英彦山(ひこさん。一二〇〇メートル)

   平成二一年十月二七日(火)曇のち晴

福岡と大分の県境にある英彦山は、浸食のすすんだ古い火山を山体とする英彦山山地の主峰。奇岩や岩場に恵まれた修験修行の山。中岳、北岳、南岳の三峰からなり、一一九〇メートルの中岳山頂に英彦山神宮の上宮があるが、最高点は標高一二〇〇メートルの南岳にある。

この山の名は古くは日子山と書いたが、嵯峨天皇の勅によって彦山となり、一七二九年に霊元上皇から英の字の尊称を賜って英彦山になったという。

英彦山は継体(けいたい)天皇の二五年(六世紀の前半)に、猟師の藤原恒雄によって開山され、その法統を法蓮という僧がつぎ、八二二年に天台宗彦山霊仙寺(りょうぜんじ)が建立されたことで西国修験の中心となり、僧坊三千八百といわれる三大修験道場の一つに発展したという山。なお三大道場の残りは奈良県の大峰山(おおみねさん)と山形県の羽黒山(はぐろさん)。

ところが明治初期に神仏分離令と修験道禁止令が出たことでこの山は一挙に衰退、奉弊殿(ほうへいでん)を除く建物のほとんどが失われた。現在ここは英彦山神宮となっていて、奉弊殿は国の重文指定。

英彦山はなぜ修験道の代表的な山になれたのか。山を歩きながらそんなことを考えてみた。そして、行場になる岩場が多いこと、手頃な高さであること、人里から遠からず近からずの距離にあること、などがその理由ではないかと思った。

英彦山の入口は国道五〇〇号線の横に立つ銅(かね)の鳥居、この青銅製の大鳥居から奉弊殿まで一直線の石段が八百メートル続き、昔はこの階段ぞいにたくさんの坊が並んでいた。

銅の鳥居の下に奉弊殿へ上がるケーブルカーの駅がある。このケーブルカーができてから参拝者が一挙に増えたというが、長くて急な石段が敬遠されたのは仕方のないことである。その駅前に広い無料駐車場があり、国道をさらに進むと別所(べっしょ)無料駐車場もある。別所駐車場からだと階段を半分省略できるので私はここに駐車した。

     
出発

この日の行程は、別所駐車場、奉弊殿、中岳山頂、南岳山頂、鬼杉(おにすぎ)、玉屋(たまや)神社、奉弊殿、別所駐車場、という一周コース。

奉弊殿の横にある階段が正面登山道の入口。石仏などを拝みながら登るとすぐに下宮があり、中腹に中宮、山頂に上宮がある。下宮を過ぎると山道になるが、古くからの修験の道なので整備は行き届いている。修験の山にしては植林帯が多い。

上宮は山上にあるとは思えない立派な建物。風雨を防ぐため閉め切られているが、中に入ってお参りできる。南岳へ向かう道に入るとやっと山道らしくなるが、南岳まではすぐの距離。このあたりで紅葉が見ごろであった。南岳の先は鎖場の下りが続き、材木石(ざいもくせき)という柱状節理の岩の先に、大南(だいなん?)神社の岩窟があるはずだが、別の道を下りてしまいお参りできなかった。この山には脇道が多い。

鬼杉は堂々たる貫禄でそびえる、この山の主のような杉の古木。樹齢千二百年、高さ六〇メートルとある。鬼杉の名前は凹凸のある幹を鬼の顔に見てのものか。この辺りには杉の古木が多い。玉屋(たまや)神社は、高さ六〇メートルの般若岩にぴったりとくっつけて建てられた神社、ご神体になっている般若岩からしみ出る水は日本三霊水の一つ。

この日は雨には降られなかったが、枝からしずくが落ちてくるほどの濃霧で、とても景色を見るどころではなかった。ところが下山したときには霧がきれいに晴れていたので、英彦山の姿を眺めようと車で走り回ったが、近くから眺めても遠くから眺めても、手前の山が邪魔をして見えなかった。食堂やみやげ物屋の人にきいても、山頂が見える場所を知らないというから、近くの山にでも登らないとこの山の全体像は見えないらしい。

別所駐車場からさらに国道を進むと高住(たかすみ)神社がある。この神社は豊前坊(ぶぜんぼう)の名も持っているから、元は英彦山の坊の一つだったのだろう。巨岩の下に建つ雰囲気の良さと、掃除の行き届いているのが印象的な神社であった。そこからさらに林道のような国道を上っていくと、目の前に鷹ノ巣山(たかのすやま)の岩峰が現れ、そこから下っていくと耶馬溪(やばけい)に出る。

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