妙義山(みょうぎさん。一一〇四メートル)

  平成二〇年九月二九日。曇のち雨

妙義山は鬼の住み家のような険しい岩峰を上信越道ぞいに列ねる山。山に興味のない人であっても、見れば必ず心を奪われるという奇怪な姿をした山。私がこの山に興味を持ったのも上信越道から眺めたのがきっかけであった。

妙義山の名は、明らかで高く大きいを意味する明魏(みょうぎ)から来たとされるが、十をこえる峰の中に妙義山という峰はない。つまり妙義山は妙義山群を意味する山名であり、妙義山群は中木川を境に表(おもて)妙義と裏妙義に分けられ、山群全体の最高峰は裏妙義にある谷急山(やきゅうやま。一一六二メートル)、表妙義の最高峰はこの日私が登った相馬岳(そうまだけ。一一〇四メートル)。

だから決して高い山ではないが、この山の岩場ははんぱではなく、屹立する岩峰が登り尽くされたのは明治以降のこととされ、険しすぎるとして登山禁止になっている峰もある。だから登山口にあった「初心者は縦走路に入らないように」という警告は脅しではなく、中級者向けの整備しかされていない縦走路は脚力と腕力の両方を必要とする。

なお表妙義の中腹に、妙義神社と中之岳(なかのたけ)神社とを結ぶ中間道(ちゅうかんどう)という石門(せきもん)巡りのできる遊歩道がある。石門というのは自然が作りあげたアーチ型のみごとな石橋、この山には四つの石門があって、そこは妖怪が住む場所として里見八犬伝に登場する。

この山の特異な姿が、昔から人々の注目を集めてきたのは間違いのないことで、そうした人々の関心が形になったのが妙義神社だと思う。五三七年創建とされる妙義神社の本殿は重文指定、この山の岩で作られたという石垣は、一枚岩に見えるほどすき間なく組まれた見事なもの。

この山と、赤城山(あかぎやま)、榛名山(はるなさん)、の三山は上毛(じょうもう)三山と呼ばれるが、その上毛とは上毛野(かみつけぬ)の国、上野(こうずけ)の国、上州(じょうしゅう)、つまり群馬県のこと。

登山前日に榛名山まで車を走らせ、榛名神社にもついで参りをしてきた。この神社は境内の中でさえも、至るところに崖や奇岩がそびえ立つという神社、とくに本殿の上の岩は見ものであった。偉大な自然に接すると日本人は神社を建てたくなるらしい。

     
妙義神社出発

この日の行程は、妙義神社から入山、白雲山、相馬岳、タルワキ沢、中間道、妙義神社、という表妙義の半分を回る道。駐車場は妙義神社下の道の駅に登山者向けの場所がある。この駅で標高四三〇メートルとあるから相馬岳山頂まで六七四メートルの標高差、駅の近くには「もみじの湯」という日帰り温泉がある(月曜休)。また中之岳神社の下にも広い無料駐車場がある。

登山口があるのは妙義神社の本殿下、奥の院まで道はよく整備されている。歩き初めは手つかずのうっそうとした原生林、雨の降り出しそうな空模様のせいもあって、幽霊でも出てきそうな雰囲気であった。大の字岩の手前で道が左右に分かれ、左が大の字岩、右が奥の院。大の字岩に登ると、ふもとから見えていた大の字の正体が分かる。正体は鉄板に白ペンキを塗った巨大な大の字、この岩に登るのがこわい人は奥の院から先は行かない方が無難である。

白雲山妙義大神をまつる奥の院は、崖の中腹にできた洞窟が社になっていて、奥へと続くすり減った狭い石段を登っていくと、なぜか洞窟の奥に光が射していた。不思議に思って上を見ると、天井に明かり取りの窓のような穴が開いていた。

奥の院から先がこの山の核心部分。この先には翌朝、肩がこわばっていたほどたくさんの鎖場があり、その中で一番長いのは三〇メートルの二本の鎖、そしてその一本目が奥の院のすぐ横に下がっているが、ここは問題なく通過できる。問題は大覗きからキレットへ下る二本目、傾斜がきつく、足がかりがなく、岩が滑りやすい、という鎖場なので腕力で一気に下りるしかなく、ここを登ることになったらどうしようかと考えた。

表妙義の前面は屏風を立てたような崖。その屏風の上に縦走路が通っているので、下を見ると体が宙に浮いているように感じる道の連続、その道を歩いていると下から上がってくる車の音や犬の声が驚くほどはっきりと聞こえた。途中にさえぎる物が何もないのである。

日帰りの山行で雨に降られることはめったにないが、この日は久しぶりに雨に濡れながら歩いた。予想したよりも早く雨がぱらつき出し、本降りにならないうちに下山しようと思っていたら、鎖場つづきの難所で本降りになってしまったのである。しかしここで急ぐと事故を起こす、事故を起こしても雨が降る今日明日、ここを通る人は絶対いない、そう考えて自重し、雨具をつけてまず休憩をとり、雨に心を慣らしてからゆっくりと歩き出した。

相馬岳山頂の手前に樹皮を食われたリョウブの木があった。この山は裏側もかなりの急斜面になっているが、そこを鹿が登って来るらしい。苦労してたどりついた山頂であるが見えたのは濃霧のような雨雲のみ。

タルワキ沢の下りでこの日初めて人に会った。静岡から来たというこの六五才の男性は、中之岳神社から入山し金洞山(こんどうさん)を縦走してきたというから、彼と私の歩いた道を合わせると表妙義の縦走が完成する。金洞山の方がひとつ上級向けであり、一ヵ所まったく宙ぶらりんになる鎖場があったとか。彼はザックの背負い紐にカラビナとスリングを下げていた。私と同じように上信越道から眺めたのが、この山に興味を持ったきっかけだと言っていた。

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