お婆々どの粉引歌
白隠禅師の仮名法語の代表作、お婆々どの粉引歌(こひきうた)は、七・七・七・五の都々逸節(どどいつぶし)形式で書かれた法語であり、登場するお婆々は私たちの本心本性を擬人化した人物、粉引歌は石臼を引くときの仕事歌である。そのため原作には、石臼でお茶を引くお婆々とお多福女郎の絵が添えてある。
女郎がお茶を引くのは、客が付かずに売れ残っていることを意味し、この絵にお多福女郎が登場するのは、歌の初めにお多福女郎の歌が出てくるからである。それではなぜお多福女郎の歌が初めに出てくるのかというと、粉引歌は世阿弥(ぜあみ)の作とされる謡曲、山姥(やまんば)を踏まえて書かれており、山姥の導入部で「百ま」という遊女が山姥の話の糸口を引き出す役を受けもつように、お多福女郎の歌が粉引歌をひき出す役を受けもっているからである。
その山姥という謡曲は、一休禅師の作ではないかといわれるほど大乗仏教的な性格を持つ謡曲だという。また江戸時代初期の沢庵(たくあん)禅師にも、山姥の物語を大乗仏教の立場から解き明かした山姥五十首和歌という道歌集があり、つぎの二首からわかるようにこの歌の山姥は心を意味している。
「さだまりて、山姥といふものはなし、心の変化これをいふなり」
「山姥といふはこゝろの名なりけり、心のゆかぬおくやまもなし」
おそらく白隠禅師は、山姥五十首和歌と謡曲山姥を参考にしながら、登場人物の名を山姥から主心お婆々にかえて、この仮名法語を書いたのであろう。
この法語は前後二つに分けることができる。つまり「堕(だ)して苦しむ地獄もないが、往(ゆ)ひて楽しむ浄土もないぞ」までが前半部分であり、この法語はそこまでは一般むけの分かりやすい内容になっている。ところがなぜかそのあとには修行者向けの辛口の言葉が並んでいる。仮名法語は本来、一般の人に向けて分かりやすく仏法を説くはずのものなのに、後半は修行者向けのお説教になっているだけでなく、一般には理解できない公案の名前まで列挙されているのである。
そのあたりのことを白隠禅師法語全集の訳注者、吉沢氏は、この歌が巷に広がって田婦野老(でんぷやろう)までが歌い出すようになれば、布教する側の禅僧も自分の足もとを点検せざるを得なくなる、それが白隠禅師の狙いではないか、と推測している。後半の辛口部分で禅師が言っているのは以下のことである。
悟るだけでは不十分。悟後の修行が大切である。
悟後の修行とは菩提心のことである。
菩提心とは上求菩提(じょうぐぼだい)と下化衆生(げけしゅじょう)のことをいう。
下化衆生は法施が主である。
法施を実践するには、見性すること、公案でもって見性体験を深めること、広く学んで法財を身につけること、が大切である。
お婆々どの粉引歌
あのゝ下もの町の
新べさんのゝおふくは
鼻はひしやげたれどほうさきが高ふて
よひおなごじやの
なんのかのてゝ
いつかひおせわでござんす
天じや天じやと皆様おしやる てんのとがめもいやでそろ
文(ふみ)の数々恋ひ焦がれても わしは当座の花はいや
数の男の思ひもこわひ みめの好ひのも気の毒じや
器量好しめと誉めそやされて 男ぎらひの独りねを
命取りめと皆様おしやる わしは命はとらぬもの
那須の与市は矢さきで殺す おふ(お福)が目本で人殺す
数の殿子(とのご)は限りもないが わしがいとしは只独り
婆々が粉歌は面白かろが ふくがしらべは知りやるまい
知音どしなら歌ふもよいが やぼな御客にや遠慮しや
お婆々どの粉引き歌
所望 所望
