鏡清道ふ禅師の話

鏡清道ふ(きょうせい・どうふ。八六八〜九三七。ふ:付の下に心)禅師は、浙江省、永嘉(ようか)の生まれ、俗姓は陳氏、幼い頃より生臭いものを食べず、親がむりに干し魚を食べさせたら吐き出してしまい、長じては出家することを求め、本州の開元寺で受戒、それから生死の根元を決了すべく諸方を行脚し、曹山本寂(そうざん・ほんじゃく)禅師に参じて大いに得るところがあり、雪峰禅師のもとで頓に疑いが無くなりその法を嗣いだ。

なお鏡清寺に住したので「鏡清道ふ」と呼ばれているが、杭州の竜冊寺(りゅうさくじ)にも住したので伝灯録の見出しは「杭州竜冊寺順徳大師道ふ」となっている。

あるとき鏡清禅師が修行者に質問した。

「門外は何の声ぞ」

「雨滴声(うてきせい。雨だれの音)なり」

「衆生、顛倒(てんどう。迷って逆を真とする)し、己(おのれ)に迷うて物を逐(お)う」

九三七年八月に示寂、寿は七四、多くの出家と在家が悲しみ嘆き、大慈山で荼毘に付して舎利を得、竜母山の陽(よう。山の南側)に塔を建てた。

出典「景徳伝灯録巻第十八。杭州竜冊寺順徳大師道ふ」「宋高僧伝巻第十三。後唐杭州龍冊寺道ふ伝」

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