ブータンの民話その二

これは「ブータンの民話と伝説」という本で見つけた話に少し手を加えたものである。

昔々、ブータンにメケー・ドマという少女が住んでいた。ドマの両親は年をとって畑仕事ができなくなってきたとき、残された時間を祈りと瞑想のために使いたいと、余生を山奥の小屋で過ごす決心をした。

そのためドマは月に一度、ツァンパ(麦粉)、バター、お茶、野菜などの食べ物を両親の小屋へ届けることになった。荷物は重く道は遠く険しかったが、これまでよくしてくれた両親へのわずかばかりの恩返しと、ドマは少しも苦にならなかった。

山の森にはたくさんの動物が棲んでいた。動物たちは荷物を運ぶドマの姿を初めは興味深げに見ていたが、数ヵ月たつと待ち伏せをしていた。

最初に出てきたのはイノシシであった。「来たな。小娘。待っていたぞ。これからお前を食ってやる」。ドマは機転をきかせて言った。「よく見て。やせて骨と皮だけでしょ。両親のところからもどって来るときには、太っておいしくなっているから、そのとき食べた方がいいわ」。するとイノシシは「それもそうだ」と言って立ち去った。

次に出てきたのは猿であった。猿は木にぶら下がってドマを見下ろしながら言った。「おい。小娘。お前を食うために待っていたぞ。覚悟しろ」。「今はだめ。両親のところからもどって来たとき食べた方がいいわ。その時は太っておいしくなっているから」。すると猿も「そうかも知れない」と言って通してくれた。

最後に出てきたのは大きな豹であったが、ドマが同じ言葉を繰り返すと、「なら太ってもどってくるのを楽しみに待ってるぞ」と言って豹も立ち去った。

こうしてドマはやっとのことで小屋にたどり着くことができた。両親は娘に会って大喜びしたが、ドマの様子のおかしいことに母親が気づいた。「何か心配事がありそうね。言ってごらん。力になれるかもしれないわ」。母親は動物たちの話しを聞くと顔を曇らせて言った。「私たちが若ければ、そんな動物などお仕置きしてやるのだけど。さてどうしようかねえ」

母親はいろいろ考えた末に、大きな樽を作って中にドマを入れ、はずれないようにしっかりとふたをした。そしてドマはごろごろと樽を転がしながら帰途についた。すると待ちかまえていた豹が樽にきいた。

「おい、そこの樽。ドマという娘を見かけなかったかい」

「見かけなかったよ。私は転がるのに忙しいの。余計なことは言わないで」

猿とイノシシもドマのことを樽にきいた。「知らないね。そんな娘ぜんぜん見ないよ」

ところがそのとき、勢いよく大きな石にぶつかったため樽が壊れてしまった。樽から出てきたドマを見て三匹の動物はびっくりしたが、すぐにドマを料理する準備に取りかかり、豹は薪集め、猿は水汲み、イノシシは見張り、と役割が決まった。

イノシシはドマを見張りながら、そこらの草木の根を掘り出して食べていたが、つい食べることに夢中になり過ぎて見張りを忘れてしまった。そこでドマは近くにあった穴の中に素早く身を隠し、石でふたをした。

しばらくすると猿と豹が戻ってきて言った。「おい獲物はどこへ行った」

その言葉でイノシシは自分の役割を思い出し、あたりを見回したが獲物はどこにもいない。豹と猿は怒り出し、「見張り役のお前の責任だ。かわりにお前を食ってやる」。そう言ってイノシシを殺してしまった。

ドマは穴の中で震えながら小さくなっていた。ところがドマの頭の上がだんだんと熱くなってきた。ドマの頭上の石の上で、猿と豹が火を燃やして肉を煮ていたのである。あまりの熱さに耐えられなくなったドマは、ついに石を思いきりはねのけた。驚いたのは猿と豹だった。「これは悪魔の仕業にちがいない」と叫びながら森の中へ逃げこんだ。

ドマが穴から飛び出したとき猿と豹はすでにいなかった。しかもあたりにはおいしそうに煮えたイノシシの肉が転がっていた。彼女はそれをお腹いっぱいに食べ、残りは持ち帰った。その後、彼女がこの森を通っても二度と恐ろしい目に遭うことはなかった。

     
隠居余聞

この話を選んだのは、山中で仏道修行をしながら余生を送るというところに惹かれたからである。民話になるぐらいだから、ブータンにはそういうことをする人が本当にいるのだろう。

スベン・ヘディン著「チベット遠征」という本に、サンデ・プクという洞窟にこもって生涯を終えるチベットの修行者の話が載っていた。優れた地理学者にして優れた探検家でもあったヘディンは、地図上の空白地帯を埋めるべく中央アジアとチベットを四回にわたって踏破し地図を作成した。そのときの探検記の一つがチベット遠征である。

この本によると、その修行をする人は死ぬまで外に出ないという誓いを立てて洞窟に入る。入洞すると戸が立てられ、戸の外側には大きな石が何重にも積み重ねられる。小さな隙間もすべて塞いでしまうので中は漆黒の闇になる。いくら叫んでも外には聞こず、外の音も中に届かない。修行者が洞窟を出るのは死んだときだけである。

食べ物は日に一度、ツァンパというチベット人が主食とする麦粉がひと椀と、少しのバターが狭い溝から差し入れられる。係の僧は決してその穴から話しかけたりしない。水は洞窟の中に泉が湧いている。冬になっても火の気もなければ布団もなく、衣類は入ったときに着ていたものだけ。それでチベットの冬を越すのだから、信じられないような話である。おそらく眼や頭を使わないから体力がもつのであろう。

昼も夜も分からない暗闇の中で修行者はひたすら読経をして過ごし、やがて死が訪れる。六日間食べ物に手が付けられなければ、死んだものとして洞窟が開けられ、遺体は高僧のための葬法とされる火葬で処理される。つまり聖者として扱われるのである。

その洞窟にヘディンが行ったときには、三年前から四〇歳ぐらいの男がこもっていたという。男が洞窟に入ったことはその家族も知らされていなかったというから、世の中から忘れ去られて死んでいくことを男は選んだのである。なおその男の前にそこにこもった人は十二年間生きていたという。二〇歳のときに入って四〇年間生きていた人もあったという。

ただし彼らは単なる世捨て人ではなく、また苦行の見返りとして来生いい所に生まれたいと願っている訳でもない。彼らの目的は円かなる涅槃に達すること、輪廻の世界から解放されること、そして永遠の安らぎを得ることにある。かなり極端な例であるがこのような余生の送り方もある。

参考文献
「ブータンの民話と伝説」クンサン・チョデン著 訳者 今枝由郎 小出喜代子 藤原一晃 1998年 白水社
「チベット遠征」スヴェン・ヘディン著 金子民雄訳 2006年 中央公論新社

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