御在所岳(ございしょだけ。一二一一、九五メートル)

平成二三年七月二七日(水)曇一時小雨

鈴鹿山脈のほぼ中央にそびえる御在所岳は、高さでは山脈北部にある御池岳(おいけだけ)に及ばないながらも、鈴鹿山脈の盟主と見なされている山。その理由としては、それほど高さが違わないことや、知名度、歴史的価値、観光地としての価値、どれをとっても御在所岳の方が抜きん出ていることが挙げられる。御池岳は山奥にあることが長所にして欠点という山なのである。

この山は四〇年ほどまえに一度ロープウェイで登り、山上のユースホステルに泊まったことがある。つまり一度登ったことのある、ロープウェイで簡単に登れる、しかも観光地になっている山、ということでこの山は頭の中の登山予定表から除外されていたが、この山の歴史を紹介するテレビ番組を見たことで興味が湧き歩いてみたら、予想したよりもずっと魅力のある山であった。

二百名山に含まれているだけに、ふもとから眺める姿も立派、点在する奇岩もおもしろく、急流がつづく川の中は花崗岩の巨岩で埋め尽くされていて、藤内壁(とうないへき)は岩登りで知られている、という山なのである。

鈴鹿山脈の北部の山は石灰岩でできているため、あちらこちらでセメント工場に山体を削られているが、同じ山脈でありながらも御在所岳は花崗岩でできているためその被害をまぬがれている。

岩場に恵まれた山の例にもれず、昔この山は修験道の行場になっていた。そしてその根本道場は、藤内壁を一望する国見尾根の中腹に建つ伝教大師が開いたという三岳寺(さんがくじ)であったが、織田信長の焼き討ちでこの寺が焼失して以降この山の修験道は廃れてしまった。信長が兵を送ってくるぐらいだから、当時この寺は大きな勢力を持っていたのだろうが、今この山に修験道的なものはほとんど残っていない。

なお湯の山温泉に現存する三岳寺は江戸時代に再建されたもの、山上にある御岳大権現(おんたけだいごんげん)は明治十七年に木曽の御岳山から勧請されたものである。

御在所という山名は、神仏の在所(ざいしょ。います所)を意味している。垂仁(すいにん)天皇の皇女(こうじょ。ひめみこ)の倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊(みたま)を安置する場所を探していたとき、一時この山に仮の宮を作って御霊を安置したことからこの名が付いたとされ、御霊の落ちつき先はもちろん伊勢神宮、垂仁天皇は紀元前二九年の即位とされる

この山のふもとには湯の山温泉郷があって、前泊や下山後の入浴に利用できる。またロープウェイの駅もこの温泉郷の中にあるが、山腹にあるためこの温泉郷のなかの道や駐車場はみな狭い。温泉郷を抜ける道は奥で鈴鹿スカイライン(国道四七七)に接続しているが、スカイラインは数年前の豪雨のときから通行止めになっている。

そしてそのスカイラインの料金所跡が中道登山道の無料駐車場になっている。広さは三〇台分ほど、登山口は料金所の先百メートルの右側にある。またスカイラインを五百メートルほど下ると裏登山道の登山口がある。

     
中道登山口出発

この日の行程は中道登山道で、地蔵岩、富士見台、御在所岳山頂、そして国見峠、北谷、藤内小屋、裏登山道登山口、スカイラインを歩いて車にもどる、という一周コース。なお山上に多くの観光施設があるから、この山の水は飲まないほうがよいが、売店で飲み物が手に入るので大量の水を用意する必要はない。

この日は全国的に不安定な天気となり、御在所岳も八合目から上は濃霧の中に隠れていた。歩きはじめは樹木が覆いかぶさる木の下闇の道で景色は見えず、雲が低くたれ込めていることもあってまだ夜が明けていないのかと思うほど暗く、風もなく蒸し暑かったので扇子であおぎながら歩いた。

オバレ石を過ぎて木が少なくなると四日市の町の広がりが見え、その向こうに伊勢湾が霞んでいた。オバレ石は板こんにゃくのような形の大岩が、もう一枚の板こんにゃくを背負って立っているような岩。オバレ石は「負われ石」のことなのだろう。

中道登山道の目玉というべき地蔵岩は、そびえ立つ二本の岩の上にサイコロのような岩が挟まって乗っている不思議な岩。これを見るのが今回の目的の一つであったが、どう見てもお地蔵さまには見えない。藤内壁の上の稜線からは、藤内小屋や巨岩に埋め尽くされた北谷が一望できる。

展望台になっている富士見岩はすでに山上公園の一部、ここからは観光用の遊歩道を歩く。この山上公園は奥行きがあり、丁寧に見て回るとかなり時間がかかる。三重と滋賀の県境が通る一等三角点のところに山頂の標識が立っていたが、最高点はその奥の望湖台(ぼうこだい)にある。望湖台の名は琵琶湖を遠望できることに由来するが、濃霧のため隣の峰すら見えなかった。

望湖台でゆっくり休憩をとり、九合目の第一ケルンから裏登山道に入った。下山は三岳寺跡を通る国見尾根の道を予定をしていたが、今年は台風が二つ来て道が荒れているというので、北谷を下る道に変更した。

北谷を下っているとき、大きな叫び声が何度も聞こえてきたので、うるさい奴だ、山は静かに歩くものだ、と思ったが、そうかと気づいて川向こうの崖をよく見ると、二人の男が壁に張りついていた。登っていたのは藤内壁のバットレスと呼ばれる岩場であった。

藤内小屋の手前は河原の中を歩く。河原を埋めつくす巨岩は豪雨のときの水の力を教えてくれる。数年前の豪雨では藤内小屋も大きな被害を受けたという。

天気の不安定な蒸し暑い日なので、入山者は少ないだろうと思っていたら、下山したとき登山口の駐車場は満杯状態になっていた。名古屋の車が多かったが、挨拶をした人でいちばんの遠方は広島であった。

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