谷川岳(たにがわだけ。1977メートル。)

   平成十九年七月二五日(水)

谷川岳は群馬と新潟の県境にある百名山の一峰。世界でいちばん遭難者の多い「魔の山」と呼ばれる山。ただしそれほど高い山ではなく道もよく整備されているので、普通に歩いている分には危険のない山であるが、日本三大岩場のひとつ一ノ倉沢(いちのくらさわ)で遭難が多発しているのであり、そのためこの沢の入口の岩にはおびただしい数の慰霊碑が埋め込まれているという。なお三大岩場の残りの二つは穂高岳の滝谷と剣岳の八ッ峰。

一ノ倉沢は駐車場から見上げるだけで切り立った岩場の隅々まで見渡せる岩登りの競技場のような場所。まるで野球場の打席から観客席を眺めるように岩場全体が見渡せるのである。このあたりでは崖や岩場のことをクラと呼び、一番大きなクラのある沢ということで一ノ倉沢の名が付いたという。私が行ったのは七月下旬であったが、まだ沢の底に汚れた雪が大量に残っており、夕方の逆光だったこともあって妖気のようなものが沢の中に漂っているように感じた。

この沢で昭和三五年九月に宙づり遭難事件が発生した。それは二人の登山者がロープで宙づりになった状態で死亡するという事件であったが、この遭難が大事件に発展したのは、遭難場所がとくに難所の衝立岩(ついたていわ)であったので遺体の収容ができず、最後の手段として自衛隊の狙撃部隊に出動を要請し、銃撃でもってロープを切断して遺体を収容するという悲惨な結末になったからである。

ところがその最後の手段もそう簡単ではなかったという。距離のある崖下からの射撃なので、命中してもロープが逃げてしまって切断できず、そのためロープが岩に接触しているところを狙い千発以上の弾を使ったという。

谷川岳はきわめて交通の便のいい山である。この山に登山者が押しかけるようになったのは、上越線が開通した昭和六年以降のことであるが、そのとき山麓に作られた土合(どあい)駅は谷川岳登山のために作られた便利な駅だったのである。

また車での便も良く、西黒(にしくろ)尾根、一ノ倉沢、マチガ沢、などは登山口まで車で入ることができる。つまり穂高や剣とは比較にならないほど簡単に入山でき、首都圏に近く、温泉もたくさん湧いている、という好条件の山なので入山者が多く、その分事故も多いということである。

遭難者慰霊公園の石碑には、昭和六年から平成十八年にかけての谷川岳での遭難者として、七八七人の名前が彫られていた。これを平均すると年に約十人になるが、最近では平成十八年が一人、十七年が三人、十六年が一人、となっているから、減少傾向にあるのは確かである。昭和三五年ごろに書かれた「日本百名山」には二百数十人という数字が載っているから、それから五百人以上が命を落としたことになるが、名前を入れることを拒否する遺族もあるはずなので、実際はもっと多いと思う。ちなみに平成十七年までのエベレスト山での死者は一七八人。

谷川岳がある谷川連峰は、仙ノ倉山(せんのくらやま。二〇二六メートル)を除けば二千メートル以下の山ばかりという連峰であるが、冬に日本海側から吹きこむ季節風の通り道に位置するため、気象変化の激しいことと日本有数の豪雪地帯として知られ、また稜線の西側は緑のじゅうたんを敷いたようななだらかな笹原、東側は断崖絶壁という非対称山稜の典型としても知られる。

「日本百名山」によると、この山の名前はもとは谷川岳ではなく「耳二つ」であったという。この山はオキの耳とトマの耳の二峰からなる双耳峰なのである。そして近くにある現在、俎ー(まないたぐら)と呼ばれている山稜の名が谷川岳であったが、地図を作ったときの誤記が原因で耳二つが谷川岳になったという。とはいえ耳二つの名では今日の賑わいはなかったかもしれない。

