ブータンの民話

これは「ブータンの民話と伝説」という本で見つけた話に少し手を加えたものである。

昔々、ブータンの深い森の奥にそびえる岩山の中腹に、数軒のあばら屋がひっそりと建っていた。崖にへばり付くように建つこれらの小屋は、瞑想修行に専念するための小屋だったので、離れ離れに建てられていた。

しばらく無人になっていたこの修行場に、あるとき一人の尼僧がやって来た。尼僧は小川に近い小屋に住居を定めると、三年間まったく人と接触しない三年ごもりの修行を始めた。そして小さな修行小屋の中で、一日、また一日、と時は静かに流れていった。

九ヵ月が過ぎたとき、尼僧の心にこの上ない落ち着きが突如として訪れ、長く苦しんできた空腹感もなくなった。日に一度、少しばかりの麦粉とバターなしのお茶を口にするだけの食事であったが、それ以後その乏しい食事は空腹をいやすためのものではなく、単なる日々の儀式になったのであった。

三年目の冬を迎えたときには尼僧の心は安らぎに満ち、何が起こっても驚いたり恐れたりすることはなくなっていた。そのためその事件が起こったときも、恐怖心はなくただ好奇心が湧いただけであった。

その日、地響きとともに、ドスン、ドスン、と聞いたことのない大きな足音が聞こえ、足音が近づくにつれて小屋は息が詰まりそうなほど強烈な獣の臭いに襲われた。尼僧はじっと坐ったまま何が起こっているかを観察した。すると窓の外に大きな黒い影が現れ、それが窓全体を覆ったため急に中が暗くなり、ついに窓から何か押し入ってきた。そのため小屋は今にもつぶれそうなほど揺れ動き、狭い部屋の中は入ってきたもので一杯になった。

初めは暗くてよく見えなかったが、目が慣れてくると、それは黒っぽい毛に覆われたヤクの倍以上もある巨大な足だと分かった。どうしたものかと思いながらさらによく見ると、その足に一本の竹が突き刺さっているのが見えた。竹のまわりの毛には血と膿がべっとりとこびり付いていた。

どうやらこの生き物は助けが欲しくてやって来たらしい。そう気付いた尼僧は、目まいがしそうなほどの悪臭の中、汗びっしょりになりながら竹を引き抜き、それから傷口をきれいに洗い、傷薬として油をたっぷり塗ってやった。するとその怪物はゆっくりと足を窓の外に出し、来たときと同じように小屋を揺るがせながら遠ざかっていった。遠ざかるにつれて臭いも薄らいできた。尼僧はそのときになってやっと、これは雪男に違いないと思い至った。

その後、雪男は鹿やイノシシや鳥などを窓の外に置いていくようになったが、それは尼僧にとって大変迷惑なことであった。感謝の心からとはいえ、自分のために生き物の命が奪われることに耐えられない苦痛を感じたのであり、そのためついに尼僧は修行場所を変える決心をしなければならなかった。

今でもブータンでは、この話のような山ごもり修行が広く行われていて、そうした修行のための小屋も各地に用意されている。食べ物はどうするのかと心配になるが、接触しないように気をつけながら運んでくれる人がいるのである。

ブータンは民話の宝庫、世代を越えて伝えられてきた民話に満ちた国である。民話の恩恵には文字の読めない人も浴することができる。ブータンの人々は、民話から多くの教訓を学び、民話でブータン人としての心を育ててきたのである。

ブータン人はみな雄弁で表現力があるといわれている。そうした彼らの話術は、子供のときには民話に耳を傾け、成長してからは語って聞かせる、ということで磨かれてきたものだという。日本でも昔は同様のことが行われていたのだから、おそらく昔の日本人の方が今の人より話がうまかったと思う。

参考文献「ブータンの民話と伝説」クンサン・チョデン著 訳者 今枝由郎 小出喜代子 藤原一晃 1998年 白水社

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