一指頭(いっしとう)の禅

九世紀ごろの中国に倶てい(ぐてい)和尚という禅僧がいた。この和尚は、倶てい仏母神呪(ぐていぶつぼじんしゅ)を毎日読んでいたので倶てい和尚と呼ばれたのであるが、名前も生没年も伝わっていない。(てい:低のイを月にした字)

倶てい和尚は小さな庵に住み、読経と坐禅の日々を送っていた。ある日その庵に実際尼という旅の尼僧が立ち寄り、和尚を見つけると笠もとらず錫杖も持ったままの姿で近づき、和尚の周囲を三回まわって言った。「仏法の端的を何か言いなさい。そうすれば笠を取りましょう」。三回まわるのは相手に敬意をしめす作法である。

実際尼はこうして同じ問いを三回発したが、和尚はひと言も答えられなかった。それを見た実際尼は袖をひるがえし歩き去った。倶てい和尚は後ろから呼びかけて言った。

「もうすぐ日が暮れます。今日はここに泊まっていってください」

「一句言えたら泊まってあげよう」

それでも何も言うことができなかった倶てい和尚は、実際尼が去ってからつくづく考えた。あの尼僧は悟りを開いているに違いない。自分は男でありながら悟りも開けず、尼僧に法戦を挑まれても答えることさえできない。何と情けないことだ。そう思うと居ても立ってもいられなくなり、ついに心の底から大憤志を起こし、庵を捨て師をもとめて修行の旅に出る決心をした。

その夜、荷物をまとめていると護法神が現れて告げた。「この山を離れることはない。すぐに大菩薩がやって来て法を説いてくれるであろう」。はたして十日ほどすると肉身の大菩薩である天竜和尚がやって来た。天竜和尚は大梅法常(たいばいほうじょう)禅師の法嗣(はっす)であり、馬祖道一(ばそどういつ)禅師の孫弟子である。

倶てい和尚は礼を尽くして天竜和尚を迎えると、一挙一動も見逃さないように、一言半句も聞き逃さないように、全身全霊を傾けて指導を仰ぎ、そして実際尼との法戦のことを話し、仏法の端的をたずねた。すると天竜和尚は無言で一指を立てて示し、倶てい和尚はそれを見て忽念(こつねん)と大悟した。以来、倶てい和尚はただ一指を立てて修行者を指導した。

あるとき小僧さんが「倶てい和尚は何の法要を説くのか」と外出先できかれ、和尚のまねをして指を一本立てて見せた。帰ってからそのことを報告し指を立てて見せると、和尚はその指先を刀で切ってしまった。小僧さんが泣きながら逃げ出すと、和尚は後ろから声をかけ、振り向いたとき一指を立てて示した。それを見た小僧さんは豁然(かつねん)と開悟した。

臨終のとき門下の修行者に、「私は天竜和尚から一指頭の禅を得た。それは一生かかっても使い尽くせないものであった」と言って滅を示した。

参考文献「景徳伝灯録巻第十一。金華山倶てい和尚」

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