今昔物語 その一
今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は平安時代末期の十二世紀初頭に編集された説話集である。一〇五九の説話がインド、中国、日本の三国に分けて記されており、内容は仏教関係の話が中心であるが、仏教と無関係の話もかなりある。ただしこの説話集は完成間近に編集が中止されて放置されたものなので、途中で切れている話、標題だけの話、欠如している巻、なども含まれており、編者も不明である。以下にご紹介するのは巻第十三の第二話である。
今は昔、葛川(かつらがわ)という所に籠もって修行する僧がいた。その僧が五穀断ちをして山菜のみで何か月も熱心に修行していると、ある日、夢の中に気高い僧があらわれて告げた。「比良山(ひらさん)に仙人があって法華経を読誦(どくじゅ)している。汝すみやかにそこへ行き、かの仙人と縁を結ぶべし」
僧は目覚めるとすぐに山に入って探したが、仙人は見つからなかった。それでも熱心に何日間も探し求めていると、遠くからかすかに法華経を読む声が聴こえてきた。その声はたとえようもなく貴い。僧は喜び勇んで東西に走りまわって探したが、声は聴こえるが姿は見えない。
さらに心を尽くして探していると、岩場の下に洞窟らしきものがあることに気がついた。かたわらに生えている松の大木が笠のようにその入口を覆っている。中をのぞいてみると、骨と皮ばかりの体に青い苔をまとった一人の聖人が坐っていた。聖人は僧を見ると言った。
「そこに来たのはどなたじゃ。ここはいまだかって人の来たことのない所じゃ」
「私は葛川に籠もって修行する者です。夢のお告げにより結縁(けちえん)のために来ました」
「汝、しばらく我れに近づかず離れておれ。人間の煙の気が目に入って耐えがたい。七日を過ぎてのち近くにこられよ」
僧は数十メートル離れた木の下に宿り、そこで七日間過ごした。仙人はその間も昼夜、休みなく法華経を読み続けている。その読経は貴くありがたく、聞いているだけで無始以来の罪障がすべて消滅するように感じられた。見ていると鹿や熊や猿や鳥たちがやって来ては、木の実を仙人に供養している。仙人は一匹の猿に命じて僧のところにも木の実を持ってこさせた。こうして七日を過ぎてのち洞窟に近づくことができた。仙人が言った。
「我れはもと奈良興福寺の僧にして名は蓮寂(れんじゃく)という。法相宗(ほっそうしゅう)の学僧として法門を学んでいたとき法華経を拝読し、『汝もし法華経を取らざれば後に必ず憂い悔いるだろう』という一文を見て初めて菩提心を発した。
さらに、『寂寞(じゃくまく)として人声無きところでこの経典を読誦すれば、そのとき我れ清浄光明なる身を現わさん』という文を見て、永く本寺を出て山林に入り、仏道を修行して徳を重ね、功至って自ずから仙人になることを得た。
今は前世の因縁によりこの洞窟に住している。人間界を離れて後は法華経を父母とし、戒律を身の守りとし、法華一乗を眼として遠くの世界を見、慈悲を耳として諸々の音を聞き、心で一切のことを知る。また兜率天(とそつてん)に昇って弥勒菩薩を見たてまつり、諸処に行きて多くの聖者に近づく。天魔波旬(はじゅん)も我が近くへ寄らず、怖れも災いもその名を聞かず、仏を見、法を聞くこと、思いのままである。
この松の木は笠のごとし。雨降るといえど洞窟の前に雨来たらず、暑きときは陰でおおい、寒きときは風を防ぐ。これは自ずからこうしたものじゃ。汝がここへ尋ね来たのもまた宿縁無きにあらず。されば汝ここに住して仏法を行ぜよ」
この言葉を聞いた僧は、仙人を敬うとともに、その生き方を好もしく思ったが、自分にはとてもその生き方はできないと、丁寧に礼拝し帰り去った。仙人の神通力により僧はその日のうちに葛川に帰りついた。同行(どうぎょう)の僧にこのことをつぶさに語ると、聞いて貴ぶこと限りなかった。真心をこめて修行する人はこの仙人の如くなれると語り伝えている。
蛇足
この話の舞台になっている比良山は、滋賀県の琵琶湖の西側にそびえる山である。ただし比良山という名の峰は存在せず、武奈岳(ぶなだけ。一二一四、四メートル)を主峰とする山地全体を比良山と呼んでいる。そして葛川は琵琶湖側を比良山の表とすれば山の裏側に現存する集落である。比良山の裏側には安曇川(あどがわ)という琵琶湖へ注ぐ川が流れており、険しい山の間を流れる安曇川ぞいに葛川集落の家々は並んでいる。集落を通る国道三六七は若狭地方から京都へ鯖を運んだ鯖街道の一つであった。
葛川には明王院(みょうおういん)という比叡山回峰行の行場になっている寺がある。そしてこの寺の横から明王谷が比良山地に深く入りこんでおり、谷の奥には不動ノ滝や夫婦(めおと)ノ滝などの行場もある。沢登りを含めると比良山の登山口が九ヵ所ある葛川は、この話の舞台にぴったりの地である。
出典「今昔物語集。巻第十三。第二話」
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