今昔物語その三

今は昔、源満中朝臣(みなもとの・みつなかの・あそん)という武芸の道に達した、朝廷や貴族から重く用いられること並びない勇猛(ゆうもう)な人がいた。この人のもとに一人の郎等がおり、これも勇猛な男であったが、殺生(せっしょう)をもってなりわいとする、いささかの善根(ぜんごん)も造ったことのないという人間であった。

あるときこの郎党が野に出て鹿を狩っていると、一頭の鹿がとび出してきた。すぐさま弓で射止めようとしたが鹿はすばやく走り去った。逃げる鹿を追いかけて馬を走らせ、一つの寺の前を過ぎるとき、一瞬、寺の中に目をやると、そこに地蔵菩薩の像が立っていた。男はいささかの敬う心をおこし、左手で笠を脱いで駆け過ぎた。

その後いくばくもなく男は病を受け、数日病んで死ぬとたちまち冥土の閻魔大王の館に来ていた。庭を見回すと多くの罪人がおり、罪の軽重を定めて罰が行なわれていた。男はそれを見て、目は暗くなり、心はまどい、悲しむことかぎりなかった。「私は一生のあいだ罪業のみを作り、善根は作らなかった。さればとうてい罪を逃れる手だてはない」

そう思って嘆いているところに、急に端正な姿の小僧があらわれて話しかけてきた。「我れは汝を助けようと思う。汝、すみやかに元の国へ帰り、長年作りし罪を懺悔せよ」

男はこれを聞いて喜び、小僧にたずねた。「一体あなたはどなたです。なぜ私を助けてくれるのです」

「汝、我れを知らずや。我れは、汝が鹿を追うて馬を馳せて寺の前を渡りしとき、寺の中に一瞬見し地蔵菩薩なり。汝が長年にわたって作りし罪ははなはだ重い。しかし一瞬といえど我れを敬う心をおこし笠を脱いだ。その心に免じていま汝を助けん」。そう言って男を元の国に帰らせた。

そしてそのとき男は生き返った。男は傍らにいた妻子にこの話をし、泣いて感激すること限りなかった。それより道心を発して永く殺生を断ち、地蔵菩薩を日夜に念じて怠ることがなかった。

出典「今昔物語集、巻第十七、第二十四話」

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