病気に学ぶ

本格的にヒザを傷めてしまい、痛くて正座ができないどころか、歩いていても腰の方まで痛みが上がってくるようになった。暖めればいいと腰湯(こしゆ)を勧めてくれた人があり、試してみたらこれはよく効いた。へその辺りまで湯につかって暖めてやると、急速に痛みが薄らいでいく。これを続けていけば治ると喜んだが、治らなかった。暖めているときは良いが、すぐにまた痛くなる。

そこで一度、徹底的に検査してみようと病院へ行くと、ヒザの半月板(はんげつばん)の損傷が原因だといわれた。半月板は衝撃を和らげるためにヒザ関節の中に入っているクッションのような軟骨であり、半月形をしていることから半月板と呼ばれるが、実際は三日月形をしている人が多いという。いつ、どこで傷めたのか分からないが、正坐をしていて損傷することもあるというから、正座が原因なら労働災害である。

「半月板には血管が通っていない。だから一度損傷したら自然に治ることはない。治療法は手術だけ。手術しても完全に治るわけではないがやらないよりはまし。内視鏡を使った手術で一泊二日の入院」というのが医師の説明であり、一泊二日で多少ともましになるならと手術を決心した。

ところが手術前の健康診断で肺に異常が見つかった。肺ガンの可能性もあると言われて、ヒザが痛いどころの話ではなくなってきた。三年前に父を肺ガンで亡くしたばかりなので、肺ガン治療の難しさは知っている。だから肺ガンと聞いてこれはもうだめだと思い、急に世界が違って見えた。朝、目が覚めたとき「ガンかもしれない」とまず思い出すのは嫌なものだった。

その後しばらくは病院へ行くのが仕事になり、いくつか検査して帰ってくるだけで一日が終わった。病院という所は人のいやがる事ばかりする所である。結果は幸いガンではなかったが、結果が出るまでいろんなことを考えさせられた。もうすぐ死ぬかもしれないという事態に直面すると、それまで見えなかったものが見えてくる。その心の変化には自分でも驚いた。

まずいちばん痛感したことは、人間はいつ死ぬか分からない不確かな存在であり、今こうして生きているは当たり前のことではない、ということであった。何事もなく平凡に生きているのは、実にありがたいことなのである。

人がひとり死ぬというのは、それが我が身のことなら重大問題である。この瞬間にも紛争地域では多くの人が死んでいるが、そうした報道を見ても人ごとだと思って何も感じなくなっている。ところがそうした犠牲者も、かけがいのない命を生きていた人ばかりなのである。今回のことからそうしたことに少しだけ気がつき、そうした人の死が以前よりも身近に感じられるようになった。

私はこれまでガン検診を一度も受けたことがなかったし、そのような話に興味もなかった。ところがこの経験のあと、急にガンに関する話が耳に入るようになってきた。耳を傾けると、みんな様々な体験談を持っていた。ガン検診で引っかかることなど珍しいことではない、ということも知った。

自分が病気にならなければ病人の気持ちは分からない、ということにも気がついた。そして自分も、病気になったことのない人間を友人にするな、といわれるような人間であったと反省した。

身近な人が、あなたはガンかもしれません、と言われたら、どう慰めたらいいのかということも考えてみた。自分ならどう慰めてほしいのだろう。「レントゲンで影が写るのはよくあることです。たぶん大丈夫です。それにガンだったとしても心配ありません。今ではガンも治る病気です」というのが良いのだろうか。

死ぬということに比べれば、日常生活にたくさん転がっている腹の立つことなど、取るに足りないことばかりである。だから今日明日にでも死ぬという覚悟で生きていれば、小事に惑わされず、最善の生き方ができるはずである。菩提心とは無常を観ずる心なり、であり、無常観から出家した人は道心堅固な人が多いといわれるゆえんである。

とはいえ私はのど元すぎれば熱さを忘れる性格なのか、ガンでないことが分かるとすぐに心の痛みはなくなり、痛みのあったことさえすでに忘れかけている。

話をヒザにもどすと、一泊二日の入院で手術は無事に終わり、予定よりもたくさん半月板を削りとったからもう一晩泊まっていけ、と医師が勧めるのを断って、痛い足を引きずりながら病院を逃げ出した。

ひと晩だけの入院ではあったが、寝台に寝たまま手術室に運ばれるとか、麻酔をかけられるとか、麻酔が切れてきた時の痛みとか、点滴とか体の中に管を入れて排尿するとか、初めてのことをいろいろと体験し、老いの先に待ちかまえていることの一部もかいま見てきた。

最後に釈尊のお言葉をいくつかご紹介したい。

「老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も、順次に去っていく。熟した果実が枝から落ちていくように」

「大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところにいても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い」

「それ故に、修行者はつねに瞑想を楽しみ、心を安定統一してつとめはげみ、生と老いとの究極をみきわめ、悪魔とその軍勢に打ち克って、生死の彼岸に達する者となれ」

「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己(おの)が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」

「すべての者は暴力におびえる。すべての生き物にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」  (真理の言葉。感興の言葉。中村元訳。岩波文庫)

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