賢いネズミの話
これは「チベットの民話」という本に載っていたお話である。
あるチベットの家の台所でネズミが餌をあさっていた。それを見た若者たちが口々に言った。「あのネズミたち、何とかしなければいけない。殺すのはかわそうだからどこか遠くへ捨ててこよう。絶対に戻ってこられない遠いところに」
それを聞いた老人たちが笑いながら言った。
「無駄なことじゃ。あのネズミたちは必ず戻ってくる。いつだってそうなんじゃ」
「どうして戻ってきたネズミだと分かるんだ。別のネズミかもしれないじゃないか」
「ならばネズミに印を付けてみたらどうじゃ。そうすれば戻ってきたネズミか別のネズミかすぐに分かる」
ということでネズミは若者たちに捕まり、背中に赤い印を付けられ、袋に入れられ、馬に乗せられ、山や谷をいくつも越えた遠くへ置いてこられた。帰ってきた若者たちが口々に言った。「どうだ。もうネズミは出てこないじゃないか。あんな遠くから戻ってこられるわけがない」
ところが二、三日もすると、また台所のネズミ穴からネズミが出てきて餌をあさっている。大きいネズミ、小さいネズミ、白いネズミ、黒いネズミ、いろいろいるが、みんな背中に赤い印が付いている、というお話である。
この話に出てくるネズミは、善いことをすれば善い報いがある、悪いことをすれば悪い報いがある、という報いを表している。だから白いねずみは善い報い、黒いねずみは悪い報いということになる。チベット人はこうした話でもって子供たちに、善いことをたくさんしなさい、悪いことをしてはいけません、どちらにしても必ず報いはあるのだから、と因果の道理を教えているのである。
「一つの宝、これ一つのみ、いかなる盗賊も盗むことができない
一つの宝、これ一つのみ、死の扉の向こうまで持っていける
賢者の富は、彼にどこまでも付きしたがう善いおこないの中にある」
「この世の移ろいゆく速さは秋の雲のようだ
誕生と死は、つかの間の舞いを眺めるようなものだ
命は稲妻のように、また険しい崖を走り下る水のように
速やかに過ぎ去り、突然終わる」
参考文献「チベットの民話」編者フレデリック&オードリー・ハイド・チェンバース 中島健訳 青土社 1996年
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