火打山(ひうちやま。2461.8メートル)

   平成十六年六月十七日(木)。晴。暑い一日。

火打山は新潟県南部の頸城(くびき)山群に属する山。この山と、妙高山(みょうこうさん)、雨飾山(あまかざりやま)、の三山が百名山に入っていることからも分かるように、この山群には心をひかれる山が多い。

火打山という名の由来は不明だが、あるいは火打ち石が採れた山なのかもしれない。尾瀬の燧ヶ岳(ひうちがたけ)、山形県の火打岳(ひうちだけ)、などよく似た名前の山が他にもある。カチカチ山の話はこれらの山と何か関係があるのだろうか。

登山前日、登山口の下見のために笹ヶ峰(ささがみね)へと向かい、名瀑百選のひとつ苗名(なえな)の滝に立ち寄った。十分ほど関川(せきかわ)を遡上したところに展望台があり、正面の崖から、妙高、火打、高妻、黒姫、といった名山の水を集めた形のいい滝が落ちていた。二の滝、三の滝もあるがこのときは通行不能。河原を埋め尽くす巨岩が大水が出たときのすごさを物語る。近くにある杉野沢温泉で入浴、四五〇円也。

火打山登山口にはできたばかりの駐車場と休憩所があった。駐車場まえの小屋で採れたての山菜がどっさり入った山菜ソバを食べる。何が入っているかきくと、「ヨブスマソウ、ワラビ、ネマガリタケ、ウド、コゴミ、ユキザサ。秋にはどっさりキノコを入れます」とか。山菜そのものも売っていたので、行者ニンニクを買って食べてみたが、生で食べるには育ち過ぎで辛かった。

「ヨブスマソウ」の「ヨブスマ」はムササビのこと、葉の形が似ているのである。その仲間に、カニとコウモリを足して二で割ったようなカニコウモリというのもある。ヨブスマソウの仲間はすべて食べられる、だからまちがえて食べても問題ない、と山菜の本にあった。キク科の植物に毒草はないという。

それから小林一茶記念館を見学、なんと建物の後ろに一茶のお墓もあった。要するにお墓の近くに記念館を作ったのである。一茶は北国街道の柏原宿(かしわばらじゅく)の大火で家を焼かれ、家を再建することなく焼け残った土蔵の中で一生を終えた。その場所には家と土蔵が復元されている。彼は生涯に二万句を作ったという。「羽はえて、銭がとぶ也、としの暮れ」。「ともかくも、あなた任せの、としの暮れ」。「是がまあ、つひの栖(すみか)か、雪五尺」など。

この日は五八木(ごはちぎ)という狭い範囲に多種類の巨木が生えているのが珍しいという場所で車中泊。巨木の種類はスギ、ヒノキ、ブナ、ミズナラ、ハリギリ、イタヤカエなど、天皇陛下行幸の地の石碑も立っていた。

この日は登山口で寝るつもりをしていたが、電話が通じないのでここまでもどったのであるが、これが正解であった。水音が聞こえたので見まわすと、山側から雪解け水が流れ落ちていた。水は積んでいても水場があるのはありがたい。道路脇だが車がほとんど通らないので静けさに問題はなし。

登山口近くの林道で、二台の車が出会い頭の事故をおこしていた。互いに右前部をぶつけていた。カーブミラーはあるが、役に立たなかった、あるいは立てなかったらしい。大した事故ではないが、小さな事故でも登山どころではなくなると自戒した。

     
出発

  平成十六年六月十八日(金)。曇一時雨

少し明るくなった四時起床。四時三〇分、登山口出発。一時間ほど歩いた黒沢で、山菜取りの男の人に追いつかれた。沢の水を飲みながらパンを食べ始めたので、こちらも沢の水を飲んでしばらく立ち話をした。