有り難ひぞや天地の御恩 あつささむさの程までも夜と昼ともなふてはならぬ ひるは働く夜分は休む
雨露(うろ)の御恩で五穀もみのる すへの野山の草木まで
君(きみ)の御恩は山より高ひ 賎(しず)がわら屋の果て迄も
繁盛召されよ萬代(よろずよ)までも 風に草木のなびく様に
忘れまいぞよ御主(ごしゅう)の御恩 遠きあの世の後(のち)迄も
親の御恩は海より深ひ 恩を知らぬは犬猫じや
孝行する程子孫もはんじやう おやは浮き世の福田(ふくでん)じや
心短気な殿子のくせに 主(しゅう)の専途(せんど。大事)にや遁(に)げ走る
忠と云ふ字をよくよく見れば 外(ほか)え散らさぬ此の心
五尺余りのからだは持てど 主心なければ小童(こわらわ)じや
武芸武術も第二のさたよ とかく主心(しゅしん)がおもじやもの
主心なければ空き家も同じ きつね狸も入り代わる
周の文武の太公望が 云ふておかれた名言がござる
武家の大事の三略の書に 驚悲(きょうひ)乱りに起こるはどふじや
武士に主心の定まらぬ故 主心定まる修行しや
弓は鎮西(ちんぜい)八郎殿よ 槍は真田よ太刀打ちや九郎
たとひこれ等を欺く人も 主のここわの(いざという時の)専途の時に
主心なければ腰ぬける
主心、至善(しいぜん)二つはないぞ 常に正しき此の心
唐の大和の物知りよりも 主心定まる人が好ひ
武士を絹布で食わせておくは 主の専途の一小口(ひとこぐち。要所)
多芸多能も先ずさしおいて 主心定まる場所を知れ
主心、至善定まる時は 持斎持戒も外(ほか)にやない
有り難ひぞや主心の徳は 太刀(たち)や剣(つるぎ)の刃も立たぬ
弓も鉄砲も届かぬからに 敵と云ふ字は更にない
空も月日も海山かけて 土も草木もみな主心
神とまります高天が原も 五欲三毒ないところ
民を新たにするとは云へど 至善定まる迄の事
出家沙門も高位も智者も 主心なければ皆民じや
宮もわら屋よ、わら屋も宮よ 主心一つが潮ざかひ
上下万民主心があらば 治めざれども世は万歳
嬉れしめでたや主心の徳で うたぬ隻手(かたて)の声をきく
悟り迷ひを口には説けど 主心居(すわ)らにや、なんじややら
袈裟や衣で見かけは好ひが 主心すわらにや、ひよんなもの
四国西国めぐるも好ひが 主心なければむだ道よ
主心、丹田気海にみつりや 仙家(せんか)長寿の丹薬(たんやく)よ
丹を錬(ね)るには鍋釜いらぬ 元気丹田に居(すわ)るまで
不死の丹薬望みな人は つねに気海に心おけ
虚空界より長寿な者は 気海丹田に住む主心
気海丹田に主心が住めば 四百四病もみな消ゆる
主心お婆々はいくつになりやる わしは虚空とおないどし
虚空おやぢは死にやろと儘(まま)よ わたしやいつでも此の通り
山河大地を我が子に持てば わしにや不足な事はない
武士の身の上や覚悟がおもじや 生きて一度(ひとたび)死ぬが好ひ
生きて死ぬるは最易(もやす)ひ事よ 主心お婆々に出逢ふて問へ
主の御恩で仕立てたからだ 喧嘩などする不覚者
武士は臆病も忠義の一つ 一度主君に上げおくからだ
我が身ながらも自由にやならぬ 大事大事と守りましよ
内証づき合ひ傍輩(ほうばい)どしにや 狗(犬)と云ふとも腹立つな
主の為なら無間(むげん地獄)の底も 修羅も紅蓮(ぐれん地獄)も辞退せぬ
命限りに切り込む所存 是れが勇士の常の住(じゅう)
主心お婆々はどこらにござる 気海丹田の裏店(うらだな)かりて
気海丹田はどこらの程ぞ 臍(ほぞ)の辻から二町下(しも)
臍のぐるわ(まわり)に気が聚(あつ)まれば とりも直さぬ大還丹(だいげんたん。長生の仙薬)よ
いともとふとや還丹の徳は 須弥も虚空も砕けて微塵
