白隠禅師の子守唄
子守唄は白隠禅師晩年の作とされているが、詳しい制作年代は分かっていない。子守唄を歌って守り育てる赤子というのは仏心のことである。「この子大事に守りさへすれば、生死離れて無漏土(むろど)に至る」とあるように、禅師はすべての人が仏さまに成長することを願って、この歌を残してくれたのである。
唄の中にそれほど難しい言葉は出てこないが、「伊勢の太神(おおかみ)三杵(みきね)の御供(ごくう)、宮は茅葺(かやぶ)きおごらすまいと、神の恵みのアラ有り難や」は説明が必要だと思う。伊勢神宮では三回だけ杵(きね)で搗(つ)いた米を炊いて神様に供えている、つまり神様は粗末な玄米めしを食べておられるというのである。また「宮は茅葺き」も粗末な建物を意味しているから、伊勢の神様はこのようにして質素倹約の手本を示してくれているというのである。
「ここは娑婆(しゃば)とて堪忍(かんにん)国土、忍をなす故、人ではないか」。私はこの言葉を自戒の言葉にしている。
「金は限りのあるものなれば、入るを計りて出だすが好いぞ」。この一節は日本の政治家に捧げたい。
子守唄
子守り唄をばうたうて聞かしや うたやよいよい、よい子に成るぞ
その子どこにと尋ねてみれば どこに居るやら無明の闇で
ありか知れねど余所(よそ)ではないぞ
母の胎内宿りしよりも ついに離れず身に引き添うて
熱い冷たいよしあし共に 指図次第に任せて置けば
悪い事せず善い事ばかり 神も仏もほかには無いぞ
されど日々悪智慧ついて 気随気儘(きずいきまま)の手勝手仕出し
いつの間にやらこの子宝に 凡夫頭巾をかぶせて仕舞ひ
あたら宝の持ちぐさらしよ
酒と色とにその身はただれ 遊楽(ゆうらく)夜あそび朝寝と小言
欲に目のないばくちの勝負 勝てば勝ちたし負くれば惜しく
山をこかそか山からこかそ うそで世渡りや浮かべる雲よ
栄耀栄華(えいようえいが)も昨日の夢じや
とかく正直正路に習へ 天地国王、主人や親の
恩の重きを心につけて 衣服食事におごりをするな
寒うひだるう無ければよいぞ 家財諸道具かざりはいらぬ
雨露(うろ)にあたらず用さへかなひ すめば住吉おごらぬ心
伊勢の太神(おおかみ)三杵(みきね)の御供(ごくう)
宮は茅葺(かやぶ)きおごらすまいと 神の恵みのアラ有り難や
貧と福とは天命なるぞ 知らで無理せばその身の過(とが)よ
心正直、少欲なれば 貧は貧でも不足はないぞ
結句(けっく)、金持ち苦労の種ぢゃ へらすまいとて貪欲すれば
親の金をも盗むに同じ ついに家庫(いえくら)空しく成るぞ
宝へらさぬ工夫というは 我が身つづめて仁心、発(おこ)し
慈悲と情けで人をば助け 家内眷属一家をはじめ
友と知音も成丈(なるたけ)すくへ
金は限りのあるものなれば 入るを計りて出だすが好いぞ
倹(けん)と吝(りん)とをよく弁えて 倹は我が身の奢りを省き
吝は内外に辛き目みせて 不仁不義から為す業(わざ)なれば
我に足ること知らぬが故ぞ 餓鬼の苦患(くげん)と言ふのはここよ
信(まこと)さへありや貧者も仁は 出来るものだよ、貪欲瞋恚(しんに)
愚痴を離れりやみな慈悲心よ 身にも口にも意(こころ)は猶も
人の助力や世界の道に よかれよかれとなすわざなれば
直に神なり菩薩の行よ
士農工商みな受け得たる 己が家職を大事にすれば
我と天地と相応いたし 四海兄弟、他人はないぞ
しかも佛の御法(みのり)の教え きけば一切男子も女子も
共に生々(しょうしょう)のわが父母ぞかし しかし他人の気に入るとても
主(しゅう)と親とに背いた時は 神や仏の守りは無いぞ
主は日月(にちげつ)、父母天地 これに仕へて忠孝すれば
神や仏を祈らずとても 常に身に添ひ守らせ給ふ
後生極楽ほかでは無いぞ 子供そだてが大事でござる
子供よければ我世を譲り 隠居したとこ安楽世界
現世安穏(げんせあんのん)未来は浄土 後生願いがたらわぬ時は
隠居しながら子の世話焼いて 鬼の呵責(かしゃく)や閻魔(えんま)の役目
親子もろともこの世が地獄
子供はじめは性善(せいぜん)なれど 愛が過ぎれば気随(きずい)になるぞ
友を選ぶが先ず第一よ 友が悪けりや悪いがうつる
友がうそつきや、うそつき習ふ
