牛頭智巌禅師の話

牛頭智巌(ごず・ちがん。六〇〇〜六七七)禅師は、江蘇省、曲阿の生まれ、俗姓は華氏、若くして智勇ともに群を抜く、身の丈七尺六寸という巨漢であった。時は隋の煬帝(ようだい)の時代であり、彼は軍人となって大将とともに出征を重ね、多くの戦功を立てた。ところが陣中で水を飲むときにも虫を殺さぬように布で漉(こ)して飲んでいた。

四〇歳で出家することを願い、皖公山(かんこうざん。三祖山)において二祖慧可(にそ・えか)大師の弟子の宝月禅師により出家した。ある日坐禅をしていると、身のたけ一丈を超える神々しい僧が姿をあらわし、よく響きわたる澄んだ声で言った。「師は八〇回も生まれ変わりしながら出家修行してきた人である。よろしく精進を加うべし」。言い終えると見えなくなった。

またある日、谷の中で禅定に入っていると、にわかに谷が大水に襲われたが、智巌禅師が微動もせずに坐禅を続けていると、水は自ずから引いていった。それを見ていた猟師は罪を悔いあらため善を修するようになった。

一緒に従軍していた二人の男が、智巌禅師が出家したことを聞きつけ、山中に訪ねて来て言った。

「あなたは狂ったのか。どうしてこんな所に住んでいるのだ」

「私の狂気はいまや醒めんとしている。狂気しているのは君たちの方ではないか。色を好み、みだらな音楽にふけり、栄誉をむさぼり、生死に流転する。なぜ出ようとしないのか」

二人はそうかもしれないと嘆息して帰った。

六四三年に牛頭山に入り、法融禅師に参じて大事を発明(ほつみょう。明らかに)すると、禅師が言った。「私は四祖道信大師の真訣(しんけつ。秘要)を受けて心中無一物となった。たとえ涅槃よりすぐれたものがあると言われても、それは夢か幻にすぎないと分かる。一塵飛んで天を隠し、一芥(かい)落ちて地を覆う。汝は今、見すでにこれに過ぎたり。我れまた何をか言わん。山門の化導(けどう。教化誘導)まさにこれを汝に付すべし」

こうして法を嗣いで牛頭山の第二世となり、第三世の慧方(えほう)禅師に牛頭山をゆずった後は白馬寺と棲玄寺に住した。

西暦六七七年一月十日、智巌禅師は石頭城において滅を示し、滅後も顔色は少しも変わらず、体も生けるがごとく柔らかで、かぐわしい香りが部屋に漂い、十日を経ても消えなかった。世寿七八、水葬にせよとの遺言であった。

出典「景徳伝灯録巻四、牛頭山第二世智巌禅師」

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