荒船山(あらふねさん。一四二三メートル)
平成二五年十二月六日(金)晴のち曇
群馬と長野の県境にある荒船山は、国道二五四で県境を越えるとき必ず目につく山。国道横に高さ二百メートル、幅八百メートルという荒船山の象徴のトモ岩がそびえているからである。
この山の頂上部分は航空母艦の甲板のような台地になっていて、その甲板の幅は四百メートル、長さは二キロメートルにおよび、その航空母艦の艫(とも。船尾)の部分にあるのがトモ岩である。
トモ岩を眺めるには、県境になっている内山トンネルの群馬県側にある駐車場が最適であるが、ここからだと航空母艦を後ろから見ることになる。そのため山全体を横から眺められる場所はないかと探し回ったところ、佐久市の方へ下ったところに、かろうじて見ることのできる場所が一ヵ所あった。荒船山を横から見ると艦首部分がぽっこりと高くなっている。そのぽっこりが荒船山の山頂の行塚山(きょうづかやま)、行塚山は経塚山とも書くから、この山には埋経伝説があるかもしれない。その山頂には石の小さな祠が安置されていた。
この山は漫画「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人(うすいよしと)氏が遭難したことで有名になった。彼は平成二一年九月にトモ岩から落ちて亡くなったのであり、私がこの山のことを知ったのもこの事件がきっかけであった。と書くと危険な山だと思うかもしれないが、案内書に「危険あるいは困難な場所はない」とある通りの山、所要時間からしても初級の山である。トモ岩も身を乗り出して写真をとったりしないかぎり落ちるような場所ではなく、臼井氏の事故があるまでこの山で遭難した人はいないという。だからトモ岩の上に「危険注意」の看板や、立ち入り禁止の柵などが設置されないことを願う。
この日の行程は、相沢(あいざわ)登山口から入山、トモ岩経由で行塚山山頂までの往復であった。相沢登山口の駐車場は無理すれば四台駐められるが、そこへいたる一車線の林道に駐める余地はなく、林道下の相沢集落にも駐車場はない。集落内にある荒船神社の駐車場には五台ほど駐められるが、駐めていいのかどうか分からない。
この日、相沢登山口から登ったのは私一人のみ。山上で会った六人のうち二人は荒船不動から、四人は内山峠からであった。内山峠の登山口はトモ岩を眺めるのに最適と書いた駐車場のこと、トモ岩を目指して登るという道なのでここから登る人が多いようであるが、相沢からの道も変化があっておもしろかった。
トモ岩の上に立つと胸のすく展望が開ける。正面に浅間山、左のはしに蓼科山(たてしなやま)、右に妙義山(みょうぎさん)と榛名山(はるなさん)、眼下に国道二五四、その向こうに佐久高原や神津牧場、という景色が目の前に広がり、いつまで眺めていてもあきなかった。展望台の後ろに避難小屋を兼ねた休憩所がある。その中を覗きながら、ここで一晩ゆっくり過ごしてみたいと思った。
この山の頂上台地は、ミズナラやカラ松の自然林が広がる、立派なミズナラの老木もある、林床には明るい色の笹が密生している、という場所なので、大して広くもない台地の上なのに水場になる小川が流れていた。そのため鹿や熊の楽園になっているらしく、樹皮のはがされた木が目につき、それらはほとんど鹿の食害であったが、熊の爪痕もあった。行塚山の上は樹木のためあまり眺望はなく、風当たりが強くて寒かった。心配していた雪はなかったが、山上の道には霜柱が立っていた。
今回の寄り道は埼玉県本庄市にある塙保己一(はなわ・ほきいち)記念館と、彼の旧宅とお墓。小学生のときだったと思うが、江戸時代に盲目にもかかわらずすばらしい業績を残した国学者がいた、ということを習ったことがあった。そのことが今回の訪問につながったのだからおもしろい巡り合わせである。
彼がなしとげた仕事のなかで最大のものは、群書類従(ぐんしょるいじゅう)六六六冊の編集、この中には古代から江戸時代初期にいたる日本の貴重な文献一二七六点が収録されており、この仕事のおかげで多くの文献が消失をまぬかれたという。
彼の肖像画には、にじみ出てくるような慈愛に満ちた人間味があふれている。周囲のみんなから愛された人ではなかったかと思う。
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