大普賢岳(だいふげんだけ。一七八〇メートル)

二〇二〇年十月三〇日(金)晴のち曇

奈良県吉野郡にある大普賢岳は、修験修行で知られる大峰山(おおみねさん)の中でもとくに険しい峰。大峰山脈を縦走する奥駈道(おくがけみち)に七五ある行場(ぎょうば)の第六三番の行場。ただし今回の山行の第一目的は、大普賢岳支峰の日本岳の中腹にある岩屋群をめぐることだったので、まずは岩屋群の紹介から。ここには笙の窟(しょうのいわや)を筆頭に四つの岩屋がある。

大普賢岳を目指して登っていくと、道はやがて険しい岩場の下へと導かれていく。そこにまず登場するのが指弾(したん)の窟。これはほとんど奥行きのない小さな岩屋、指弾の名の由来は不明であるが、こんな岩屋ならこの辺りにいくらでもある、これではとても籠もったりできない、とつまはじきされる岩屋、指弾される岩屋ということでこの名が付いたのだろうか。この岩屋の中にあったのは十五枚ほどの木の札のみ。これはおそらく行者さんが行をしたとき残したものなので、この札が置かれたところは行場と考えていいのだろう。なおここでは指弾は「したん」と読むらしく、窟はすべて「いわや」と読む。

つぎが朝日の窟。到着したときちょうどこの岩屋に朝日が当たっていたので、東向きに口を開けた朝日の当たる岩屋、というのが名前の由来と考えてまずまちがいない。岩屋内には大峰満山護法□と彫った石が安置されていた。

笙の窟。これは円空さんも籠もったという大峯山の秘所とされる岩屋、標高一四五〇メートルにある第六二番の行場。岩屋の中のお堂に不動明王がまつられていたので、着くとまず読経をした。

この岩屋の上の崖はとくに見事な壁になっていて、覆いかぶさるようにそびえるこの岩壁が、楽器の笙に似ていることから笙の窟と呼ばれるとあるが、そう思って見ると笙の形に見えなくもない。笙は鳳凰をかたどった楽器といわれ、音も鳳凰の鳴き声を模したものとされる。その岩壁を見上げていたら、はるか上の方から水滴が降ってくるのが見えた。この壁はオーバーハングになっているのである。

岩屋の中にも水がしたたり落ちていて、下に置かれた鉢にきれいな水が貯まっていた。この水が不動明王に供える閼伽水(あかみず)であり、お供えの花の水であり、そして岩屋ごもりしたときの飲用や生活用の水なのであろう。この水のせいだと思うが、写真を見ると厳冬期のこの岩屋の中はつららだらけの状態になっている。「こけむしろ、笙窟(しょうのいわや)にしきのへて、長夜(ながきよ)のこる、のりのともしみ」。これは円空上人がここに籠もったときの歌。

鷲の窟。笙の窟のすぐ隣にあるこの岩屋の名は、岩屋の上に突き出た岩に由来する。その岩は横から見ると鷲の頭に見え、また人の横顔にも見える。岩屋の中には役の行者と、前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)という夫婦の従者の石像がまつられている。「しつかなる、鷲窟(わしのいわや)に、住なれて、心の内は、苔のむしろ□」。これも円空上人の歌。以上の四つが第一目的の岩屋群。

無双洞(むそうどう)。これは七曜岳(しちようだけ)の下に口を開ける水を激しく吐き出す鍾乳洞、籠もるどころか入ることもできない洞窟であるが、水量が減る冬には洞窟探検ができるとか。この洞の下に水簾(すいれん)の滝があり、このあたりの川の雰囲気はよかった。

底なし井戸。これは石灰岩台地に特有の垂直の縦穴、無双洞の近くにある。覗いても底は見えず、もちろん籠もることなどできない。

蟷螂(とうろう)の窟と蝙蝠(こうもり)の窟。この二つは山上ヶ岳(さんじょうがたけ)の登山口、洞川(どろがわ)温泉郷の奥にある鍾乳洞。川岸にふたつ並んで口を開けている。この鍾乳洞は役の行者が修行したという岩屋、今でも修験者が入山前に行をする一の行場になっているとある。両洞とも三〇メートルほど奥で通行止めになっているので奥行きは不明。

なお蟷螂とはカマキリのこと。蟷螂の窟は入り口部分の天井が低く、腰をかがめなければ入れない。その腰をかがめた姿がカマキリに似ているというのでこの名が付き、腰を低くして生きなさいという教えが説かれることになる。この洞窟の中に滴り落ちている水はご神水とあった。こうもりの窟の名は、籠もりの窟と呼ばれていたのが、コウモリが棲んでいることからこの名になったとか。これらの洞のあるあたりの川の雰囲気はよかった。

この二つの洞の近くに車をとめる場所はなく、車は県道二一号を二百メートルほど進んだゴロゴロ水の水汲み場の駐車場にとめるしかなかった。ゴロゴロ水はゴロゴロと音を立てて湧き出す水のこと、たくさんの人がこの水を汲みに来ていたことには驚いた。中には数十もの容器持参で来ている人もいた。一リットル汲んでも一トン汲んでも駐車料金は五百円均一、水源はすぐ上にある五代松鍾乳洞付近、ただし湧出する場所で汲むことはできないとか。水のうまいまずいは水温次第と思っていたが、ここの水のうまさは水温のせいだけではないようである。

