無功徳の話
曾野綾子氏の「アラブの格言」という本におもしろい言葉が載っていた。
「断食して祈れ。そうすればきっとよくないことが起こる」
言葉の解釈はこの本には載っていないのだが、この言葉は一体何を言いたいのだろうか。「利益を求めて神に祈ってはいけない。そんなことをすればかえって悪いことが起きる」と言いたいのだろうか。それとも「神は自ら助けるものを助く。祈るだけではだめだ」と言いたいのだろうか。アラブ人の説明を聞いてみたいものである。
断食して祈っても、坐禅をしても、読経をしても、本当は良いことも悪いことも起きはしない。そんなことで事態がころころ変わっていたら大変である。梁(りょう)の武帝(ぶてい)が、インドから中国にやって来たばかりの達磨大師に質問した。
「私は寺をつくり、人を出家させ、仏法を広めている。功徳はどれほどあるのだろうか」
大師曰く、「無功徳」
功利主義の中国で、この無功徳の教えが広まったのは驚くべきことだと思うが、無功徳は最高の功徳である。坐禅や読経は功徳を求めないところに功徳がある。臨済禅師も「求むる所あればすべて苦なり」と言っている。宗教の目的は永遠なるものに触れることであって、功徳を求めることではない。
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