曹山本寂禅師の話
曹山本寂(そうざん・ほんじゃく。八四〇〜九〇一)禅師は、泉州(福建省)、ふ(草冠に甫)田県の人、俗姓は黄氏、はじめは儒教を学び、十九歳で出家して福州、福唐県の霊石山に入り、二五歳で具足戒を受けた。
唐の咸通(かんつう)の初めごろ禅宗は中国で興隆した。曹洞宗の高祖、洞山良价(とうざん・りょうかい)禅師が洞山に入山したのはその頃であり、それから曹山は禅師のもとに通って教えを受けるようになり、大衆の中では愚の如く、言を発しては訥(とつ。口が重い)の如きであった。
洞山禅師が曹山にたずねた。
「そなた、名は何ぞ」
「本寂なり」
「向上して更に言え」
「言わず」
「何としてか言わざる」
「本寂と名づけず」
洞山禅師は彼を法の器とみとめ、これより入室(にっしつ)を許しひそかに法を伝えた。数年後、宗旨を得た曹山が下山するとき洞山禅師がたずねた。
「いずれの処にか去る」
「不変異の処に去る」
「どうして不変異に去ることがあるのか」
「去るもまた不変異なり」
洞山を辞してからは縁にしたがって悠然と過ごしていたが、やがて請いを受けて撫州(ぶしゅう。江西省中部)の曹山に住して宗風を挙揚し、法席には学人が雲集した。この山はもとは荷玉山(かぎょくさん?)という名であったが、曹山禅師が六祖大師の住した曹渓を慕い曹山に改めたという。
曹山禅師の言葉をひとつご紹介する。
ある僧が質問した。
「如何なるかこれ仏法の大意(たいい。根本)」
「溝(みぞ)に満ち、谷に塞(ふさ)がる」
九〇一年の夏の夜、曹山禅師が知事の僧にたずねた。
「今は何の日月ぞ」
「六月十五日なり」
「曹山、一生行脚す。到るところで只管(しかん。ひたすら)に九〇日を一夏(いちげ。一度の修行期間)として修行す」
そして翌日の辰時(しんじ。辰の刻。朝八〜九時)に寂を告げた。寿六二、法臘三七、門人が真骨を奉じて塔を建て、勅して元証大師と諡し、塔を福円という。
出典「景徳伝灯録巻十七、撫州曹山本寂禅師」「宋高僧伝巻十三、梁撫州曹山本寂伝」
もどる