登山の前日、下見をかねて一ノ倉沢の下まで車で入った。そこへ入る対向車とのすれ違いに苦労する狭い道は、林道ではなく国道二九一である。この国道は、清水峠を越えて群馬県と新潟県とを結んでいた古くからの交易路を国道にしたもので、明治六年に計画され明治十八年に開通したが、雪崩のために寸断されて復旧工事が追いつかない状況が続いたため、二年間使用されただけで廃道になった。そのため今も一ノ倉沢の下で通行止め、その先はハイキング道になっている。なお清水峠の向こう側にある清水集落には巻機山(まきはたやま)の登山口がある。

車で行った場合、谷川岳ロープウェイの駅に無料駐車場はあるが、歩きで登る人が駐車できるかどうかは不明。近くに大きな有料駐車場もあるが営業していなかった。私は西黒尾根登山口の二百メートル手前に五台分ほどの空き地があったのでそこに駐車した。また巌剛(がんごう)新道の登山口には十台分ほどの無料駐車場、一ノ倉沢の下には三〇台分ほどの無料駐車場とトイレがある。

     
出発

この日の行程は、表登山道で西黒尾根を登り、トマの耳、山頂のあるオキの耳、ノゾキ、巌剛新道でマチガ沢を下山、という行程であった。

西黒尾根は登山ブームのときには登山者が蟻のように列を作ったという尾根であるが、この日そこを歩いたのは数人のみ。その理由は今はほとんどの人がロープウェイを利用して登っていること。ロープウェイの天神平駅からだと五時間ほどで山頂まで往復できるのである。また標高差の大きい山なので片道だけロープウェイを利用する人もある。

西黒尾根の前半は、林床に笹が茂るブナやナラの古木の樹林帯、展望もなければ花もないという道。ところが樹林帯を抜けると急に展望が開け、谷の向こうに天神平駅が見え、ニッコウキスゲ、イブキジャコウソウ、シモツケソウと花もにぎやかになる。この早変わりは見事。そこから肩の避難小屋までは、見晴らしのよいやせ尾根の急登が続くが、マチガ沢の険しい岩場に見とれて疲れを忘れる。肩の小屋は新築のしゃれた建物、なぜか景色のいい崖っぷちより、この小屋のまわりで休憩する人の方が多かった。

山頂には猫の耳のように二峰が並び、三角点は手前のトマの耳(一九六三.二メートル)にあるが、最高点は奥のオキの耳(一九七七メートル)にあるから、トマの耳で引き返してはいけない。トマの耳とオキの耳の名前の由来は不明。

オキの耳からさらに十五分ほど北へ進むと、一ノ倉沢の断崖を真上から見下ろせる場所がある。下を覗くと自分の体が宙に浮いているように感じる、高所恐怖症の人なら貧血を起こすような場所。現に覗いた人が吸い込まれるように転落した事件もあったというから、まさに魔の山。

崖っぷちに立って見下ろすと、きのう一ノ倉沢を見上げた駐車場が見え、駐車場とノゾキの標高差千百メートルという谷川岳ならではの眺め。修験修行で知られる大峰山(おおみねさん)に、断崖の上から身をのり出して生まれ変わりの修行をする「西の覗き」とか「東の覗き」という岩場があるが、ここに比べるとかわいらしいもの。

マチガ沢をおりる巌剛新道は、始めは険しい鎖場がつづき、中ほどにある第一見晴に立つと岩場全体が見渡せる。この道は七月に入ってもアイゼンとピッケルが必要なこともあるという。昔このマチガ沢の下に宿屋が何軒かあり、その宿の明かりを清水峠を越えてきた人が見て大喜びし、「明かりが見える。町が見える」と叫んだことから、この沢にマチガ沢の名が付いたとか。

下山後、谷川温泉の湯テルメという日帰り温泉で汗を流した。ユテルメは温泉を意味するイタリア語とか。五五〇円。第三木曜日定休。午後八時半まで。

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