草津白根山(くさつしらねさん。二一七一メートル)

 平成十七年十月二五日、二六日。ともに快晴。

草津白根山は群馬県の名湯、草津温泉の奥にある百名山の一峰。山頂を国道二九二が通る交通の便の良すぎる山。その国道を東に下れば草津温泉、北へ行けば志賀高原という観光地のまっただ中にある山。

白根山という山名は白峰山(しろみねさん)から来たとされるが、この山の白は雪の白ではなく火山灰の白、堆積した火山灰のために頂上部分が白くなっているのである。深田久弥氏はこの山をこう紹介している。

「草津白根山は絶頂を極めて快哉を叫ぶといった山ではない。顕著な頂上らしいものもない。火口をめぐり一高一低の稜線が連なっていて、その最高点が頂上とはいうものの、この山の特色は頂上よりむしろ、断崖をなした火口壁や火口湖の妙にある」。要するにこの山は、山頂がどこにあるかよく分からない山なのである。

しかもこの山は山頂に立つことのできない山でもある。この山は、白根山(二一六〇メートル)、本白根山(もとしらねさん。二一七一メートル)、逢ノ峰(あいのみね。二一〇九メートル)の三山からなるが、白根山と本白根山は、高山植物の保護と火山活動による危険があることを理由に、最高点への立ち入りが禁止されているのである。

そのためこの山で踏むべき所としては、白根山の湯釜(ゆがま)の展望台、本白根山の展望台と探勝路の最高点(二一五〇メートル)、そして時間があれば逢ノ峰山頂といったところ。

湯釜というのは噴火口の中に水がたまってできた火口湖であるが、湖というほど大きなものではなく、蔵王のお釜の極小品といったところ。ただしこの火口湖の水は青みがかった乳白色の不思議な色をしていて、この山が百名山に入れてもらえたのはこの水の色の功績が大きいと思うので、小さいとはいえこれは必見である。

登山の前日、志賀高原側から白根山に入り、登山口を確認するため山上の有料駐車場に車をとめた。そこで標高はすでに二千メートルを超えていた。この日は下見のつもりであったが、目の前に湯釜へ登る階段があったので行ってみたら、すぐに湯釜の展望台に着き、そこに「白根山」の標識があった。しかもそこで行き止まりになっていて最高点へ登る道はなく、柵があって遊歩道から出ることもできないのだから、ここでもって白根山登頂とするしかなかった。

翌日の早朝、草津温泉から山上の駐車場へまた車を走らせた。この山は山頂よりも中腹の景色の方がいい。夜間の好天の冷えこみで駐車場は凍りついており、すでに葉が落ち尽くしたナナカマドの実の真っ赤な色があざやかであった。このあたりにはナナカマドが多い。

この日はまず急な階段ばかりの逢ノ峰に登り、それから本白根山を一周するなだらかな探勝路をゆっくりと時間をかけて歩いた。探勝路には大きな噴火口が二つあった。展望台からは浅間山や四阿山(あずまやさん)がよく見え、浅間山にかかった雲がいつまでも動かないので不思議に思っていたら、雲ではなく噴煙であった。この探勝路が白根山で唯一の登山道といえる道、二千メートル級の山の雰囲気と火山の荒々しさを、同時にしかも手軽に味わえるのがこの道のよさ。

下山後、草津温泉にもどり日本最大の露天風呂、西の河原(さいのかわら)露天風呂で汗を流した。新穂高温泉にも日本最大という露天風呂があったが、どちらが日本一なのだろうか。

     
山姥の里

今回は新潟県の山姥(やまんば)の里に寄り道した。親知らず海岸の奥にある上路(あげろ)という珍しい名前の集落がその山姥の里。この集落は親知らず海岸を通る北国街道が、海が荒れて通過できなくなったときの迂回路にある集落、崖の上の路(みち)にあるということで上路と名付けられたという。山中の隠れ里という感じの小さな集落だが、意外に大きな田んぼが広がっていた。

この集落の裏山に山姥が住んでいたという洞窟があり、満月の夜にはその洞窟横にある五角形の岩の上で、山姥が舞を舞う姿がふもとからも見えたといわれ、この言い伝えを元に謡曲「やまんば」が作られたという。案内板によるとその洞窟があるのは白鳥山中腹の標高八五〇メートルのところ、歩くと往復二〜三時間かかるというので行くのはあきらめた。

集落のはずれに小さな山姥神社があり、その下の広場で駐車場と休憩所を作る工事をしていた。また別の広場には山姥関連の石碑などがあったので、どうやらこの集落は山姥による村おこしを考えているらしい。

なお集落からさらに奥へ進むと、金鉱山の跡とヒスイが採れる翡翠峡(ひすいきょう)がある。このあたりには翡翠峡と呼ばれる場所が二ヵ所あって、重要文化財の出雲大社のヒスイのまが玉はそこで採れたものとされる。

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