散骨の話
散骨(さんこつ)というのは火葬後の遺骨を、海や山に撒いて処理する葬法のことをいい、自然にかえすということから自然葬とも呼ばれている。散骨が公然とおこわれるようになったは平成三年以後のこととされ、今では散骨をおこなう業者の数は百から百五十社にのぼるというが、法律の整備が遅れているため死体遺棄の問題が起こる可能性もなくはないという。
散骨が広まった理由の一つは墓地の高騰である。私が住む町のように人口が減少している所では、墓地は余っているし値段も安い。ところが大都市圏では墓地はきわめて高価な買い物になるし、申し込んでも手に入らないこともある。
また最近はどこの家も子供が少ない。そして子供が一人か二人しかいない場合にはたいてい数世代のうちに家が絶えてしまう。そのため、すぐに無縁墓になるお墓に大金をかけるよりも散骨の方がいい、と考える人が増えたのも散骨が広まった理由である。また先祖代々の墓を持っている人でも、私は墓になんか入りたくない、海や山の方が気持ちがいい、と散骨を希望する人もあるという。
ただし散骨をする人が今もなお増え続けているかというとそうではなく、ある程度増えたあとは横ばい状態になっているという。増えない最大の理由は、墓参ができないという欠点が散骨にあるからだと思う。墓参りの好きな日本人は何かあるごとにお墓へ行き、草を抜きながら亡くなった人に話しかけたり、昔のことを偲んだり、考えごとをしたりすることを大切にしてきた。散骨の場合それができないのである。
とはいえ散骨という選択肢が葬法に加わったことは歓迎すべきことだと思う。人それぞれ事情が違うから選択肢は多い方がよい。たとえば身寄りのない人が亡くなったとき墓を作ると、その墓はできたときから無縁墓である。その点、散骨なら無縁墓の問題は生じずお金も大してかからない。だから散骨する人の数が横ばい状態になっているとしても、今後も散骨は支持され続けていくと思う。
散骨の費用は海でも山でも五万円から三〇万円ぐらいということで、金額の違いは、方法、場所、遺族の人数、などの違いからくる。遺族が立ち会わずすべて業者任せの方法もあり、それがいちばん安くすむ。散骨するには遺骨を粉末状にしなければならないが、頼めばそれもやってくれる。粉末の遺骨は散骨のとき風で戻ってくることがある。そのため袋に入れて投下するという。
散骨の場所として人気があるのは海、それも南の海を希望する人が多いという。冷たい海は嫌だという気持ちはよく分かる、ということで、温かい沖縄やハワイの海での散骨を受け付けている業者もある。なお滋賀県には海はないが琵琶湖での散骨が可能だという。わが家の墓は琵琶湖です、窓を開ければいつでも墓参できます、と便利かもしれない。海への散骨には船の利用が一般的であり飛行機やヘリコプターの場合は費用がかさむ。
地上に散骨する場合、どこでも好きな場所にかってにできるわけではない。散骨をする場合にも墓地としての許可が必要であり、そのためそうした場所にお金を払って散骨することになる。なお散骨の方法として最近人気があるのは、散骨した場所に形見の植樹をする樹木葬だという。ただし地上への散骨は、される地元の人からは歓迎されておらず、条例を作って規制に乗り出した自治体もある。そのため日本海に浮かぶ隠岐(おき)群島の無人島に散骨場を作った業者もある。
空中散骨の企画もある。直径二メートルほどの気球に遺骨を入れて飛ばし、高度三万メートルで気球を破裂させる。すると大循環する風の中に遺骨が散っていくという壮大な散骨であるが、日本の上空には偏西風が吹いているから、風上でお骨をばらまくのはやめろとアメリカから苦情が来るかもしれない。
宇宙に散骨する企画もある。カプセルに詰めて地球を回る軌道に投入する方法であり、費用は百万円ぐらいとあるが遺骨全部を打ち上げてくれるかどうかは不明。月に散骨する企画もある。ロシアのロケットで打ち上げるとかで費用は五グラムで三百万円とか。そんなお金があるならお墓を作った方がいいようにも思う。
葬法いろいろ
現在では火葬にした遺骨を墓に納骨する葬法が一般的だが、この方法が広まったのはそれほど古いことではなく、私の住む町にはまだ土葬の地区も残っている。土葬の場合、埋葬した場所に墓を作ることはできない。遠からず地面が陥没し墓石が倒れてしまうからであり、そのため別の場所にお参り墓を作ることになる。このようなやり方を両墓制(りょうぼせい)と呼んでいる。
仏教は墓を作ることを勧める宗教かというと、そうではない。仏教が広まっている国にも墓を作る習慣のない国がある。
まず仏教の生まれ故郷のインドが代表的な墓のない国である。この国ではガンジス川などの川岸で火葬にし、遺骨や灰はすべて川へ流してしまう。
国民のほとんどが仏教徒というヒマラヤ山中の国ブータンも、墓のない国である。火葬場は川のすぐ横に作られていて、火葬後の遺骨はやはり川へ流してしまう。
熱心な仏教徒ばかりという国ミャンマーも墓のない国である。現地ガイドに火葬後の遺骨はどうするのか、川へ流すのか、ときいたら、そんなことは知らない、遺族の仕事は火葬にするところまでであり、後の処分は火葬場がおこなっているという返事であった。ただし「墓は作りたいがお金がない」とも言っていたから、金持ちは墓を作っているかもしれない。
チベットも熱心な仏教国にして墓のない国である。国土のほとんどが森林限界を越えているチベットでは火葬のための薪が手に入らない。そのため鳥葬という特異な葬送を考え出し、今もそれをおこなっている。鳥が食べない骨はどうするのかと心配になるが、骨も砕いて鳥に食べさせる。
チベット仏教圏に属するモンゴルは、過去の旅行記を読むと山の陰に遺体を放置する風葬がおこなわれていたようであるが、私が旅行したときには、首都のウランバートルでは火葬、その他の地域では土葬が行われていた。また墓も作っていた。
ヨーロッパでは国や宗教に関係なく日本と同じと考えていいようである。キリスト教やイスラム教は火葬を否定しているはずだが、現実問題としてそんなことは言っておれず、都市部では今はほとんど火葬になっているという。
宗教否定の共産主義国、中国を旅したとき、漢民族のガイドに葬法をきいてみたら、家族が死んだらお別れ会をして埋葬してそれですべておしまい、という返事であった。
参考文献「散骨はこれから本当に増えるのか」横田睦 寺門興隆2009年1月号
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