらに高い峰があり、それに登ると西の海がよく見える高台に出た。そこに二股になった木が生えており、入道はその木の股の上で、鉦をたたきながら呼んでいた。「阿弥陀仏よ。おおい。おおい」

住持を見つけた入道はうれしそうに言った。「わしはここから西の海に入って行こうと思うたが、阿弥陀仏が答えて下されたので、ここでこうしてお呼びしておるのじゃ」

これを聞いた住持は不審に思いたずねた。「何とお答えになりましたか」

「それではお呼びするから、よく聞きなされ。おおい。おおい。阿弥陀仏よ。いずこにおわしますぞ」。すると海の中から妙なる声が聞こえてきた。

「ここにあり」

「聞こえたか」

住持は阿弥陀仏の声を聞き、あまりのありがたさと貴さに倒れ伏して泣くこと限りなかった。入道も一緒に涙を流していたが、やがて住持に言った。

「住持はすみやかにお帰り下され。そして今から七日後、また来て我がありさまを見届けられよ」

「干飯を少し持ってきましたよ」

「もう何も要らない。干飯はまだある」

見ると前と同じように干飯が腰に挟んであった。住持は入道と来世の往生を約束して引き返し、それから七日後に行ってみると、入道は木の股の上で西を向いたまま息絶えていた。見ると口からめでたく鮮やかな蓮華が一本生えていた。住持は涙を流して貴び、その蓮華を折りとった。

亡骸(なきがら)を埋めようかとも思ったが、このように貴い人だから、遺体を鳥や獣に施そうと考えていたに違いないと思い返し、住持はそのまま泣く泣く立ち去った。その後どうなったか誰も知らないが、入道が極楽往生したことは間違いない。

出典「今昔物語集、巻第十九、第十四話」

もどる