破竈堕和尚の話

破竈堕(はそうだ)和尚は、唐代中期の人であるが生国も生没年も名前も不詳、禅理に通徹していたが言行は常軌を逸して予測しがたく、嵩岳(すうがく)の慧安(えあん)国師の法を嗣いだが、束縛を嫌って常に逍遙し晩年は嵩岳に隠棲した。

破竈堕和尚と呼ばれるのは次のでき事による。隠棲した嵩岳の山すそに強い霊をまつる廟があり、廟の中には竈(かまど)がひとつ安置されていて、そこでは常に遠近の人々が祭祀をおこない、物の命を烹殺(ほうさつ。煮殺す)することをくり返していた。

一日、破竈堕和尚は侍者をつれて廟に入り、杖で竈を叩くこと三下(さんげ)して言った。「咄(とつ。叱責を表す語。トツと叫ぶわけではない)、この竈はただ泥と瓦が合してなれる物なり。聖は何れより来たり、霊は何れより起こって、物の命を烹殺するや」

そしてまた打つこと三下した。すると竈はたちまち傾き破れ堕(くず)れ落ちた。しばらくすると青い衣と高い冠を身に付けた人物が現れ、和尚を礼拝した。

「これ何者ぞ」

「我れは元この廟の竈の神なり。久しく業報(ごっぽう)を受けるも、今日、師の無生の説法をこうむり、竈を脱して天に生ずることを得たり。特に来たりて感謝を致す」

「これは汝が本有(ほんう)の性なり。我が言の力に非ず」

竈の神はもう一度礼拝すると姿を消した。侍者の一人が和尚にたずねた。「我らは久しく和尚の傍にあるも、いまだ和尚の言を親しくこうむることなし。竈神(そうじん)は何の旨を得て天に生ずることを得たる」

「我れはただ彼に向かって言えり。もとこれ泥と瓦が合して成ると。彼がために説く別の道理は無い」

侍者たちは無言のまま立っていた。

「汝ら、会すや」

「会せず」

「本有の性、何としてか会せざる」

侍者たちは礼拝した。すると和尚が言った。「堕(くず)れたり。堕れたり。破れたり。破れたり」。こうして破竈堕和尚と呼ばれるようになった。和尚はその終わりを知ること無しとある。

出典「景徳伝灯録巻四、嵩岳破竈堕和尚」「宋高僧伝巻十九、唐嵩岳破竈堕伝」

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