ネマガリタケを採りに行くとかで、大きな袋のようなペチャンコのザックを背負っている。この袋が一杯なるまで、何十キロとタケノコを採るのだろう。本職は登山道のタケノコなど相手にしないらしく、黒沢を下ったヤブへ行くという。もちろん道などなく、熊がやたらと多いのでラジオを鳴らし、ときどき笛を吹いたり爆竹を破裂させたりするという。賑やかなことである。

高谷池から天狗の庭のあたりはこの山の一番いいところであるが、雨と霧のため景色はほとんど見えず、うるさいぐらい、カッコー、ウグイス、ホトトギス、メボソムシクイ、が鳴いていた。

高谷池小屋は三角テントのような形の小屋。小屋番さんが交代してから、何でも親切に教えてくれるし、布団がフカフカになったと、最近この小屋の評判がいい。きのう山菜ソバを食べた小屋で雪の状態をきいた女性は、最近はこの山にばかり来ていますと言っていた。その女性の「雪はかなり残っていたけど、アイゼン着けていた人は一人もいません」の言葉で、アイゼンを車に置いてきた。たしかに雪は多かったが、急斜面に雪の付いている所はなかった。

山頂に着くころには雨が上がり薄日も射してきた。ところが風もないのに雲がたえず湧き上がり、雲を見に来たような感じになってしまった。それでもなんとか、影火打(かげひうち)、焼山(やけやま)、妙高山、を確認した。影火打まで往復一時間とあるがもうそんな元気はなかった。その先にある焼山は火山活動のため入山禁止になっていたが、この二年後にこの規制は解除された。

山頂は円形の広場になっていて、まん中に三角点が立ち、周囲は背の低い、這い松、裏白ナナカマド、深山ハンノキ、などに囲まれている。山頂では誰にも会わず、静けさの中に腰を下ろすと、遠くからかすかにカッコウとウグイスの声、雷鳥生息地とあるが雷鳥は見なかった。

山頂直下の雪だまりにユキザサが芽吹いていた。雪の消えたところから、待ってましたと出てくる。高山植物は新芽も美しい。チシマザクラも満開であった。

時間を大切にする高山植物は、花をつけるのも段取りがいい。たとえばシラネアオイは、握りこぶしの様な芽が出てきて、下を向いていた握りこぶしが上を向いて開くとそれが葉になり、葉の中には花が入っていてそのまま一気に花を咲かせる。新芽の握りこぶしをつまんでみると、中に花が入っているかいないか分かる。

ネマガリタケの群生地まで下ったとき、登山道の脇にザックが五つ転がっていた。やぶの中でゴソゴソと音を立てているのは、熊ではなくザックの持ち主、姿は見えなくてももぐり込んでいるのは明らか。

「雪山讃歌」の碑が笹ヶ峰の道路脇に立っていた。この辺りで合宿していた学生達(西堀栄三郎氏など)によってこの歌が作詞されたので、と説明があった。それで何となくこの歌を口ずさみながら歩いていたが、そろそろ山上の世界とおさらばするという辺りで、「山よさよなら、ご機嫌よろしゅう、また来る時にも、笑っておくれ」と口ずさんだとき、またこの山に来ることがあるだろうかとホロリとした。

この日、山頂まで往復した人は私を含めて五人。距離が長いので高谷池小屋に泊まって二日かけるか、日帰りだと天狗の庭から引き返す人が多い。妙高山に登ったとき、高谷池泊まりで火打山から縦走してきた人に会った。これだと百名山を二つ踏める。

最近は山で抜かされることはあっても、抜かすことはなくなった。そのためこんな理屈をつけて自分を慰めている。八時間の山を十時間かけて歩くのは二時間の無駄ではない、おそらく二度と来ることのない山を、せかせかと忙しく歩いてしまうのはもったいないことであるし、花を見たり、写真を撮ったり、山菜をかじったりしていては、遅くなるのが当たり前、だから抜かされるのは良いことなのだと。

下山後、準備中とあって山菜ソバを食べそこね、温泉にも入らずひたすら走って九時に帰り着いた。その夜、自分のいびきで目が覚めた。私はほとんどいびきをかかないはずなので、かなり疲れていたらしい。

もどる