慧満禅師の話
相州隆化寺の慧満(えまん)禅師は、唐の時代の河南省栄陽の生まれであるが生没年は不詳、俗姓は張氏、二祖の法嗣の僧那(そうな)禅師のもとで修行し、その法を嗣いだ。
慧満禅師はただ二本の針を蓄えるのみであり、冬は布を乞うて着物を補い、夏はこれを捨てた。つねに集落を回って乞食(こつじき)を行じ、得ても得なくても少しも滞ることなく、同じ場所に再び宿ることなく、寺に泊まれば薪を割り、わらじを作った。
禅師はいつもこう言っていた。「一生、心に恐怖なく、身に蚤虱(のみ・しらみ)なく、眠れども夢を見ず」。また宿や食事を供養したいと言う人があるとこう答えた。「天下に他の僧がいなければその供養を受けん」
六四二年、洛陽会善寺の横の古い墓のなかに宿り、その晩、大雪に遭遇した。翌朝、寺に和尚を訪ねたら、和尚はこの雪の中をどうやって来たのかと怪しみ、来た道を探させたが、四辺には五尺の雪が積もるばかりで足跡はなかった。「信じられぬことだ」と和尚が言うと、「約束があるから来た」と慧満禅師は言い、諸僧は恐れて逃げ出した。
あるとき人に示して言った。「諸仏は心を説き、心相の虚妄なることを知らしむ。ところが今は説いて重ねて心相を加う。深く仏意に違えり。また論議を増すことはことさら大理にそむく。故に常に楞伽経四巻を与えて心要となす。その説のごとく行うは、けだし歴代の遺訓に従うなり」
後に道を行じながら病無くして坐化した。世寿は七〇ほどであった。
出典「景徳伝灯録巻三。相州隆化寺慧満禅師」
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