大珠慧海禅師の話

大珠慧海(だいじゅ・えかい。生没年不明)禅師は、唐の時代の建州(福建省)の出身、俗姓は朱氏、越州(えつしゅう。浙江省)大雲寺の道智禅師によって受業し、江西の馬祖大師に参じてその法を嗣いだ。

初めて相見したとき馬祖がたずねた。

「何れの処より来たる」

「越州の大雲寺より来る」

「ここへ来て何事をか求む」

「来たりて仏法を求む」

「自家(じか。じけ)の宝蔵を顧みず、家をなげうち散走して何をか作す。ここには一物も無し。何の仏法をか求めん」

慧海は礼拝して問うた。「何が慧海の自家の宝蔵でしょう」

「即今、我れに問う者、これ汝が宝蔵なり。一切具足して更に欠けるもの無く、用いること自在なり。何ぞ外に向かって求むる必要がある」

慧海は言下に知覚に由らざる自己の本心を知り、踊躍(ようやく)して礼謝(らいしゃ)した。それから馬大師に師事すること六年、受業の師が年老いたことを聞くとただちにたち帰って仕え、その後、跡をくらまし、能を隠し、愚の如くふるまった。

のちに頓悟要門一巻を著すと、法の上の甥にあたる玄晏(げんあん)という者が密かにこれを馬大師に呈した。これを読んだ大師は衆に告げて言った。「越州に円かで明かなる大珠あり。光は自在に透き通り障りある処なし」。馬大師のこの言葉から慧海は大珠と号したという。

馬祖のこの言葉を聞いた者の中に、慧海の俗姓が朱(珠と発音が同じ)であることを知る者がおり、越州の円かな大珠というのは慧海禅師に違いないと、仲間と連れだって尋ねると禅師が言った。「禅客、我れは禅を会せず。ならびに一法の人に示すべきなし。ゆえに汝ら久立(きゅうりゅう。長く立ちつくす)せず速やかに去るべし」

ところが訪れる修行者は次第に増えて日夜に門を叩くようになり、やむなく問われるままに答えたが、その弁は自在にして明かであった。

     
慧海禅師の言葉

ある僧が問うて言った。

「いかんが大涅槃を得ん」

「生死(しょうじ)の業を作らざれ」

「いかなるかこれ生死の業」

「大涅槃を求むる、これ生死の業なり。

垢を捨て浄を取る、これ生死の業なり。

得有り、証有る、これ生死の業なり。

対治(たいじ。迷いを退治する)の門を脱せざる、これ生死の業なり」

「いかんが解脱を得ん」

「本、自ずから縛なし。解を求むるを用いず。直に用い直に行ず、これ無等等三昧(むとうどうざんまい)なり」


ある行者(あんじゃ。出家していない修行者)が質問した。

「即心即仏という。何が仏なのでしょう」

「汝、疑うなら仏ならざるものを示してみよ」

行者は答えられなかった。

「達すればすべてが是なり。悟らざれば永(とこしな)えに乖疎(かいそ。背く)す」


修行者が質問した。

「何をか邪となし、何をか正となす」

「心が物を逐(追)うを邪となし、物が心に従うを正となす」


源律師なる者が来て質問した。

「和尚。道を修するに還って功(こう。行為。はたらき)を用いるや否や」

「功を用いる」

「いかんが功を用いる」

「飢え来たれば飯を喫し、困じ来たれば即ち眠る」

「一切の人、すべて是(かく)の如し。師が功を用いるのと同じや否や」

「同じからず」

「何が故に同じからず」

「彼らは飯を喫する時あえて飯を喫せず、百種すべからく求む。眠る時あえて眠らず、千般(せんぱん。種々に)計校(けいこう。はかりくらべる)す。ゆえに同じからざるなり」


慧海禅師曰わく。

「太虚は霊智を生ぜず

真心は善悪に縁せず

嗜欲深き者は機浅し

是非交争する者は未だ通ぜず

境に触れて心を生ずる者は定少なし

寂莫として機を忘るる者は慧沈む

傲物高心なる者は我、壮(さかん)なり

空に執し有に執する者は皆愚なり

文を尋ね証を取る者はますます滞る

苦行して仏を求むる者は迷う

心を離れて仏を求むる者は外道なり

心は是れ仏なりと執する者は魔なり」

出典「景徳伝灯録巻六、越州大珠慧海禅師」

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