庚申山(こうしんざん。一八九二メートル)

   平成二七年五月二一日(木)晴

栃木県の西のはずれにそびえる庚申山は、皇海山(すかいさん)や袈裟丸山(けさまるやま)などと同時期にできた浸食の進んだ古い火山。山中に奇岩や洞窟や崖が数多く存在し、とくに山頂の東側は絶壁が連続する地形になっていて、その壁の中腹にこの山の眼目というべき「お山巡りの道」が通るという修験の山。

ところがこの日この山で会った十数人は、すべてお山巡りなしでの庚申山登山の人ばかりであった。「上級者以外は入らないように」という立て札が敬遠される理由かもしれないが、橋やハシゴが完備していて危険を感じるようなところはなかった。

お山巡りをしていると、本当にこんなところに道があるのか、この先は一体どうなるのか、と思う難所や名所が次々に現れてきて実におもしろい。なおそうした見どころには名前が付いているが、名前の表示のある場所は多くはないので、名前を確認しながら歩きたい人には見取り図がいる。お山巡りの道でいちばん景色が良かったのは「見晴らし」。ここではゆっくり休憩をとりたい。

庚申山は一二五〇年ほど前の西暦七六六年に、勝道上人(しょうどうしょうにん。日光を開いた行者)が開いた山、江戸時代にはお山巡りの道が人気を呼んで、庚申講による登山が盛んにおこなわれ、山の中腹には庚申講の本尊、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)をまつる神社も建っていたが、この神社は昭和二一年に焼失、再建されたのは山麓の銀山平(ぎんざんだいら)であった。

この山には食虫植物のコウシンソウというムシトリスミレの仲間の自生地がある。この植物は明治中期にこの山で発見され、ここの自生地は特別天然記念物に指定されているが、まだ開花の時期ではなく、また小さな植物ということで見つけられなかった。

この山には登山口が一つしかない。その登山口があるのは、国民宿舎かじか荘の先二百メートルにある林道の入り口であるが、この林道に車は入れない。駐車場は林道入り口に三台分、少し手前の空き地に十数台分ある。かじか荘の駐車場は登山者は利用できないと思う。

庚申山は日本の公害の原点とされる足尾銅山のすぐ裏にある山なので、庚申山の登山口からすぐのところに、備前楯山(びぜんたてやま)という足尾銅山のある山の登山口もある。この山は登り五〇分という手軽な山なので、ついでに登るつもりをしていたが、庚申山で時間を使いすぎたためあきらめた。

     
出発

この日の行程は、林道入口の登山口を出発、庚申川ぞいの林道、庚申七滝、一ノ鳥居、猿田彦神社跡、お山めぐり、庚申山山頂、庚申山荘、猿田彦神社跡、一ノ鳥居、登山口であった。

通行禁止と魚釣り禁止の看板が下がる林道入口で、これから釣りをするため林道に入るという人に会った。福島の原発事故による放射能の影響がこの川でも出ている。それが魚釣り禁止の理由であり、魚に対する放射能の影響を調べるためこれから釣りに行くので、車に乗っていかないかと誘われたが、靴を履きかえたり、荷物の確認をしないといけないからと断った。

ということでまずは片道一時間の林道歩き。以前は登山者も車で入れたとその釣人が言っていたが、急斜面の中腹に作られた落石の巣のような道なので通行禁止になったのだと思う。もっとも落石があったときには車に乗っている方が安全だと思うが。林道が通る庚申渓谷の新緑が美しかった。

林道終点にある一ノ鳥居が本当の登山口。近くにある庚申七滝に立ち寄ってから鳥居をくぐり、沢ぞいのなだらかな道を登っていくと、林道の入り口で会った人にまた会ったので、釣果を見せてもらうとイワナが七匹ばかり、その中には三〇センチもある大物が一匹いた。一時間たらずでこれだけ釣れるのはすごい。

鳥居から一時間ほどで猿田彦神社跡の広場につく。道はここで二つに分かれ、左は避難小屋の庚申山荘経由で庚申山、右の小さな川を渡るとお山巡りの道経由で庚申山。この川が最後の水場となり、川の横に建っているのは宇都宮大の小屋。元気なうちに危険なところを歩いてしまおうと、ここからお山巡りの道をめざす。シロヤシオが咲く樹林帯の気持ちのいい尾根を登っていくと、急斜面の上に岩場が見えてくる。

お山巡りの道の最後に、大胎内(おおたいない)と小胎内という通り抜けのできる二つの洞窟がある。ここは里見八犬伝で犬飼現八が山猫退治をする場所、八犬伝の舞台になったこの山や群馬県の妙義山は奇山というべき山、ここで庚申山荘経由の道と合流し、ここでこの日はじめて登山者に会った。

山頂には汚れた雪が少し残っていた。山頂は樹木のために展望はないが、百メートルほど先に皇海山展望台と呼ぶべき景色のいい場所があり、そこに立つと、皇海山、日光白根山(にっこうしらねさん)、男体山(なんたいさん)、女峰山(にょほうさん)などがよく見えるが、風当たりがあまりに強くて寒く景色を楽しむ余裕はなかった。

そこから皇海山へ向かって延びる尾根が鋸(のこぎり)尾根。鋸の刃のように十一の峰が列なるこの尾根が皇海山の表登山道であり、皇海山は庚申山の奥の院というべき山である。一昨年、皇海山でこの尾根を縦走してきたという若い男女に会った。庚申山荘で一泊してきたと言っていたが、下山のときにも一泊したのではないかと思う。庚申山荘は避難小屋にしては立派な小屋、夏期には管理人が常駐していて夜具もあるが食事はない。

