安達太良山 (あだたらやま。1699.6メートル)

    平成十六年九月三日。晴れ

安達太良山は福島県北部にある百名山のひとつ。高村光太郎の智恵子抄(ちえこしょう)の一節、あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)、で知られるようになった山。といっても今では智恵子抄を知る人は少ないと思う。なお光太郎氏は阿多多羅山と書いているが、安達太良山と書くのが一般的。珍しい山名なので由来を知りたくなるが定説はないという。

安達太良山は、なだらかな山なのに、険しい断崖絶壁がある。安直な山なのに、気品がある。一七〇〇メートル足らずの山なのに、高山の雰囲気がある。という奇妙な山であった。なお福島県北部には、安達太良山、磐梯山(ばんだいさん)、吾妻山(あづまさん)、という三つの百名山が三角形に並び、これらはすべて活火山である。

この夏は東北を旅して回り、一日余裕ができたので安直に登れるこの山にねらいをつけ、東北道からの接続のいい奥岳登山口から入山した。ここには広い無料駐車場はあるがトイレと水場はない。駐車場横のホテルで下山後すぐ温泉に入れるのはありがたい。

奥岳登山口はゴンドラの乗り場にもなっていて、ゴンドラを利用すれば一時間の歩きで山頂に立てる。そのためゴンドラ利用の登山者が多く、登山服姿の人について行ったら、みんなゴンドラの駅に入って行ったので、いささかあわてた。こういう駅の周辺には、たいてい道標がない。客を逃がしてなるものかと、わざと設置しないのである。そのため道が分からなくて困ったが、駐車場奥の林道が登山道であった。

その林道を十五分ほど歩いたところで道が分かれているが、草の陰になった道標を見落として通り過ぎてしまい、予定とは逆向きに一周することになった。そこから一時間ほどで勢至平(せいしだいら)、見渡すとなだらかな斜面の左手に山頂が見えた。山頂は溶岩が堆積してできた乳首(ちくび)と呼ばれる岩山にある。岩山の形が乳首に似ているのである。

勢至平から先は低木の茂みにもぐり込むように道がついている。ところがこの山の管理者はよほど木を切るのが嫌いらしく、道に木がかぶさってきても紐で引き上げるだけ。そのため人間の方が頭を下げたり体をひねったりしなければならず、よそ見していて何度か木に頭をぶつけた。

主稜線の「牛の背」に立つと、稜線の手前と向こうの景色の違いに驚く。稜線の向こう側は崖になって切れ落ちていたのである。この切り立った崖は噴火口の火口壁、その下に広がっているのは沼ノ平(ぬまのだいら)と呼ばれる火口原。この荒涼とした不気味さ漂う火口原で、平成九年に火山性ガスで四人が死亡し、それ以後ここは通行禁止になっている。

郡山市から来た小学生の遠足にぶつかったため、狭い乳首の上はにぎやかであった。「遠足じゃない。登山だ」などと生意気を言っていたが、ゴンドラで往復するのだから遠足である。この日は天気はいいが霞みがひどく、かろうじて磐梯山が見えたのみ。

山頂からゴンドラの山上駅へは一時間のゆるやかな下り、砕石を敷き詰めた道なので歩きやすいが面白みはない。山上駅横の展望台で景色を楽しんでから、ゴンドラを使わず歩いて下山、今日も無事に下山できたといい気分で車に戻ったとき、頭から血の気が引いた。車のカギがない。というよりもカギを入れていたウェストバッグがない。下山の途中、景色のいい岩の上で休憩したとき置いてきたらしい。

すぐにそのまま引き返した。ザックを車外に放置しておくわけにはいかないし、水も食料もまだ必要である。ゴンドラで山上駅へ上がり、そこから下った方が早いかもしれないが、それだと拾ってくれた人がいたとき受け取ることができない。こういう嫌な仕事をするときは急ぐと事故を起こすと自戒し、休憩を入れながらゆっくりと歩いた。

登り返しているとき下山する二人の人と会った。一人はウェストバッグに気づいたが、雉うちにでも行ったのだろうとそのまま置いてきたという。もう一人は下ばかり見ていたので気付かなかったという。

忘れ物の場所までちょうど一時間、予想した岩の上に見つけたときには何とも言えない歓びがこみ上げてきた。嫌な仕事を成しとげた達成感は予想以上に大きく、岩の上に腰を下ろし満ち足りた心でゆっくりと景色を眺めた。下山後、駐車場横の温泉で汗を流し、それから山麓にある岳(だけ)温泉を一周、日が暮れてきたので、そこで見つけた鏡ヶ池の駐車場でこの日の行動を終了した。

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