戸隠山(とがくしやま。1904メートル)
平成十七年五月二十六日。快晴
長野県北部にある戸隠山は、修験修行で知られる戸隠連山の主峰。その戸隠連山は、戸隠山、西岳(にしだけ)、高妻山(たかづまやま)、の三つの山域からなり、最高点は高妻山にあるが、戸隠山が主峰と見なされている。おそらく岩戸伝説による知名度、行場の中心であること、戸隠神社の近くにあること、などから主峰とされたのだと思う。
戸隠神社の奥社(おくしゃ)の後ろに、屏風を立てたようにそびえるのが戸隠山。切り立った崖と、ノコギリの刃のような険しい岩峰が目につく山であるが、全体が草と笹に覆われているので穏やかな雰囲気も感じられる。
戸隠山という山名は天の岩戸(あまのいわと)伝説から来たとされる。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱行にたまりかねた天照大神(あまてらすおおみかみ)が、高天原(たかまがはら)にある天の岩屋戸(あまのいわやど)に隠れたことで、世界は常闇(とこやみ)になった。
そこで神々が集まって相談し、一計を案じて祭をおこない、天細女命(あめのうずめのみこと)が神がかりして桶を踏みとどろかせ、胸もあらわに踊り狂ったので、神々は大笑いした。その笑い声を怪しんだ天照大神が、何ごとかと岩屋戸から外をのぞき見たとき、天手力雄命(あまのたぢからおのみこと)が岩戸をこじ開けて大神を外に引き出したので、世界はまた照り輝いた、という話が古事記や日本書紀に載っている。
そのとき高天原から投げた天の岩戸がここに落ちて戸隠山になった、というのである。屏風を立てたような山容を天の岩戸と見たてての話であるが、この話ではなぜ戸隠山なのかまだ納得できない。戸隠高原の深い森の中に、天の岩戸がひっそりと隠れていたので戸隠山ということだろうか。
この山の岩場は、火山灰と火山岩が堆積してできた、もろくて浸食されやすい凝灰岩(ぎょうかいがん)でできている。つまりこの山の絶壁や岩峰は浸食によってできたもの、凝灰岩は滑りにくい上に、手がかりや足がかりが無数にあるから、この山は見た目の険しさの割に登りやすい。
登山口は奥社と戸隠牧場の二ヵ所、ともに無料駐車場がある。私は奥社から入山、戸隠牧場に下山、ミズバショウが咲く川ぞいの遊歩道を通って車にもどる、という一周コースを歩いた。
出発
ニリンソウが満開の奥社に参拝、それから登山道に入った。始めから急登が続くが、目にはブナの新緑とムシカリの花、耳にはカッコウ、ウグイス、ホトトギス、という道なので、それらを味わいながらゆっくりと歩く。
四〇分ほどで最初の岩場、五十間長屋(ごじゅっけんながや)と百間長屋に着く。これは団体さんでも一度に雨宿りできる半トンネル状の長い岩屋。やがて西岳と本院岳が姿をあらわし、主稜線の裏側には多量の残雪があった。この山は表もいいが裏もいい。
やがて鎖つきの岩場が続くようになり、その最後が有名な蟻の戸渡り(ありのとわたり)の難所。ここを歩くのがこの山行の第一目的であったが、狭いところでは幅五〇センチ以下というやせ尾根が五〇メートルも続くので、とても立っては歩けない。下に鎖付きの巻き道もあるが、ここを目的に来たのだから巻くわけにはいかず、人に見せられる姿ではないと思いながらも、這ったり馬乗りになったりして通過した。下を見ると完全に宙に浮いて見える所もあるから、高所恐怖症の人は下を見ない方がよい。
剣の刃渡り(つるぎのはわたり)という場所もあるはずだが、どこのことか分からなかった。おそらくいちばん狭いところをそう呼んでいるのだろう。「蟻の戸渡り、剣の刃渡り」は語呂のいい言葉だと思った。
蟻の戸渡りからひと登りすると、景色のいい岩峰、八方睨(はっぽうにらみ)の上に出る。ここで鎖場が終わり、高妻山が清楚な姿をあらわし、西岳への道が分かれている。西岳まで一八〇分の難路と道標にあったが、難路には見えなかった。さらに五分で、尾根が少し高くなっただけの山頂着。
山頂付近の道に行者ニンニクがたくさん生えていた。葉が一枚か二枚出たばかりの食べごろだったので、歩きながら摘んで食べた。おそらく修験道の行者さんもこうして食べたのだろう。行者ニンニクの名はこの山で付いたものかもしれない。
奥社を見下ろす崖の上に金属製の柵が設置されていた。ここの崖は雪庇(せっぴ)ができやすく、雪庇が成長して崩落すると、雪崩となって奥社の建物を直撃することがある。そのためこの柵で雪庇ができるのを防いでいるのだという。
一不動(いちふどう)の避難小屋まで縦走し、高妻山に別れを告げて、残雪で埋まる大洞沢(おおほらさわ)を下った。この沢で今日はじめて登山者に会った。今夜は一人で避難小屋に泊まり、明日高妻山に登るという。雪解けしたところにフキノトウが出ていた。薄黄色をした雪国のフキノトウはアクがなくおいしかった。
ペットボトルから漏れた水で、ザックの中を濡らしてしまった。水筒として作られたポリタンクでも長く使っていると破れるのだから、一回使用を前提に作られたペットボトルが漏るのは仕方がない。古いものは使ってはいけないと反省した。
今回は「風の盆」で知られる富山県八尾町(やつおまち)に寄り道した。ここは養蚕と紙すきで栄えた町、その財力で作った古い町並みが残っている。とくに石畳の道がよかった。
「八尾よいとこ、おわらの本場、二百十日を、オワラ、出て踊る」
「富山出て四里、三味線うたが、花は咲くさく、オワラ、風の盆」
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