三瓶山(さんべさん。一一二五.九メートル)
平成二四年七月十日(火)。晴一時曇
島根県のほぼ中央にそびえる三瓶山は、男三瓶(おさんべ)、女三瓶(めさんべ)、子三瓶(こさんべ)、孫三瓶(まごさんべ)、というかわいらしい名前の峰からなる独立峰。山頂は主峰の男三瓶にある。
この山は溶岩ドームの跡とされるこれらの峰が噴火口の形に丸く並ぶ山なので、一見すると全体で一つの噴火口のように見える。山全体の直径は山上で二キロメートル弱、山麓では四キロメートルほど。そして山上では登山道が尾根づたいに山を一周し、山麓では車道が山の周囲を一周していて、山上の登山道を一周すると一日仕事になるが、車で山麓を一周するのは十五分である。
山麓には、西ノ原(にしのはら)、東ノ原、北ノ原、などの美しい草原が広がり、南ノ原に当たるところに三瓶温泉がある。三瓶山の眺めは西ノ原からがとくに秀逸であり、ここには「定めの松」といういわくありげな名前の松もある。この松の古木には悲恋の物語でもあるのかと思ったら、一里塚として植えられたことに由来する名だという。
この山は出雲国風土記(いずものくにふどき)の国引き(くにびき)神話に登場する。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という長い名前の神さまが、八雲立つ出雲の国はあまりに狭いからと、よその国の余った土地を綱で引っ張ってきて縫いつけて国を広げた、というのが国引き神話。そしてその縫いつけたという土地が島根半島、半島が流されないように綱でつなぎ止めているクイが三瓶山と大山(だいせん)、三瓶山から半島へ伸びる綱が半島西側にある稲佐(いなさ)の浜、大山からのびる綱が半島東側にある弓ヶ浜(ゆみがはま)、ということである。これら両山とも独立峰であるから、確かにロープを引っかけるには具合のいい形をしている。
そして国引きを終えた神が、叫び声とともに大地に杖を突き刺すと、あたりに木が繁茂して森になった。それが出雲の国の中心であった意宇の杜(おうのもり)、いま風土記の丘と呼ばれている場所だという。
三瓶山は佐比売山(さひめやま)の名で風土記に記されていて、昭和二九年まで佐比売という村が山麓にあったというから、三瓶の名は佐比売に由来するものであろうが、佐比売の語源や、佐比売が三瓶になった理由は分からない。
低いながらも三瓶山は中国地方では大山のつぎに名の知れた山。そしてこの低山の知名度がなぜ高いのかと不思議に思ったのが今回の山行の動機であった。結論としては、国引き神話に登場すること、独立峰で景色がよいこと、山麓に気持ちのいい草原が広がっていること、そして温泉もあること、などがその理由だと思った。
今回の道に水場はない。下山のとき顔を洗いたかったが、沢に水はまったく流れていなかった。火山はガレキの山なのでたいてい水場がなく、その分、山にしみ込んだ水が山麓に湧いて出ることになる。だから山麓にある浮布池(うきぬののいけ)や姫逃池(ひめのがいけ)は湧水の池ではないかと思う。浮布池の横にあるお寺の前で、そこの奥さんが孫を遊ばせていた。いい所に住んでますねと言ったら、いい所かもしれんけど不便でかないませんという返事であった。
出発
この日の行程は、西ノ原の定めの松から入山、男三瓶、女三瓶、孫三瓶、子三瓶、扇沢(おうぎざわ)出合、扇沢、定めの松、という時計回りの一周コース。この道順は正解だったと思う。最初に主峰に登ってしまえば、途中から下山することになっても心残りが少ないからである。なお西ノ原には広い無料駐車場がある。
登山道には、ほたる袋、山あじさい、しもつけ草などが咲いていた。この山にはサルトリイバラが多い。一部に植林もされているが、自然林がよく残っていて、天然記念物に指定された自然林もあった。
男三瓶山頂の手前まで来たとき、急に風が強くなり、水が滴るような濃霧に包まれて景色が見えなくなり、道にかぶさる草についた水滴で靴や衣服が濡れ、そこを風に吹かれて寒くなったので、山頂の避難小屋に逃げこんだ。
小屋の中に張り紙がしてあった。男三瓶と女三瓶の間のやせ尾根で最近二件の滑落事故が発生し、女性が一人亡くなったとある。そのため景色も見えないことだし、このまま下山した方が無難かと思った。
しかしまだ八時と下山するには早すぎる時間なので前進したら、問題のやせ尾根は難所というほどの場所ではなく、やがて風も収まり霧も消えて青空があらわれ、うぐいす、かっこう、ほととぎす、が一斉に鳴きだした。ただしまだ霞が残っていて、国引き神話の元になった島根半島の景色を山上から眺めることはできなかった。子三瓶の山頂には青々とした草原が広がり、そこを吹いてくる風は気持ちがよかった。
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