氷ノ山(ひょうのせん。一五〇九.六メートル)

 平成二五年五月十五日(水)晴

兵庫と鳥取の県境にそびえる氷ノ山は、大山(だいせん)につぐ中国地方第二の高峰。両県から多くの登山道が付いていて、県境が通る山頂の、兵庫県側には避難小屋、鳥取県側にはトイレつきの立派な展望休憩所が建っている。

兵庫県側にある六つの登山口はすべて瀞川(とろかわ)氷ノ山林道ぞいにある。そのため登山前日、下見を兼ねてこの林道を北から南へ通り抜けてみた。道は大段ヶ平(おおだんがなる)登山口までは問題はなかったが、その先はこんな所で車を壊したら大変だと最徐行で走るひどい道になり、ずいぶん時間がかかった。

この山は須賀ノ山(すがのせん)の名も持っているが、この名は今はほとんど使われていない。中国地方には他にも、大山、蒜山(ひるぜん)、扇ノ山(おうぎのせん)、のように山を「せん」と読ませる山名がいくつかあるがその理由は不明。

この日の行程は、福定(ふくさだ)親水公園から入山、氷ノ山越え、山頂、神大ヒュッテ、東尾根避難小屋、東尾根登山口、福定親水公園、という一周コース。雪はほとんど残っていなかった。

出発点の親水公園には道標がなく、初めから登山口を探して歩き回ることになった。公園奥の河原が登山口とは気づかなかった。その河原をしばらく遡上してから山腹に取りつくが、この山は山上がなだらかな分、山腹の傾斜がきつく、すぐに急登の連続になる。

急登が一段落したところに青いトタン板で覆われた地蔵堂が建っている。この地蔵堂は新田次郎の小説「孤高の人」に登場するお堂。不世出の登山家といわれた単独行の加藤文太郎氏が、このお堂で坐ったままで夜を過ごしたというように登場するのだが、今あるお堂は最近建て替えられたもの、加藤文太郎氏は浜坂の生まれなので氷ノ山は故郷の山なのである。

内部には三体の古い木像がまつれていて、中央は地蔵菩薩であるが、左右の像は古くて判別できなかった。あるいは左側はエンマ大王かもしれない。地蔵堂周辺に広がる若いブナの純林の新緑が美しかった。

そしてその先に、ひえの水、弘法の水、一口水、という水場があり、ひえの水からは山頂の避難小屋が見え、一口水のあたりではカッコー、ツツドリ、ウグイスがさかんに鳴いていた。

氷ノ山越えと呼ばれる峠には、「皆原村先達半平、為一切」と彫られた大きな石地蔵と、小さな避難小屋がある。このあたりでタムシバが満開であった。ここで兵庫県と鳥取県を結ぶ古い街道と別れ、山頂へと続く主尾根に取りつく。

この尾根はネマガリタケの群生地になっていて、足慣らしに行く比良山のネマガリタケは鹿のために全滅してしまったが、ここはまだ鹿の被害を受けていないように見えた。ただし今年ははずれ年らしく、時季のはずなのにタケノコはほとんど出ておらず、小さいのを二〇本ほど見つけただけ、それも雪国のものと違って、あく抜きをしないと食べられなかった。

この日は大阪から来た夫婦と道連れになり、山上でコーヒーをごちそうになった。二人とも六〇歳台だろうか。年金生活で、年に五ヵ月間ほど車中泊の旅をしている、氷ノ山に来るまえは何と小浜で十日間、釣りをしていたという。車は定番の長めのハイエース、これ以上大きくなると林道に入れなくなるから、キャンピングカー利用の登山者には会ったことがない。

車には生活用品が上手に積まれていて、かなり年季が入っていると感じた。犬も一匹連れていて、以前その犬を連れて登山した写真をブログで公開したら、抗議のメールが続々と届いたという。病気を山に持ちこむ怖れがあるとして、ペットは登山禁止なのである。

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