久須夜ヶ岳(くすやがたけ。619.1メートル)
二〇二〇年四月二八日(火)晴
福井県小浜(おばま)市にある久須夜ヶ岳は、小浜市民が毎日ながめ暮らしている山。小浜市の前に広がる小浜湾は、東から伸びる内外海(うちとみ)半島と、西から伸びる大島(おおしま)半島によって湾が形成されていて、その内外海半島の中央に形よくそびえているのが久須夜ヶ岳である。この山は若狭地方に三山という一等三角点のある山、残りの二山は百里ヶ岳(ひゃくりがたけ)と野坂岳(のさかだけ)。
この山は山頂付近まで車でのぼることができ、駐車場から山頂までは十分足らずの距離である。その山頂には大小のアンテナが十ほども立っていて、アンテナに囲まれた窮屈な場所に三角点が置かれているので、これで測量の役に立つのかと心配になる。
久須夜ヶ岳という山名は、山麓の堅海(かつみ)集落にある久須夜神社に由来するとされるが、久須夜神社の名前の由来は分からない。この神社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと。大国主命の別名)とあるが、久須夜ヶ岳を背に建っていることから判断すると、本来は久須夜ヶ岳をご神体とする神社だったのではないかと思う。
この山には道が三本。その一つはエンゼルラインという観光道路、この道路は今は無料で通行でき、景色も申し分のない道であるが、舗装された車道を歩くのでは登山とは言えないかもしれない。もう一つは泊(とまり)集落からの道、この道は歩いたことがなく状況不明。そして最後が今回私が歩いた、蘇洞門(そとも)巡りの観光船が接岸する蘇洞門海岸の船着き場からの道、ただし波の高いとき観光船はここに接岸しない。
ということでこの日はまず車で久須夜ヶ岳へのぼり、山頂からの出発で蘇洞門海岸へ下り、同じ道を登りかえすという行程をとった。日帰りの山行で下ってから登るという行程は珍しい。登り下りどちらが先でも同じようなものだが、帰りに登りが待っているのはある程度、心の負担になる。下りで一時間三〇分、登りで二時間二〇分ほどであった。
蘇洞門海岸は白い岩の断崖が続く景勝地であるが、内外海半島の外側に位置するため小浜の町からは見えない。そともという地名は、おそらく湾の外面(そとも)にあることに由来するのだろうが、蘇洞門という字の由来は不明。
登山口(下山口というべきか)があるのは山頂の西側にある駐車場。この細長い駐車場の奥が出発点になっているが、初めの二〇〇メートルほどはすぐ横を通るエンゼルラインをみなが歩くので、ほとんど踏まれていない。エンゼルラインがカーブするところから右の尾根に入り、主稜線上の広くなだらかな道を南西へと進む。この長い稜線が小浜市民が毎日眺めている稜線、左右ともに木々のあいだに海が見えるが樹木のため景色はよくない。この日は快晴であったが、生い茂る樹木のためほとんど日射しを浴びなかった。
この稜線に群生する椿が満開の花をたくさんつけていた。濃緑の葉の茂みのなかで咲く真っ赤な花の色が鮮やかであったが、ヤブツバキにしてはすこし開花の時期が遅い。海につき出た風当たりの強い場所のせいか、それとも種類が違うのか。(この椿はユキバタツバキという種類だという)
二五分で泊への分岐を通過、そこから五分で泊乗越(のっこし)。地名からするとここから泊へ下りる道もあったと思う。ここで主稜線を離れ蘇洞門海岸めざして北へとくだる。初めはつづら折りの道、つぎが斜面を横移動する道、それから尾根を直降する道。道はそこそこ踏まれている。途中にトリカブトの群生地があり、蛙の声が聞こえたので見ると尾根の下に小さな流れがあり、やがて木々のあいだに海岸が見え、波の音も聞こえてきて、最後はコンクリートの階段となる。
階段の途中から見下ろす、日の光を反射してキラキラとかがやく海の美しさに見とれた。岩の白と海の濃紺色との対比が鮮やか。対岸の大島半島先端にある大飯(おおい)原発の四基の原子炉建屋がよく見える。
下りたところに観光船の船着き場と、蘇洞門海岸で一番の名所、大門、小門(おおもん、こもん)の素通しの二つの洞窟がある。今は世界中の海岸がゴミだらけかと思っていたら、この海岸にはゴミがない。この磯にはゴミが寄らないらしい。透明度の高い海の中にエビらしきものがたくさん泳いでいる。崖の上から小さな滝が落ちているが、濁りがあったので飲むのはやめた。
コロナウィルスのため蘇洞門巡りの観光船は自粛、ということでこの名所をひとり占めであるが、本当は山歩きも自粛せよといわれている。人っ子一人いない山の中で感染するはずはないが、事故が起きたときには救助隊が防護服で救助しなければないので、登山も自粛せよというのである。
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