文殊山(もんじゅさん。365メートル)

  二〇二〇年五月二五日(月)晴

福井市の南部にラクダのこぶのような峰を並べる文殊山は、越(こし)の大徳と呼ばれた泰澄(たいちょう)大師ゆかりの山。文殊山、白山(はくさん)、日野山(ひのさん)、越知山(おちさん)、吉野ヶ岳(よしのがたけ)、の五山は大師開山の山とされ、ひとまとめに越前五山と呼ばれている。なお越というのは北陸地方の古名、越の国が三つに分かれてできたのが、越前、越中、越後、の国。

泰澄大師は役の行者とならぶ修験道の祖、ということで越前五山の踏破を思い立ち、その手始めに選んだのが養老元年(七一七年)開山とされる文珠山、それとその山麓にある大師の生地に建つ寺、泰澄寺(たいちょうじ)参拝であった。山の宗教に興味を持ったのが今回の山行の動機であった。

文珠山は、小文珠(こもんじゅ。室堂とも)、大文珠(おおもんじゅ。三六五メートル)、奥の院(三五〇・五メートル。大汝とも)、の三峰からなり、小文珠には聖観世音菩薩、大文珠には文殊菩薩、奥の院には阿弥陀如来と大己貴神(おおなむちのかみ。大汝神とも書く)がまつられている。だから文珠山という山名は大文珠にまつられた文殊菩薩に由来するものであろう。なお大汝は神名では「おおなむち」と読み、山名では「おおなんじ」と読むことが多い。大文珠のお堂は解体修理中、この山の三角点は奥の院の小祠のうしろにあった。

案内板に大文珠に建っているのが本堂とあったが、どの寺の本堂かは書いてなかったので調べてみた。すると山麓の楞厳寺(りょうごんじ)という寺がお堂の管理をしているというから、その寺の本堂かと思ったが、楞厳寺境内にも本堂は建っているので、山上にあるお堂の中心という意味で本堂という言葉を使っているらしい。

この山は角原(つのはら)富士の名も持っている。この名は西行法師の「越に来て、富士とやいはん角原の、文珠が岳の、雪のあけぼの」という歌に由来するものだと思うが、この山は富士と呼ぶほど高くはなく、またどう見ても富士山型には見えない山容をしている。なお角原という地名は山の西側にある町の名として残っている。

この山には登山道がたくさんある。それだけ登る人が多いということなのだろうが、これほど枝道の多い山も珍しい。その中で今回わたしが歩いた二上(ふたかみ)地区からの道が、この山の表登山道になると思う。登山口にトイレ付きの広い駐車場があり、ここからだと小文珠、大文珠、奥の院の順に歩けるし、道もよく踏まれているというより小文珠までは軽トラでのぼれる道であるから、表登山道にふさわしいと思う。

その登山口の横で文珠山を貫くトンネルの工事をしていた。北陸新幹線のトンネルを掘っているというから、遠からずこのあたりは大きく様変わりすることになる。

駐車場に到着したとき駐車している車の多さに驚いた。平日の月曜日、しかもコロナウィルスの感染拡大のため外出自粛が叫ばれているときなのに、二〇台ほど入る駐車場はほとんど満杯状態であった。登山者が多い理由は繰りかえし登りに来る人が多いこと、毎日登山をしているというご老体にも会ったし、走って登っている人を何人も見かけたので、これはまちがいない。だから会うのは軽装の人ばかり、情報を仕入れる相手にも不足しないが、孤独に浸りたい人には向かない山である。

この山は、三山縦走の往復になるため高さのわりに歩きがいのある、自然林もよく残っていて花にも恵まれている、樹木が繁茂していて展望のいい山とはいえないが展望所からの眺めの良い、全体が文珠山城という山城の遺構でもある、樹木に名札が付いているものありがたい、という山であった。低くて見どころの多い山ということで、くり返し登りに来る人が多いのであろう。泰澄大師のころはどんな山だったのだろう。

登山道横でコアジサイが咲き初めていた。この山にはコアジサイが多い。カタクリの群生地としても知られ、クロユリも咲くというから、そのころにまた来たいと思った。小文珠の手前、道から少しはずれた所に、古い小さなお不動さんをまつる水場があったので水を汲んで帰った。ささやかなおみやげである。そこに三つ葉が生えていたが食べるには遅かった。奥の院の手前に胎内くぐりの岩がある。これは修験の山に付きものの生まれ変わりのための装置、狭い洞窟をくぐり抜けると新たな人生が待っているのである。

下山後、山の下にある白鳳山泰澄寺(はくほうざん・たいちょうじ)に立ち寄った。解説板によると、大師はここで白鳳十一年六月十一日に生まれ、三五歳で白山を開山、その開山まえに生家を寺にしたのがこの寺の始まりとある。ただし白鳳という年号は存在しない。場所は福井市南部の三十八社(さんじゅうはっしゃ)町、現在ここは真言宗智山派の寺になっている。

境内には本堂、泰澄大師堂、大師像、白山権現社、大師産湯の池、雷を封じたという雷の池、盤陀石(ばんだせき?)という大師修行の坐禅石、三十三観音めぐりのミニ霊場、地蔵堂、などがあり、本尊は大日如来と十一面観音とある。ただしなぜか庫裡が見当たらない。住職はここに住んでいないのかもしれない。

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