十方法界、実相無相 見られてもなく見てもない
生死涅槃もきのふの夢よ 煩悩菩提の迹(あと)もない
堕(だ)して苦しむ地獄もないが 往(ゆ)ひて楽しむ浄土もないぞ
ここに一期(いちご)の大事がござる 真正得悟(しんしょうとくご)の知識に逢わにや
世間多少の修行者どもが 三二十年難行苦行
思ひ計らずこの場に到りや もはや悟った大隙(おおびま)あいた
おらはこれから心の儘じや 殺生偸盗(せっしょうちゅうとう)も気遣(きづか)いないぞ
五逆十悪、好ひなぐさみよ 因果むくひも無ひからと
邪見断無のわがまま悟り よその見る目も恐ろしや
励み求めし見性の法は いまは地獄の種となる
もとの主心は皆消へ失せて 魔縁天狗が入り代わる
過去の縁因(えんいん)拙ない故に ついに真正の明師(めいし)に逢わにや
悟後の修行の奥義(おうぎ)も知らぬ もとの凡夫がいつそ増し
今は澆末(ぎょうまつ。末世)法滅の時 邪見邪法の起こるも道理
支竺扶桑(しちくふそう。中国、インド、日本)の三国ともに 真の禅宗は地に落ち果てゝ
ことに怪しき邪法がござる 曹洞黄檗、済家(さいか)もともに
善知識じやと呼ばるるわろ(奴)も 人に対する説法を聞けば
真正向上の禅法と云ふは 坐禅観法に用事もないが
仏経祖録もさらさら入らぬ 木地の儘ながまことの仏
仏求むりや仏に迷い 法を求むりや法縛(ほうばく)を受く
仏果菩提も夢中の夢よ 生死涅槃も飛ぶ鳥のあと
好きも悪しきも皆打ちすてて 木地の白地で月日を送れ
障りや濁るぞ渓河(たにがわ)の水 問ふな学ぶな手出しをするな
これがまことの禅法だ程に 見ぬが仏ぞ知らぬが神よ
これを聞くより彼の大勢の 無智や懶惰の役坐(やくざ。役に立たぬ)のやから
扨(さ)てもとうとひ教化でござる もはや是れから我々どもは
おもひ寄らざる生き仏じやぞ くふてはこして寝るばかりじやと
並び睡(ねむ)るを脇より見れば 大勢並んで櫓(ろ)をおす如く
いかが成り行く身の果てやらん 仏法破滅の大前表(ぜんぴょう。前ぶれ)よ
悟後の修行とはどの様な事ぞ おばゝ知てなら歌ふて見やれ
これは大事をお尋ねそふ(そうろふ)よ 五百年来すたれた法じや
諸善知識も知らぬが多ひ 悟後の大事はすなわち菩提
昔、春日の大神君(たいしんくん)の 解脱上人にお告げがござる
およそ倶盧孫仏(くるそんぶつ)より以来 たとひ天下の智者高僧も
菩提心なきや皆々魔道 菩提心とはどうした事ぞ
やまん婆女郎も歌ふておいた 上求菩提(じょうぐぼだい)と下化衆生(げけしゅじょう)なり
四弘(しぐ)の願輪に鞭打ち当てて 人を助くる業(わざ)をのみ
人を助くにや法施(ほっせ)がおもじや 法施や万行のうわもり(積み重ね)よ
有り難ひぞや法施の徳は たとひ仏口(ぶっく)も尽くされぬ
法施するには見性が干要 見性ばかでは乳房(ちぶさ)が細ひ
細ひちぶさじや好ひ子は出来ぬ よい子なければ跡絶へる
隻手音声(せきしゅおんじょう。公案の名)もとめ得ておいて ここで休すりや断見外道
次に千重の荊棘叢(けいきょくそう。いばらの草むら)を 残る事なく透過せよ
お婆々死んでは何国(いずく)えござる とめて給(た)もれよ帆かけ舟
四十九曲がり細(ほ)そ山道を 直ぐに通らにや一分(いちぶん)立たぬ
風の色香はどの様な物ぞ 次に夢中の祖師西来意(そしせいらいい)
最後万重の関鎖(かんさ。公案)がござる これが禅者のむなふく病(びょう)ぞ
関鎖なければ禅宗は絶へる 命かけても皆透過せよ
昔、黄檗運(おうばくうん)禅師 常に嗟悼(さとう。嘆き悼む)し惜しませたまふ
