親切な男の話

これは「チベットの民話」という本の中で見つけたお話に手を加えたものである。

昔々、チベットのある村にあらゆる仕事に精通した働き者の男がいた。男はたいそう親切で気前もよかったので、村人たちから信頼され愛されていた。

ある日、その男の住む村にある高名な僧がやって来た。すると男は、さっそくその高僧に会いに行き、ていねいに礼拝と挨拶をしてから、敬意を表すカタという白いスカーフを贈り、そして質問をした。「私は残りの生涯を仏陀の教えに捧げたいと思います。悟りを開いて智恵と慈悲とを身につけ、すべての人々、一切の生きとし生けるものを救いたいと思います。それにはどうしたらよいでしょうか」

この言葉に、高僧はしばらく男の顔を見つめていたが、男が真剣にそれを望んでいること、動機が純粋であること、男がまじめな人であること、などが分かったので、ていねいに修行の方法を教えた。「洞窟にこもって一人で修行をしなさい。そしてこのマントラを称えなさい。そうすれば悟りを開いて、智恵と慈悲とを身につけ、全てのものを救うことができるようになるであろう」。そう言って一つのマントラを授けた。マントラというのは真理の言葉、心を整えていくために称える短いお経である。

男はさっそく村を出て山に入り、人里離れたところに手頃な洞窟を見つけると、そこにこもって修行を始めた。ところがなかなか悟りは開けず、たちまち二〇年の歳月が流れた。

二〇年たったときその高僧がまた村にやってきた。それを聞いた男は山を下りて高僧に会いに行った。たくさんの人が会いにきていたので、三日も四日もしんぼう強く待ちつづけ、自分の番がくるとまた丁寧に礼拝と挨拶をし、カタを贈り、質問した。「私は二〇年間、教えられた通り修行してきましたが、まだ悟りが開けません。何か間違っていたのでしょうか」

すると高僧が言った。「わしはどんなことを教えたのだったかな」。男は二〇年前に教えられたことや、今の修行の状態などをこと細かに説明し、高僧はその説明を最後まで真剣に注意深く聞いていた。そして話が終わるとまた男の顔をじっと見つめていたが、やがて静かな口調できっぱりと言った。

「ああ、それは無駄だったようじゃ。まったく間違ったことを教えてしまった。それでは決して悟りは開けない。気の毒だが悟りを開くのはもうあきらめなさい」

この言葉を聞くと、男は気が動転し、やがて叫び声をあげて泣き伏した。それを見ながら高僧がさらに言った。「申し訳ないが、私があんたにしてあげられることはもう何もない。帰りなさい」

男は重い足取りで山の洞窟にもどり、平らな岩のうえに足を組んで坐った。その岩は二〇年間、男の修行の場であり、寝床であり、机でもあった岩である。男は目を閉じて考えた。「二〇年間、悟りが開けると信じて修行してきたのに、それをあきらめねばならない。もうずいぶん歳も取ってしまった。これから一体どうしたらいいのだろう」

男は長いあいだ考えこんでいたが、やがて決心した。「たとえ悟りが開けなくても、これをこのまま続けるしかない。ほかに私に何ができるだろう」。男は気を取りなおして坐りなおし、悟りを開くという希望を捨て去ったまま慣れ親しんだマントラを称えた。

するとたちまちのうちに悟りが開けた。男は世界の実相を見た。そして人々を平安に導くための智恵と慈悲も自ずと身に備わった。そのとき男は理解した。悟りを開く邪魔をしていたのは悟りに対する執着であったことを。それが悟りにいたる道の最後の関門であった。男は仏陀の教えを広めるために世の中に帰っていくべくときが訪れたことを知った。

男は洞窟を出て下の村を見つめた。こんなにはっきりとものが見えたことはこれまで一度もなかった。空を見上げると雪の峰々にひと筋の虹が架かっていた。その虹を見たとき、あの高僧の穏やかな笑い声が聞こえたような気がした。


「この命は雨の小さなひとしずく

 生まれてはすぐに消え失せる一片(ひとひら)の美と心得よ

 されば目標を定めよ

 すべての昼夜をそれを成し遂げるために用いよ」

                    ツォンカパ

出典「チベットの民話」編者フレデリック&オードリー・ハイド・チェンバース 中島健訳 青土社 1996年

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