八経ヶ岳(はっきょうがたけ。一九一五メートル)

  平成二六年五月一日(木)晴

奈良県南部にある八経ヶ岳は、奈良県から和歌山県にかけてそびえる大峰(おおみね)山脈の主峰にして、近畿地方の山の最高峰。この山は八剣山(はちけんざん)とか、役行者(えんのぎょうじゃ)が埋経した伝説があることから仏経ヶ岳(ぶっきょうがたけ)の名も持ち、八経ヶ岳の名はこの二つを合体させたものかもしれない。またすぐ横にそびえる弥山(みせん)は須弥山(しゅみせん)からきた山名だと思う。

百名山の一つ大峰山は、役行者が開山した修験修行の名山であるが、大峰山という名の峰は存在せず、ふつうは大峰山脈全体か、その一峰の山上ヶ岳(さんじょうがたけ。一七一九メートル)を大峰山と呼んでいる。大峰山脈はその全体が奥駈道(おくがけみち)と呼ばれる修験道の行場になっていて、北の起点は桜で有名な奈良県吉野、南は和歌山県の熊野本宮大社である。

「日本百名山」によると、深田久弥氏は洞川(どろがわ)温泉から山上ヶ岳に登り、奥駈道を縦走して弥山小屋泊、そして八経ヶ岳登頂というコースを歩いている。だから百名山踏破を目指すなら主峰の八経ヶ岳登頂をもって大峰山踏破とするべきだと思うが、この山脈でいちばん有名な山は山上ヶ岳である。

山上ヶ岳は三〇年ほどまえ吉野から往復したことがある。その道はいまも大峰山千日回峰行がおこなわれている由緒ある道であるが、距離の長いことが嫌われてこの道を歩く人は少なく、ほとんどの人は直下にある洞川温泉から山上ヶ岳に登っている。その洞川温泉に立ち寄ったとき、山中にしては立派な旅館が建ち並んでいることに驚いた。また山上ヶ岳山頂に建つ大峰山寺も山上とは思えない立派な寺であった。

奥駈道で大きなザックを背負った単独行の人を五〜六人見かけたので、三人に行程をきいてみた。すると三人とも前日に吉野を出発、避難小屋泊まりとテント泊で四泊五日の予定、という話であった。雪もほとんど消えたし、気候もよく、連休中でもある、ということで今が奥駆けの適期のようである。二〇キロから三〇キロの荷物を背負って歩く若者を見ていると、日本の国もまだ大丈夫という気がしてくる。

この山で感心したのは目障りな看板のないこと、「ゴミ捨て禁止」とか「火の用心」といった看板が、五〇メートルに一枚ぶら下がっている山もあるが、この山にはそういうものがまったくない。これは日本の山では奇跡に近いことなので、さすがに信仰の山と感心した。

     
出発

この日の行程は行者還(ぎょうじゃがえり)トンネル西口登山口から入山、奥駈道出合い、弥山、八経ヶ岳山頂、の往復であった。

現在ほとんどの人が利用している行者還トンネル西口登山口は、八経ヶ岳への最短の登山口であるが、ここへ入る国道三〇九は国道とは名ばかりの落石の巣のような一車線の道、しかも冬は通行止めになる。登山口の駐車場は一日千円、ここへは国道一六九方面から入るほうが道幅がひろく距離も短いが、洞川側の道も清流ぞいの魅力的な道であった。ただしくり返すがどちらにしても林道のような一車線の道である。

登山口からしばらくは平坦な河原、それから山腹の急登、主尾根の奥駈道に出ると修験道に関係するものが目につくようになる。奥駈道は自然ゆたかな味わいのある道、雪の上を歩くところがまだ何ヵ所か残っていて、雪が解けたばかりの所にコバイケイソウが一斉に芽吹いていた。広々とした弥山山頂には、弥山神社、営業小屋の弥山小屋、テント場、皇太子殿下行幸の石碑などがあり、八経ヶ岳はすぐ目の前。

八経ヶ岳との鞍部に天然記念物に指定されたオオヤマレンゲの群生地があるが、花はまだ咲いていなかった。八経ヶ岳は大峰山脈の最高峰であるが、単なる通過点という感じの狭い山頂なので神社などはなく、人の背丈ほどの金属製の錫杖が一本立つのみ。見まわすと、北には山上ヶ岳へつづく稜線、南には熊野へつづく稜線、東には大台ヶ原山が一望でき、どちらを向いても山ばかり、一軒の家も見えない、電話も通じない山頂であった。

     
大和三山

今回の寄り道は、奈良盆地の南部に三角形にならぶ大和三山(やまとさんざん)。これら三山とも国の名勝に指定された山なので、すぐ下まで住宅が迫っているにもかかわらず、山中には手付かずの自然林が広がっていた。もちろん古い歴史のある山なので太古からの原生林ではない。

その中でいちばん高い畝傍山(うねびやま。一九八.八メートル)は、橿原神宮(かしはらじんぐう。神武天皇をまつる)の有料駐車場から登った。山頂まで徒歩二〇分ほど、山頂には畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)の建物跡があった。この神社は昭和十五年に橿原神宮を拡張したとき、橿原神宮や神武天皇陵を見下ろす場所に建っているのはけしからんと、西側山麓に移転させられたのであった。その畝火山口神社に下山し、山麓を半周して車にもどった。

持統天皇の、「春過ぎて、夏来たるらし、白妙の、衣ほしたり、天香具山」の歌で知られる天香具山(あめのかぐやま。一五二.四メートル)は、西側の無料駐車場から登り、天香久山神社に下山した。十分もあれば登れる山頂には、国常立(くにとこたち)神社の小さなやしろが二つ建っていた。

耳成山(みみなしやま。一三九.六メートル)は、南麓にある耳成山公園の無料駐車場から登った。山頂まで五〜六分、山頂の手前に耳成山口神社がある。この山は三角錐形のととのった姿をしている。耳なしという言葉は余計なでっぱりのないことを意味するという。

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