岩屋めぐりのついでに国道一六九ぞいにある鍾乳洞、不動窟(ふどうのいわや)も見学するつもりでいたが営業していなかった。

岩屋ではないが天川村(てんかわむら)栃尾(とちお)の観音堂にも立ち寄った。ここはいかにも円空さん好みとおもわれる山里集落、小さなお堂のなかに円空仏が五体まつられていて、中に入ってガラス戸越しに円空仏を見ることができる。円空さんはこのお堂に籠もって作仏したのだろうか、それとも笙の窟で彫ったものをここに収めたのだろうか。近くにある天河大弁財天にも円空仏があるはずだが、それは見学できなかった。

     
出発

この日の行程は、駐車場出発、登山口の和佐又山(わさまたやま)ヒュッテ跡、和佐又のコル、岩屋めぐり、大普賢岳、七曜岳、無双洞、和佐又のコル、ヒュッテ跡、駐車場、であった。

ここの登山口には以前はスキー場、キャンプ場、ヒュッテなどがあったが、この秋に和佐又山ヒュッテが解体されたことで、ここの事業はすべて終了したらしい。そのためヒュッテ跡にある駐車場もトイレも使えず、徒歩で十分ほど戻ったところにある空き地が登山者用駐車場になっていた。おそらくこの辺りの道はこれからは荒れる一方だと思う。

この日の天気は快晴のはずであった。そして岩屋めぐりをしているときは、快晴とまではいかなくてもいいお天気であった。ところがハシゴと鎖がつづく山頂直下の難所で天気が急変し、雨には降られなかったが、濃い山霧につつまれ、強風に吹きまくられ、やっとたどり着いた山頂で見えたのは三角点ぐらい。

今回は岩屋めぐりが主目的だったので、大普賢岳はついでの登頂という気分であったが、天気が悪いわりに山頂までの所要時間は標準とかわらず、疲れてもいなかったので、これなら行けると大普賢岳往復コースを、奥駈道を七曜岳まで縦走してそこから下山する一周コースに変更した。

ということで奥駈道を進むと、水太覗き(みずふとのぞき)という場所があった。ここは水太谷を上から覗く場所、ガスが切れてきて紅葉に染まる険しい谷を見下ろすことができた。その先に、大普賢岳、小普賢岳、日本岳、名無しの小峰、という四つの岩峰がならぶ尾根を一望できる場所があった。この尾根を登ってきたのである。

七曜岳は単なる通過点という感じの小さな峰、ここから下山となるが、この先は道が分かりにくくて困った。落ち葉の季節ということで、落ち葉を浴びて歩くのは気持ちがいいとしても、落ち葉が道を覆いかくしているのである。要領よく付けた新しいテープが付いてなかったら、とんでもなく手間どったと思う。

しかも予定変更ということで七曜岳から下る道のことはほとんど調べておらず、大普賢岳から下る道より七曜岳から下る道の方が楽だろう、などと考えたのは甘かった。一周コースの場合、大普賢岳山頂で行程の三分の一であった。大普賢岳の登りにかかった時間は二時間半、七曜岳からの下りにかかった時間は四時間、しかもその途中には険しい岩場の登りが待っていた。最後にあんな石灰岩台地のへりを登る鎖場があるとは思わなかった。車で走っているときも石灰岩の岩場をよく目にしたので、このあたりは石灰岩の多い土地なのである。

この日は珍しいことに同じ人に四回抜かれた。まず笙の窟で写真をとっているときに抜かれ、次は日本岳のコルで抜かれた。日本岳の山頂に立ち寄ってきたのだという。小普賢岳にも立ち寄ったとかでその先でも抜かれ、最後は和佐又のコルの手前で抜かれた。今度はどこへ寄ってきたのかときくと、七曜岳の先にある行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)まで縦走してきたという。私なら二時間以上かかる山である。駐車場にその人のものらしき車がまだとまっていたので、おそらく和佐又山に立ち寄っていたのであろう。あやうく五回抜かれるところであった。

疲れ切って車にたどり着き、これは今日中に帰るのは無理かと思ったが、道の駅でしばらく休んでいたら元気が出てきたので、夕方の混雑時ではあるが一気に四時間車を走らせて無事に帰りついた。

    
植物教

この日の道は、登山口を除けばすべて自然林の中の道なので、木を見ながらゆっくりと歩いた。高い山に生えている木にはいつも心を引かれる。こんなところでよくがんばっていると、涙が出そうになることもある。

この山にはヒメシャラが多かった。これはサルスベリと呼ばれたりする幹がつるつるの木。もちろん庭に植えられるサルスベリとは違う。ホオノキも多く、大きな朴葉を踏んで歩いた。ブナの大木もたくさん見た。下山のとき和佐又のコルの手前で見たのがこの日の最大のブナであった。

植物は命のみなもとである。地球の年齢は四六億年、地上に生命が現れてから三五億年、そして十億年ほど前から植物が酸素を作るようになり、何億年もかけて現在の酸素濃度二一パーセントの大気になったとされる。その大気を吸って私たちは生きている。

植物が作っているのは酸素だけではない。地球上の食べ物のほとんどは植物が作り出したもの、肉食動物といえど草食動物が食べる植物なしでは生きられないのである。つまり植物は人間がいなくても困らないが、人間は植物がなければ生きられないのだから、もっと植物に関心と感謝の心を持つべきだと思う。

採集した植物標本四〇万点、千六百もの新種の植物を発見したという植物学者の牧野富太郎博士が、こんなことを書いている。人は草木の葉を見てもその美しさに心を打たれる。それが私たちの周囲には満ち満ちている。しかも植物は色とりどりの花まで咲かせて楽しませてくれる。花を愛さない人はいない。花を見れば、すさんだ心も雅びになり、罪人も過去を悔悟し、悪人も善人になる。草木を愛でることで人間愛を養うことができるのだから、植物は一つの宗教である。私が偉物であったなら、きっと草木を本尊とする宗教、植物教を作ってみせる、と。

もどる