鳳来寺山(ほうらいじさん。六九五メートル)
平成二七年四月九日(木)曇
愛知県新城(しんしろ)市にある鳳来寺山は、ブッポウソウのお陰で有名になった山。そびえ立つ岩場が鳴き声を反響するため、この山ではブッポウソウの声がかくべつ大きくはっきりと聞こえる、と称讃されてきた鳴き声を、初夏の風物詩として昭和十年から毎年ラジオ放送したことで、鳳来寺山の名が全国的に知られるようになったのである。
ところがこの鳥は今はこの山に寄りつかなくなったという。その原因はパークウェイという車道ができたこととされるが、標高五二〇メートルに建つ鳳来寺の本堂まで階段が一四二五段、歩くと一時間かかるからこの道路は必要だと思う。
この鳥は仏法僧(ぶっぽうそう)と聞きなしされる鳴き声のため、ブッポウソウと通称されているが、正式名をコノハズクという小型のフクロウ類である。ところがややこしいことにブッポウソウを正式名とする鳥もいる。それは夏鳥として日本に渡ってくるブッポウソウ目のブッポウソウ、こちらはカワセミの仲間である。
そのカワセミの仲間にブッポウソウの名が付けられたのは、コノハズクが鳴くころ渡ってくること、コノハズクは夜しか鳴かずそのため声の主が確認できなかったこと、などの理由でまちがえられたからである。そのためコノハズクを「声のブッポウソウ」、ブッポウソウを「姿のブッポウソウ」と呼ぶこともある。なお仏法僧は仏教の三つの宝、仏と法と僧伽(そうぎゃ。仏弟子の集い)のことである。
鳳来寺山は二千万年まえの噴火でできた火山が、複雑な過程をへて現在の形になった山とされ、珍しい種類の岩が多いこと、植物相が豊富であること、古くからの山岳修行の山であること、などの理由で一九三一年に国の名勝および天然記念物に指定された。なおこの山の下には長篠(ながしの)の戦いで知られる長篠城址がある。
鳳来寺山の標高は六八四・二メートルとなっているが、その三角点のある山頂から北へ五分ほど行った瑠璃山(るりさん。六九五メートル)にこの山の最高点がある。瑠璃山は尾根の上に突きでた小さな岩山、鎖などは付いていないので無理に登ると下りられなくなる。
鳳来寺山という山名は鳳来寺という寺名に由来し、鳳来寺は利修(りしゅう)仙人が西紀七〇二年に開山した寺とされるが、何度も火災にあって史料が残っておらず、古い時代のことはおとぎ話的なことしか分からない。
利修仙人は山城国(やましろのくに。京都府南部)の生まれとされ、百済(くだら)の国へ渡って修行したともいわれ、文武(もんむ)天皇が病気になったとき朝廷から病気回復の祈祷を頼まれ、何度も招かれて断ることができなくなったので、やむなく修行していたこの山から鳳凰に乗って参内し、十七日間の祈祷をおこなうと病は全快した。そのため天皇はこの山に寺を作って仙人を開山とし、鳳凰に乗って参内したことに因んで鳳来寺と名付けたという。現在この寺は真言宗五智(ごち)教団所属の寺院になっている。
この寺の本尊は利修仙人作とされる薬師如来。山上にあることから峯薬師(みねやくし)と呼ばれるこの像は、日本三薬師の一つに数えられ、その本尊さまを安置する鳳来寺本堂は鏡岩(かがみいわ)という巨岩の下に建っている。この寺の山号は煙巌山(えんがんざん)、この日は霧のためこの山号にふさわしい霧で煙る岩山の景色を見ることができた。
源頼朝が荒れ果てていたこの寺を再興したという話も伝わっている。頼朝は平治の乱のあと平家方に捕らえられ伊豆に流されたが、三年間この寺にかくまわれていたことがあったいわれ、そのお礼として再興したというのである。
なお仁王門と東照宮は徳川幕府の三代将軍、家光が寄進したもの。初代将軍の家康は、岡崎城主の松平広忠(ひろただ)と伝通院、於大(おだい)の方の子であり、二人が立派な男子を授かりたいと鳳来寺の薬師如来に祈願して生まれたのが家康とされ、そのことを知った家光が仁王門と東照宮を寄進したのであった。徳川家から優遇されたことで、この寺は江戸時代には繁栄したが、明治になると廃仏毀釈の大波をかぶって衰退した。
東海自然歩道に重なっているため、この山の登山道はよく整備されているが、そのかわりに自然を守ろうとか、ゴミを持ち帰ろうなどの看板が目ざわりであった。わずかな時間歩いただけで数十回も見たのだから、大阪から東京まで自然歩道を歩くと千回もそうした看板を見ることになる。これは利用者に対する侮辱である。自然歩道に必要な標識は道標のみ、それも歩く人が見るのだから小さなもので充分である。また壊れたまま放置され立入禁止になっているあずま屋が三つあったが、これなど最初から不要なものである。
出発
この日の行程は、参道下の無料駐車場を出発、仁王門、本堂、不動堂、六本杉、奥の院の廃屋、鳳来寺山山頂、瑠璃山、再び山頂、天狗岩展望台、鷹打場(たかうちば)展望台、東照宮、再び本堂、参道の迂回路に入って馬の背、仁王門、そして駐車場であった。
車は参道入口にある広い無料駐車場にとめた。参道の奥に有料駐車場もあるが、参道の狭さを考えると勧められない。参道にはいくつかの石碑や彫刻、ネズの大木、みやげ物屋などがあった。
参道ぞいの民家がなくなるところから階段が始まり、滑りやすい石を並べて作った一四二五段の階段が本堂まで続き、前夜の雨で濡れていたので気をつけてはいたが、下りでついに滑って転んでしまった。途中に新日本名木百選に選ばれた樹高では日本一という樹高六〇メートルの傘杉がある。この山には杉の高木が多い。
本堂前に景色のいい展望台があり、そこの山桜が満開であった。山頂へ登る道の入り口は本堂の左側にある階段、そこから入って山を一周すると東照宮に下りてくるが、東照宮の登山口は分かりにくい。
山中には山岳修行のなごりの岩に切った足場があちこちに残り、奥の院は倒壊したまま放置されていた。この山には廃屋が多い。鷹打場展望台とか南アルプス展望台など景色のいい岩場が何ヵ所かあったが、霧のため景色は見えなかった。本堂からの下りでは馬の背コースを歩いた。小さな馬の背であるがあまり踏まれていない道の雰囲気がよかった。
見どころの多い山なので、解説を読んだり、写真をとったり、景色を楽しんだりで、五時間ほどかかった。こうした手軽な山に来たときはゆっくり歩くのがいいと思う。
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