今回の寄り道は日光市にある二宮神社、ここに二宮尊徳翁のお墓がある。最近できたばかりの道の駅に車を置き、まず墓参をしてから、日光街道と例幣使(れいへいし)街道の巨大杉並木を見学した。

もう一つの寄り道は中禅寺(ちゅうぜんじ)湖畔にある中禅寺。中禅寺湖の名はこの寺名に由来し、ここの本尊さまは開山の勝道上人が立木(たちき)に彫ったという観音さま、その足元には根もまだ残っていて、この本尊さまがあるためこの寺は立木観音と呼ばれている。この寺の愛染堂の前にある桂の木は、昭和初期の映画「愛染かつら」に登場した木とあるが、当時の木は落雷で枯れて今あるのは二代目だという。

     
庚申信仰

庚申(こうしん)は干支(かんし。えと)でいう庚申(きのえ・さる)のこと、干支は十干十二支(じっかん・じゅうにし)のこと、干は幹、支は枝、を意味するという。

そして十干の内容は、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)。

十二支の内容は、子(ね。し)、丑(うし。ちゅう)、寅(とら。いん)、卯(う。ぼう)、辰(たつ。しん)、巳(み。し)午(うま。ご)、未(ひつじ。び)、申(さる。しん)、酉(とり。ゆう)、戌(いぬ。じゅつ)、亥(い。がい)。

これらを組み合わせたのが干支であるから、十干と十二支の組み合わせは全部で百二十通りになるが、十干を「甲乙、丙丁、戊己、庚辛、壬癸」の五組にわけ、同じ組の一方と組めばもう一方とは組まないというやり方で六十通りにしている。つまり干支は、日の場合は六十日、年の場合は六十年で一巡するから、干支の五十七番目に当たる庚申の日も六十日に一度巡ってくることになる。

中国の道教によると、人間の体内には三尸(さんし。尸には屍の意味がある)という三匹の虫がすんでいて、上尸(じょうし)は首から上、中尸は腹中、下尸は足にすむとされ、後には神扱いされるこれらの虫は、人間が犯す罪を体内からつねに監視し、庚申の夜その人間が寝たあと体から抜け出して天に昇り、寿命をつかさどる神に六十日間に犯した罪を報告する。すると神は罪に見合った分だけ寿命を削り、その分その人間は早死にする。

ところが庚申の日に徹夜をすれば三尸は報告に行けない。だから庚申の夜、身を慎しんで徹夜をすれば長生きできるという信仰が生じ、その夜明かしを守庚申(しゅこうしん)と呼び、三回続けて守庚申すれば三尸は恐れおののき、七回続ければ三尸は居なくなって心身ともに安らか、長命が得られるとされた。

その信仰が平安時代初期に日本に伝わって貴族の間に流行し、守庚申の夜は社交の場となり、また文学発展の場となった。寝ずに夜を過ごすための夜とぎとして、歌合わせや物語りなどが盛んにおこなわれたからである。

そしてこの行事が民間に広まって、庚申会(え)や庚申待(まち)の行事になり、さらに仏教、神道、修験道、などと結びついて様々な信仰や習俗が成立、それらは庚申講(こう)という講を組織しておこわれた。そうした行事の本尊には、仏教では主に青面(しょうめん)金剛、神道では猿田彦大神をまつり、庚申塔とか庚申塚という塔を建てることもおこなわれた。

この庚申待からさらに日待(ひまち)や月待(つきまち)の行事が派生し、これらも講を組織しておこなわれた。日待は前夜から精進潔斎して寝ずに夜を過ごして日の出を拝む行事。月待はお供え物などをして月の出を待つ行事。日待ちはおもに一・五・九月の吉日におこなわれた。

私が住む小浜ではお日待の行事が周辺部にわずかに残っていて、その内容は読経や礼拝をしてから皆で一緒に飲食をすること、今は夜明かしすることはないが、三十年ほど前までは夜明かししていたという。おそらくこの行事も遠からず消滅することだろう。

庚申待ちや日待といった行事が広まったのは、三尸の説だけではなく、多くの人が徹夜をすることに何かの良さを見出したのも一つの理由であったと思うが、徹夜をするとどんな良いことがあるのだろうか。

仏教系の庚申講でまつられる青面金剛は、病魔や悪霊の難を除くとされる金剛童子、全身青色、三眼、四手、怒髪天をつく憤怒相、頭頂にどくろをいただく、という姿で表され、帝釈天(たいしゃくてん)あるいは北方を守護する毘沙門天(びしゃもんてん)の眷属とされる。私の寺の近くに、庚申待ちをするために建てられたと思われる庚申堂が残っていて、そこでまつられているも青面金剛である。

神道系でまつられる猿田彦大神は、長い鼻と、高い背丈と、赤く輝く目を持つ天狗のような神。古事記や日本書記の天孫降臨(てんそんこうりん)神話に登場する、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天から降臨したとき道案内をしたという神である。この神が庚申信仰の本尊になったのは申(さる)が猿に通じるからであり、天狗の原型ともいわれる猿田彦大神を祀る神社は全国に二千社あって、その中心は伊勢の猿田彦神社である。

庚申山の名はこうした庚申信仰と何か関わりがあると思うが、この山名がついた理由とか、庚申山登山と庚申信仰との関係、登山の講と信仰の講との関係、といったことは分からなかった。

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