慧忠国師の話
慧忠(えちゅう。?〜七七五年)国師は、浙江省(せっこうしょう)紹興府(しょうこうふ)の人、俗姓は冉(ぜん)氏、若くして禅に参じて六祖の法を嗣ぎ、それから諸山を歴遊して歩いたが、河南省南陽(かなんしょう・なんよう)の白崖山党子谷(はくがいさん・とうすだに?)の香厳寺(きょうげんじ)に入ってからは四十余年間、山を下らなかった。
七六一年、唐の粛宗(しゅくそう)皇帝がその名声を聞き、師の礼をとって長安の都に迎え、初めは千福寺(せんぷくじ)西禅院、のちに光宅寺(こうたくじ)に住まわせた。そのため南陽の慧忠国師と呼ばれ、十六年にわたり国師をつとめ、機に従って説法した。
なお慧忠国師と、青原行思、南嶽懐譲、荷沢神会、永嘉玄覚、の諸禅師は六祖門下の五大宗匠(そうしょう)とされているから、このうちの一人が七祖になるはずであるが、七祖と呼ばれる人はいない。争いの元になるからと、六祖が衣鉢を伝えなかったことが七祖のいない理由とされる。それと慧忠国師は宋高僧伝では四祖道信禅師の法嗣となっている。
あるとき大耳三蔵(だいじさんぞう)という印度僧が長安にやってきた。他心通(たしんつう)という神通力をこの僧が得ているというので、皇帝は国師を招いて試験させた。大耳三蔵は国師を一瞥するとすぐに礼拝し右辺に立った。慧忠国師がきいた。
「汝は他心通を心得ているとか」
「それほど大したものではありません」
「汝、それでは老僧が今どこに居るか言ってみよ」
「和尚はこれ一国の師なり。どうして西の川へ行って舟の競争など見ておられるのです」
「汝、それでは今はどこに居るか言ってみよ」
「和尚はこれ一国の師なり。どうして天津橋の上で猿回しなど見ておられるのです」
国師は三たびおなじ質問をくり返した。ところが三度目は久しくするも三蔵は答えられなかった。国師は叱りつけて言った。「この狐つきめ。自慢の他心通はどこへいった」
国師三喚(こくしさんかん)
あるとき国師が侍者を呼んだ。侍者は返事をした。国師は三回呼び、侍者は三回返事をした。国師が言った。「まさに思えり、吾れ汝に辜負(こふ。そむく)すと。かえって汝、吾れに辜負す」
この国師三喚の公案を安谷白雲老師が歌にしている。「ただよべば、ただこたえけり山彦の、声にこころのなにありぬべき」。大耳三蔵が三度目に国師の居どころが分からなかったのは、このためである。
つぎは国師と修行者との質疑応答である。
「どうすれば成仏できますか」
「仏と衆生と一時に手放せば当所に解脱できる」
「それはどういう事でしょう」
「善悪を思わざれば、自ずから仏性を見ん」
「清浄法身はどうすれば得られますか」
「仏の名にとらわれて求めてはならない」
「何が真の仏ですか」
「即心是仏」
「その心に煩悩はありますか」
「煩悩性を自ずから離る」
「煩悩を断じないのですか」
「煩悩を断ずるものを二乗と名づけ、煩悩を生じないのを大涅槃と名づく」
「坐禅をして静を見るのはいかがでしょう」
「不垢不浄であるのに、なぜ心を起こして浄相を見る必要があろう」
「国師には、十方虚空は法身であると見えますか」
「虚空も法身も、心に思い描いたものはすべて迷いである。汝の質問に今いくら答えていてもきりがない。言多ければ道を去ること遠し。ゆえに言う。説法の所得有るは狐の鳴き声。説法の所得無きこれを獅子吼(ししく)と名づくと」
遷化(せんげ)
遠からず今生の縁が尽きることを知った国師は、代宗(だいそう)皇帝に別れを告げた。すると皇帝が尋ねた。
「師の滅度の後、弟子、何をもって教えとせん」
「檀越(だんおつ。布施する人)に告ぐ。一基の無縫塔(むほうとう。一つの石から作った卵形の墓塔。出家の墓に使われる)を造られよ」
「それは、どのような塔でしょう」
国師は良久(りょうきゅう。しばらく沈黙)して言った。
「会(え)すや」
「会せず」
「貧道(ひんどう。拙僧)去りて後は、侍者の応真(おうしん)なる者が、このことをよく知っております」
国師の滅後、応真を召してこの話の意味を尋ねると、応真は良久して言った。「会すや」。代宗が応えた。「会せず」
応真は偈でもって説明した。「湘(しょう)の南、潭(たん)の北。中に黄金有り一国に満つ。無影樹下の合同船、瑠璃殿上に知識無し」
国師のいう無縫塔とは仏心のことである。つまり宇宙大の一基の無縫塔を建立せよと国師は遺言したのであり、応真の偈は仏心の解説である。その応真禅師は耽源山(たんげんさん)に隠棲して終わった。
慧忠国師は七七五年十二月九日、右脇を下にして亡くなり、大証禅師と諡され、党子谷の香厳寺に塔が建てられた。亡くなる前に弟子たちが後事を問うと国師は言った。「仏に明教あり。これに依ればあやまりはない。吾れ何をか言わんや」
出典「景徳伝灯録巻五、西京光宅寺慧忠国師」「宋高僧伝巻九。唐均州武当山慧忠伝」「無門関第十七則。国師三喚」「碧巌録第十八則。国師塔様」
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