御洒落御前物語
白隠禅師の仮名法語、御洒落御前(おしゃらくごぜん)物語は、井原西鶴や近松門左衛門の著作で有名になった「お夏清十郎」の話をもとに書かれたものである。その「お夏清十郎」は、一六六一年ごろ実際にあった事件を題材にした作品とされ、元の事件の詳細は不明であるが、西鶴の好色五人女では次のようなあらすじになっている。
姫路の米問屋但馬屋(たじまや)の手代清十郎が、店主の妹お夏と密通し大阪へかけ落ちした。ところが二人はすぐに見つかって連れもどされ、しかも清十郎は店の金を持ち出した無実の罪で処刑されることになり、それを伝え聞いたお夏は発狂する、という内容である。
だから「お夏清十郎」は事実にもとづくとはいえ創作であるが、この二人を慰霊する比翼塚(ひよくづか)という石塔が、姫路の慶雲寺に今も残っているほど、当時この作品は大評判になった。そのため法語の「おん年十六歳の播州の娘」という書き出しを読めば、当時の人なら誰しも、これがお夏清十郎をふまえて書かれたものだとすぐに気づくはずであり、それでなければ最後に清十郎が出てくる理由が理解できないのである。
文中に「いろや博奕(ばくち)の御はなしならば、昼夜ねずとも面白かろが、こんなはなしは気に入るまいぞ」とある。おん年十六歳の娘は、そうした「色やばくち」にしか興味を持たない人間を導くために、白隠禅師が創作した人物なのである。なお御洒落はおしゃれなことを意味し、御前は静御前とか巴御前などと使われる尊称であるから、御洒落御前はおしゃれな色気盛りの美人のことである。
白隠禅師は俗謡の「向こう通るは清十郎じやないか、笠がよふ似たすげ笠が」という言葉にひかれて、この法語を書いたのだと思う。一休禅師に「本来の面目坊がたちすがた、ひと目見しより恋とこそなれ」という歌がある。白隠禅師は清十郎にこの「本来の面目坊」の役を与えたのであり、清十郎を想うお夏のような心で修行に励みなされ、そうすれば見性得悟して本来の面目坊にお目にかかることができる、といいたいのである。
「笠が似たとて清十郎であらば、お伊勢参りはみな清十郎」も俗謡の一部である。見性だけではまだ不十分、本来の面目坊を見まちがえることもあるから、悟後の修行に精出しなされというのであろう。
中ほどにある「てんぽの皮」のてんぽは、運に任せて行き当たりばったりにすることを意味し、皮は「みんなうその皮」というように意味を強める言葉である。だから「てんぽの皮」は「破れかぶれ」といった意味になる。
御洒落御前物語(おしゃらくごぜん・ものがたり)
闡提老翁戯作(せんだいろうおう・げさく)
ここに播州(ばんしゅう)灘やのむすめ としは十六お洒落ざかり
器量こつがらサテたぐひなき 唐(から)で楊貴妃、日本の小町
花にたとへりや吉野のさくら 腰の細さは川辺(かわべ)の柳
釈迦も達磨も阿羅漢たちも 端(はっ)とおどろき手をうちはらふ
去年(こぞ)の春よりただうつうつと 思ひ顔して日影をこのむ
いろでやせるか心苦がますか かたりたまへと人さまいへば
辛苦なければ色でもやせぬ 私しや悟りに浮き身をやつす
寝てもおきてもさて歩くにも どふぞどふぞとただ一すじに
心がけたりや、つい埒(らち)あいた
とかく皆様、異見じやないが わしがいふことよふ聞かしやんせ
あはれなるかな世間の人の 暮らす家業をよくよく見れば
千年百年(ちとせももとせ)生くべきよふに 心うかうか月日をおくる
今に死すべき事をも知らず 慈悲も情けも後生の事も
欲の余りにただあやまりて 未来苦患(くげん)のあることしらず
此世(こんぜ)来世も助かりたくば うたぬ隻手(かたて)の声聞かしやんせ
経や陀ら尼(だらに)をよむより勝る 直に仏のおすがたとなる
未来蓮華はまだるい事よ 西も東も南も北も
土や草木や海山かけて 蓮華ならざる所はないぞ
西方(さいほう)極らく十万億も 直に足もと、それはなの先
それも見性(さとり)の眼(まなこ)がなけりや どこもかしこも三途の地ごく
またも刃(やいば)の山ともなるぞ とかくつとめて見性(けんしょう)すれば
三途地獄(さんずじごく)も刃の山も きへて浄土と現れにける
今に死すともてんぽの皮よ 自己がひらけにや此世(このよ)をかけて
万劫末代、地獄の修行 たとへ学文(がくもん)博識とても
死ねば奈落の罪人となる 在家なりとも見性すれば
生死はなれて明るい世界 さとり開かぬお寺にまさる
いろや博奕(ばくち)の御はなしならば 昼夜ねずとも面白かろが
こんなはなしは気に入るまいぞ こころ強くもいひきかすれば
みんなそびら(背中)に汗水流し 笑止がほして我が家に帰る
無常なる哉その年暮れに 思ひがけなき病に付いて
床の上にて臥しにける 今をかぎりと両親(ふたおや)達は
後(あと)や枕に立ち添いよりて なみだながして念仏進む
娘もとより見性すれば 親に向かひて申せし様は
わしがからだは去年の春に 後生極楽疑ひなけりや
今に死すとも苦は有りませぬ 辞世二首と紙筆(かみふで)とりて
ついに二首の歌書きつけぬ それや紀念の末期の一句
向こう通るは清十郎じやないか 笠がよふ似たすげ笠が
笠が似たとて清十郎であらば お伊勢参りはみな清十郎
参考文献「白隠禅師法語全集第十三」吉澤勝弘訳注 禅文化研究所 平成十四年
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