麻につれたる蓬(よもぎ)の草よ 親の仕業(しわざ)がみな子に移る
親がよければ子もよいぞ 親が欲なと子供も欲な
子供不孝で片親ないは なおも育てが大事でござる
父は与楽(よらく)の慈の教訓に 母は抜苦(ばっく)の悲の愛憐(あいれん)よ
これが片よりや片輪になるぞ 五体人なみ、心は片輪
慈悲の二つを一人の親が 兼ねて勤めしためしもあるぞ
むかし孟母は織りける機(はた)を 切って怒って子を励ませば
その子一途に学師につかへ 今も孟子と尊とばるるも
母の慈悲より起こるときけば 子供しつけが大事でござる
奉公さすなら情けをかけな 殊に女子には教えがいるぞ
嫉妬深いと衣類のかざり これも愚痴から起こるといへど
母の仕方がみな従ふぞ 母の気随(きずい)が娘に移り
母が奢(おご)れば娘も奢る 母が癇癪(かんしゃく)娘が短気
母を習ふが娘の道よ
外へやろふが跡目にせうが 妻は夫にしたがふ習ひ
内をおさむる役目となりて 気随気儘に身勝手すれば
家内乱れてしゆらくら(修羅のように)煮へる 修羅の道こそなお遠ざけよ
たとい夫は愚かにあろと 神や仏や主人と頼め
舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)我が二親(ふたおや)よ 下をあはれみ身を高ぶるな
夫婦和合は則ち天地
心正直内外の神よ 慈悲の仏に五ツの道は(五道:仁義礼智信)
人の人たる道こそ是れよ 儒仏神道(しんとう)みなこの事よ
寝るも起きるも立っても居ても いかに如何にと一心不乱
信をこらせばよい子が知れる 年はいくつか無量寿ぼとけ
いやな顔せずさて愛らしい 又と二人は無い御子(みこ)さまよ
唐(から)や天竺(てんじく)十方世界 どこも此の御子ひとりの沙汰よ
何宗角宗(なにしゅうかにしゅう)もひとつの月よ 須磨も明石も姥(うば)捨て山も
吉野竜田の紅葉も花も 外(ほか)を尋ぬる事では無いぞ
寒さこらへりや暑さが来る
ここは娑婆(しゃば)とて堪忍(かんにん)国土 忍をなす故、人ではないか
しとも無いとも親孝行と 主人忠義と家業を励め
是れをこらへてしなれりや遂に 実に忠孝礼儀になるぞ
万芸万能学問とても 始め上手な物では無いぞ
すべて堪忍その功積もり 妙に至りて師と仰がるる
むかし南都の明詮僧都(みょうせんそうず) 学をうとんで夜の間に寺を
出でて雨降り大仏殿に 宿るあしたが雨強く降り
軒の雨だれ当たりし石に 穴のあきしも天然自然
堅き石さへ穴あくからは 堅い文字(もんじ)もしばしば見れば
ついに了解(りょうげ)も成りそなものと 倦むをこらへて勤学(ごんがく)あれば
法相一宗の知識とよばれ 今の代(よ)までも名のかんばしき
したい事にはよい事ないぞ うそか遊戯(ゆげ)か奢りの沙汰か
色かばくちか朝寝か酒か 心よごれて地獄の種ぢや
是れもこらへてせぬのがよいぞ こらへさへすりや人には成るぞ
悪いくせよりよいくせつけよ 浄い汚いも分けたがよいぞ
地獄きたなし 清いは浄土
神も仏も皆我なりと 我意(がい)を立つれば即ち邪見
家に伝はる宗旨を替へな 国の御法度先祖の家法
堅く守るは祈祷の札よ
欲な願いで作善をこめる 神や仏は非礼を受けず
念仏、題目、経読むことも 悪と欲心忘れぬ時は
やはり今生(こんじょう)地獄におつる
在家却って極楽往生 我を離れた香華(こうげ)の供養
わずか一食を備ふるとても 功徳大いに罪咎(つみとが)のがる
思案分別みな妄想よ 我心自空(がしんじくう)は世尊の御法(みのり)
有り難いぞやかたじけないぞ 心清浄、正念にして
日々に新たに日々うたへ 念仏、題目、子守りの唄よ
この子大事に守(も)りさへすれば 生死離れて無漏土(むろど)に至る
願ひ次第に十方浄土 寂光極楽いずれへなりと
儒仏神祖(じゅぶつしんそ)も手を引き給ひ 往きて生まれて蓮(はちす)の臺(うてな)
ついに子守りも仏の位 家内安全、目出たかりける
子守り唄終
参考文献「白隠禅師法語全集第十三。粉引唄他」 芳澤勝弘訳注 平成十四年 禅文化研究所
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