さても牛頭山(ごずさん)宗融(そうゆう)大師 常に横説竪説(おうせつじゅせつ。自由自在に説く)はすれど
未だ向上の関鎖を知らぬ 関鎖なければ禅じやない
鯉魚(りぎょ)も龍門万重を越へる 野狐も稲荷の鳥井は越すぞ
さすが禅宗のめしやくひながら 関鎖とおらにや分立たぬ
祖山寿塔(そざんじゅとう)に五祖牛窓櫺(ごそうしそうれい) 乾峯三種(けんぽうさんじゅ)に犀牛(さいぎゅう)の扇子白雲未在(はくうんみざい)に南泉遷化(なんせんせんげ) 倩女離魂(せいじょりこん)に婆子焼庵(ばすしょうあん)よこれを法窟(ほっくつ)の爪牙(そうげ)と名づけ 又は奪命(だつめい)の神符とも云う
これら逐一透過の後に 広く内典外典(ないてんげてん)を探り
無量の法財集めておいて 三つの根機を救わにやならぬ
三つの根機の其の中ゝに 真の種草(しゅそう)を求むるがおも
真の種草が真実欲しか 法窟の牙(げ)と奪命の符と
鳥の両羽(りょうは)を挟(はさ)むが如く これがなければ種草は出来ぬ
これが即ち仏国の因 とりも直さず菩薩の大行
たとひ虚空は尽きやろと儘よ こちの弘願(ぐがん)は果てしやない
頼み入るぞよ千歳(ちとせ)の後も ひとりなり共、当家の種草
婆女(ばじょ)が心をよく参究せば 祖師の真風は地におやせまい(落ちやせまい)
油断召さるな、おまめでござれ ばゝは是からおいとま申す
主心御婆々粉引き歌終り
寶暦庚辰冬仏成道日(一七六〇年十二月八日。白隠禅師七十六歳)
沙羅樹下老衲書
蛇足最初に出てくる「あのゝ」とか「新べさんのゝ」の「のゝ」は、見たことのない言葉であるが、意味としては「の」一字と同じだと思う。語調をよくするため二字にしたのだろう。
「鼻はひしやげたれどほうさきが高ふて」の「ほうさき」は「頬の先」らしい。お多福は丸顔で鼻はぺしゃんこ、おでこと頬が出っ張っている。
「並び睡(ねむ)るを脇より見れば、大勢並んで櫓(ろ)をおす如く」は、坐禅をしながら居眠りをしている様子。
「やまん婆女郎も歌ふておいた、上求菩提と下化衆生なり」は、世阿弥作の謡曲山姥に登場する遊女の歌、「法性峰そびえては、上求菩提をあらはし、無明谷深きよそほひは、下化衆生を表して、金輪際に及べり」を指している。
「四弘(しぐ)の願輪」は「衆生無辺誓願度、煩悩無尽誓願断、法門無量誓願学、仏道無上誓願成」の四弘誓願文(しぐせいがんもん)。
「隻手音声(せきしゅおんじょう)」は二つの公案を一つにまとめたもの。隻手は「両手を打てば丁々(ちょうちょう)と音がする。打たぬ片手の声を聞いてこい」という公案。音声は「隻手の音声を止めてみよ」という公案。
「お婆々死んでは何国(いずく)えござる」は、南泉遷化(なんせんせんげ)か兜率三関(とそつさんかん)の公案から来ているらしい。いずれも死んだらどこへ行くのかという公案。
「とめてたもれよ帆かけ舟」は「沖の帆掛け舟を止めてみよ」という公案からきている。私が修行した道場は港を見下ろす高台にあったのでこの公案はぴったりだった。
「四十九曲がり細(ほ)そ山道を、直ぐに通らにや一分(いちぶん)立たぬ」は、「曲がりくねった道をまっすぐに通ってみよ」という公案から来ている。
「祖山寿塔、五祖牛窓櫺、乾峯三種、犀牛の扇子、白雲未在、南泉遷化、倩女離魂、婆子焼庵」、これらは八難透(はちなんとう)と呼ばれる公案。
なお段落とカッコの中の説明は私がつけたものである。
参考文献
「白隠禅師法語全集第十三冊粉引歌」 芳澤勝弘訳注 平成十四年 禅文化研究所