中国の話

平成二二年の夏、世界最大の仏像、楽山(らくさん)大仏を見ようと中国の四川省(しせんしょう)へ行ってきた。中国はこれまでにチベットと中央アジアを旅行したことはあるが、両方とも本来中国とはいえない場所だったので、今回がはじめての中国旅行という感じであった。

楽山大仏は四川省楽山市を流れる岷江(みんこう)の岸に彫られた弥勒菩薩像であり、凌雲(りょううん)寺という禅宗寺院の中にあるため正式名は凌雲大仏という。一見すると立像に見えるが腰掛けた姿の座像であり、全高七一メートル、像高五九・九八メートル、肩幅二八メートル、お顔の長さは十四メートルとある。

大仏さまが彫られているは、岷江、大渡河、青衣江という三本の川の合流点にそびえる絶壁である。この絶壁のあるあたりは水害や水難事故が多発するところであったので、凌雲寺の海通という僧が安全祈願のための大仏を作ることを発願し、工事開始から九〇年後の八〇三年に完成した。だから海通禅師が完成した大仏を見ることはなかった。

当時の楽山の町は岩塩の生産で潤っていた。つまりそれが大仏建造の経済的な基盤であった。完成時の大仏は十三層の木造の建造物の中に収められ、体には金箔が張られたり、朱に彩色が施されていたというが、今は建物が焼失して雨ざらしの状態であり、金箔も朱色も残っていない。

まずは舟の上から大仏さまを見学した。川へ出ないと全身写真が撮れないのであるが、そのとき岷江の流れの速さに驚き、水難事故が多発して当然だと思った。翌朝ホテルの窓から岷江を眺めていたら、矢のような早さで川を流れていく人影が見え、それが一人や二人ではなかった。毎朝、数十人もの人が川流れを楽しんでいるのだという。

舟のつぎは歩いてお参りした。凌雲寺の裏山を登りつめるとお顔のすぐ横に出る。そこから絶壁に作られた急な階段を下って、正面から大仏さまにお参りしたのである。この階段部分は混んでるときには長蛇の列になるというが、時間はかかっても下りる価値は充分ある。大仏さまの前に礼拝用の丸いクッションが三つ置かれており、このクッションの上で少なからぬ人が三拝していた。

     
大仏さまの背くらべ

楽山大仏が世界一なら二番はどれか、という疑問が湧いてきた。この答えは、破壊されずに残っていればアフガニスタンのバーミヤンの大仏さまであった。バーミヤンの西大仏は五五メートル、東大仏は三八メートルの高さがあったので、二番と三番を占めたはずだが、二つともイスラム原理主義者によって二〇〇一年に爆破されてしまった。

そこで現存する大仏をネットで調べてみたら、二番は四川省自貢市栄県にある栄県大仏(高さ三六・六七メートル)、三番は敦煌(とんこう)莫高窟(ばっこうくつ)の北大仏(三五・五メートル)となっていたが、以上はすべて磨崖仏(まがいぶつ)であり、鋳造では奈良の大仏が世界一とある。

ただし大きさだけでいうと、楽山大仏は今は世界一ではない。茨城県牛久(うしく)市に一九九二年十二月、牛久大仏が完成して世界一の座についたのである。この大仏は像高百メートル、台座を含めた全高百二十メートル、という青銅製の阿弥陀如来立像であるが、青銅製といっても鋳造ではなく、構造材の上に銅板を張り付けて作った像である。作ったのは浄土真宗東本願寺派の本山とある。

ところがさらに二〇〇八年にミャンマーで、像高約一一六メートル、全高約一二九メートル、という釈迦牟尼仏の立像が完成して世界一の座を奪ったが、青銅製ではまだ牛久大仏が世界一だという。だから楽山大仏の世界一というのは、近代以前の仏像に限ればの話である。

     
峨眉山

今回の旅のもう一つの目的は中国四大仏教聖地の一つ、普賢菩薩の霊場として知られる峨眉山(がびさん。三〇九九メートル)であった。この山は山頂の華蔵寺(かぞうじ)まで車道が付いているが、参拝者は急な階段の参道を登らなければならず、そのため、かご屋さんが繁盛していた。峨眉山に来ると必ず降られるとガイドが言っていたが、この日も小雨に降られ、雲と霧のため景色はほとんど見えなかった。

四大仏教聖地の残りの三つをご紹介すると、まずは山西省(さんせいしょう)にある文殊菩薩の霊場、五台山(ごだいさん。三〇五八メートル)。五台山の名は山上に台状の五峰がそびえていることに由来し、文殊菩薩が住む清涼山(せいりょうざん)とされるこの山は、中国仏教とチベット仏教の両方の聖地になっている。

つぎは浙江省(せっこうしょう)にある観音菩薩の霊場、普陀山(ふださん)。普陀山は補陀洛山(ふだらくせん)を意味しており、補陀洛山は南インドにあるという観音菩薩の浄土である。東シナ海の舟山(しゅうざん)群島にあるこの普陀山は日本人に関係がある。

西暦九一六年、慧萼(えがく)という日本人僧が留学を終えて帰国するとき、観音菩薩像を日本に招来しようとしたところ、海上交通の要衝になっている周山群島まで来たとき、その像が日本に渡ることを拒否したという。そこでしかたなく近くの島に像を安置した、ということから、その観音像は不肯去(ふこうきょ)観音、そのお堂は不肯去観音院と呼ばれ、その島は補陀洛山と見なされ中国有数の霊場になったという。

最後は安徽省(あんきしょう)にある地蔵菩薩の霊場、九華山(きゅうかさん)。ここは朝鮮の僧に関係している。この地の化城寺で金喬覚和尚(六九六年〜七九四年)という新羅(しらぎ)の僧が九九歳で入滅し、三年後に塔に納めるために棺を開いたところ、その顔貌は生前と全く変わるところがなかった。そのため驚いた人々は、彼の号が地蔵であったことから彼を地蔵菩薩の化身と見なし、ここを地蔵菩薩の霊場にしたという。

中国には他にも五岳と呼ばれる霊山がある。泰山(たいざん)、崋山(かざん)、衡山(こうざん)、恒山(こうざん)、嵩山(すうざん)の五つであるが、これらは道教の聖地としての性格が強い。

     
黄竜と九寨溝

今回の旅行には黄竜(こうりゅう)と九寨溝(きゅうさいこう)も入っていた。数年前に飛行場が完成したことで、これらの世界遺産は一大観光地になっており、観光客のあまりの多さに閉口した。黄竜は七.五キロにわたって鮮やかな色の池が棚田のように続く渓谷であり、九寨溝は山と渓谷と湖が連なる景勝地である。

九寨溝の寨は砦とか村、溝は谷を意味し、チベット族の村が九つある谷ということからここは九寨溝と呼ばれている。このあたりはチベット族が多く住む土地であり、そのため至るところにチベット式の寺院や塔が建ち、川には水車式のマニ車がたくさん並んでいた。

ところがマニ車をまわす向きや、塔にお参りする人の塔を回る向きが、仏教と逆の反時計方向であることに気がついた。ガイドの説明によると、それはボン教のやり方であり、このあたりのチベット人はボン教を信仰しているのだという。またボン教は仏教の一派だとも言っていたが、ボン教は仏教伝来以前からあるチベット古来の宗教とされているから、この説明には疑問が湧いたが、見分けがつかないほどよく似ているのだから、そう考えるのが妥当なのだろうと思い直した。

もどる