比良山、八渕の滝

   平成十七年四月八日。小雨のち晴

比良山(ひらさん)は武奈ヶ岳(ぶながだけ。一二一四、四メートル)を主峰とする湖西(こせい。琵琶湖の西)の山々の呼び名。つまり比良山は比良山地を意味する山名なので、比良岳はあるが比良山という峰はない。なお武奈ヶ岳は二百名山の一峰。

比良山は京都大阪から湖西線で手軽に入山でき、琵琶湖や対岸の鈴鹿山脈の眺めもよく、広い山域には自然もよく残っている、という関西では人気のある山。この日歩いた八渕の滝(やつぶちのたき)群はその比良山の主尾根が二つに分かれた分岐点にある。そのため分岐した両方の尾根から水が集まってきて、みごとな滝群を作り上げたのであるが、それだけに沢道の崩壊は激しく行くたびに変化している。初めて来た人が「こんな近くにこんな沢があるとは知らなかった」と驚くのがこの八渕の滝コース。

登山口は鹿ヶ瀬(ししがせ)集落の奥にあるガリバー旅行村。ここの有料駐車場は冬は人がおらず無料になるが、雪のためそこまで入れないことも多い。鹿ヶ瀬は自然と調和した田園風景が守られていることにいつも感心させられる場所。目障りな看板や建物が目に入らないのは、ヨーロッパでは都市でも農村でも当たり前のことであるが、日本ではほとんどあり得ないことである。

私が初めて比良山を歩いたのは高校二年のとき、そしてそのとき歩いたのがこの八渕の滝コースであった。琵琶湖畔の北小松から寒風(かんぷう)峠を越えて鹿ヶ瀬へ入り、それから八渕の滝を登ったのであるが、そのころはガリバー村も湖西線もなく、北小松へはバスで来た。そういう懐かしい道なので、歩いているとそのときのことを思い出したりする。

それから四五年、回数にすれば百五十回ぐらいは比良山を歩いている。同じ山をくり返し歩いていると、遠目には変わらないように見える山も変化し続けていることが分かる。ヒザの手術をしたのでこの日は半年ぶりの山歩きとなり、手術後のヒザの具合を調べるのも山行の目的の一つであった。

     
出発

駐車場の奥で鹿が三頭走り去るのを見た。鹿ヶ瀬に鹿がいても不思議はないが、以前は見ることのなかったこの臆病な動物が最近はよく姿を見せる。数が激増している証拠で、そのため日本中が鹿よけの柵だらけになってしまった。

歩き始めるとすぐに残雪が目についた。四月にこんな山の下に雪があるのは珍しく、カンジキを持ってこなかったこともあって、これは前途多難かと思ったが、この日は雪よりも雪解けによる増水のほうが多難であった。見なれた滝が初めての滝に見えるほど増水しており、落差三〇メートルの貴船(きぶね)の滝の下で川を渡るときには、滝壺から轟音とともに吹きつけてくる爆風のような水しぶきを浴びた。

滝の上に出ると、川岸の岩に埋めこんだ小さな慰霊碑が目につく。以前そこで会った人から聞いた話では、ある高校生がここで面白半分に川を渡ろうとした。そこはたしかに渡りたくなるような魅力的な場所であるが、落差三〇メートルの滝の落ち口のすぐ近くである。しかも川岸の岩は水に削られて丸くなっていてしがみ付くのは難しい、ということで、増水した川で転んだ高校生は、滝へと流され落ちて亡くなったという。

石碑にはその高校生が書いたと思われる詩が彫ってある。シャクナゲが咲くころそこに花が置いてあるのを何度か見かけたので、そのころ両親が慰霊のために来ているらしい。

七遍返し(しちへんがえし)の滝の手前で、ついに川が渡れなくなった。そこさえ通過すればあとは問題ないのだが、以前この道で増水した川にはまった経験があるので、雪解け水の川に落ちたくないと尾根道に移動した。

尾根道を登りつめると広谷(ひろたに)という広い谷に出る。この谷を観察すると、昔はこんな山の上まで畑を作りに来ていたことが分かる。ここから先は一面の雪景色となり、木々のあいだに見える武奈ヶ岳は真っ白、道標の頭だけ出ていたのでおよそ一メートルの積雪である。ヒザの故障のためしばらく雪の中を歩いていなかったので、この雪はうれしかった。この辺りで最後のマンサクが咲いていた。

これまでの経験から、広谷から先はしっかり踏み跡がついていると予想していたが、この予想は完全にはずれ、踏み跡はまったくついていなかった。昨年、比良山スキー場とロープウェイが廃業したことで入山者が激減したが、ここまで減るとは思わなかった。

それでも武奈ヶ岳山頂まであと三〇分のところまで道をつけて進んだが、ヒザが痛み出したのと、天気が回復して雪が腐り歩くのが難しくなってきたので、そこから引き返した。下山は尾根道を下り、その途中コナラの木の上にクマ棚を三つ見つけた。

今日も無事に下山できたと思いながら、車まであと十分という「大すり鉢」まで下ったとき問題が発生した。丸木橋が流されていて川が渡れないのである。ここが渡れないと貴船の滝の上まで戻るしかないが、そんなことをしていていたら日が暮れてしまう。

そこで橋を架けようと木を切ったが、木は川のなかに倒れ雪解け水に流されてしまった。もう一本切ったら、これも川に取られてしまった。川の上に枝を広げているので、どうしても川の中に倒れこむ。下手をすると私も一緒に流れに引きこまれる。流されるとすぐ下で大きな滝が待ちかまえている。

三回目には細い木を切ることに成功したが、今度は細すぎて橋にならない。岩ばかりの河原なので手ごろな木がないのである。時間はどんどん過ぎて夕闇が迫ってくるし、水音はごうごうと鳴って心細くさせれくれるが、ここで焦ると事故につながる、何か手があるはずだと思案し、結局、三本目の木で長い杖を作り、それを支えにして水中に横たわる流木の上を渡った。この流木がなかったら貴船の滝まで戻るしかなかった。

この苦労のお陰で大切なことに気がついた。この沢道は大雨のたびに丸木橋が流され、そのたびに誰か架け直してくれている。地元の山の会の活動だと思うが、その人たちに感謝しなければならないと気がついたのであった。

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