2011年3月11日の東日本大震災により多くの被災をうけました。美しい山川、海、そして故郷が一時も早く復興されんことを念じています。

今回は久慈の琥珀博物館を訪問した後、現代版の琥珀の道(アンバ−ロ−ド)と洒落込み、久慈を皮切りに浪板海岸、碁石海岸、そして高田松原を訪ね歩き、そこの松林で松根油採取跡について調査のため三陸鉄道の旅を楽しんできました。琥珀はご承知のように大昔、樹木の樹液に虫や昆虫が入り、それがそのまま長い年月の間に化石化したもので、古来よりこの琥珀は宝石、または貴重な装飾品として珍重されてきました。この琥珀の中には松柏科の松から分泌される樹液、つまり松やにをソ−スとするものも多くあります。これらの琥珀は遙かなる昔から陸奥の珍重品として大和朝廷に献上されてきています。この時に使われた道が昔の東山道と言われております。今回の旅の目的は第一には久慈の琥珀博物館を訪問し、琥珀についての取材をすることでしたが、もう一つの目的は、久慈からの陸中海岸沿いにある松林の松で、戦時中の一時期松根油を採取した場所が有るのではないかとの期待を込めて陸中海岸の数カ所の松林を訪問してきたわけです。陸中海岸はご承知のようにリアス式の複雑な海岸で、その海岸線の美しさは世界にも類を見ないものです。また、その海岸線が複雑化したことにより海産物の宝庫となっており、おかげでおいしい海の幸に出会うことが出来ました。

●陸中海岸への出発となった久慈駅は、北リアス線の三陸鉄道久慈駅でJR八戸線の久慈駅とは隣り合っています。ちょうど午前中に久慈博物館の取材を終え、12時の宮古行きの電車に乗って出発しました。お昼の電車に乗ったため、久慈駅でウニベン(¥1260)を買い、電車の中で食しました。ウニがご飯の上に満遍なく敷き詰められらたようになっており、さすがに三陸海岸と満足した次第です。


三陸鉄道久慈駅(左)JR宮古駅

●三陸鉄道に乗った日は週末でしたが、流石にがらんとしており電車の中で知り合った地元のおばさんと四方山話に興じるなど、宮古まで旅約1時間40分を十分堪能できました。途中鮭の遡上がみられる安家川(あっか)の鉄橋の上で臨時停車してくれるなど三陸鉄道のサ−ビスもありました。

●宮古到着後、JR山田線で浪板海岸を目指しましたが、宮古駅での接続が悪く2時間待ちとのこと、旗と困ってしまいましたが、ここから陸中山田行きのバスがあったので、これ幸いとばかり乗車しました。しかし、この陸中山田駅に到着するも電車は1時間待ち、バスはなくしまったと思いましたが、駅前のタクシ−の運転手さんと交渉し、浪板海岸まで格安料金でいってもらえることになりました。


JR陸中山田駅(左)浪板海岸駅

●浪板海岸は寄せる波が粗い砂に吸われ、返す波がなくなるといわれており、松林と白い砂浜が450mも続き、夏には海水浴、サ−フィン客で賑わうとのこと。近くには井上ひさし氏の小説で有名な吉里吉里海岸もあります。吉里吉里海岸はこの浪板海岸駅の次です。この浪板海岸の松林に松根油を採取した跡があるのではないかと思いわざわざ訪問したわけですが、残念なことにここには見つけることは出来ませんでした。


浪板海岸(左)浪板海岸の松林

浪板海岸の松林は赤松が主体で、樹齢70−80年は経っていると思われます。

●浪板海岸から再度JR山田線に乗り、釜石駅まで行き、釜石から三陸鉄道の南リアス線に乗り、盛駅へ行き、そこからJRに乗り換えて15分、細浦駅へ到着しました。日は落ちてすっかり暗くなっていましたが、連絡していた民宿の人が迎えにきていました。民宿は細浦駅から約15分、碁石海岸にあります。民宿到着19時30分、久慈駅を出てから約7時間の旅でした。


三陸鉄道盛駅(左)JR細浦駅

民宿は出かける前にインタ−ネットで検索して申し込んでおきました。週末の金曜日ということもあり、泊まり客で部屋はいっぱいでした。食事はさすがに海べりのこともあり、マグロの兜焼きをはじめ、鯛の焼き物、刺身と食べきれないほどのごちそうでした。食事の用意などは菊川怜に似た娘さんが対応してくれ、満足以上のものがありました。食後はここの民宿の自慢の露天塩水風呂につかりました。残念なことには温泉ではなく沸かし湯とのことですが、露天の風呂から見える景色は絶景で、松林と打ち寄せる波のコントラストは絶品でした。


民宿海楽荘(左)露天風呂からの眺め

ここ碁石海岸は陸中海岸国立公園の代表的な景勝地の一つで、洞窟、断崖など海蝕の影響を受け奇岩を形成しています。朝早く起きて付近の遊歩道を散策しました。碁石海岸は赤松に囲まれた遊歩道があり、散歩・散策には絶好のところです。残念なことにはここの松林でも松根油を採取した跡は見つかりませんでした。


赤松の林(左)碁石海岸の日の出


二〇〇二年秋 岩手県陸中海岸・碁石浜にて(私の一句です)
砕け散る碁石が浜の白き浪 雲の切れ間に松間の月


●碁石海岸を出発し、細浦駅まではバスに乗り、そこから陸前高田駅を目指しました。陸前高田までは約15分。陸前高田を目指したわけは、ここの高田松原の松林に松根油を採取した跡があるのではないかと思い訪問したわけです。高田松原は森林浴の日本百選にも選ばれた見事な海岸線と松林が続きます。


高田松原の海岸(左)松林

高田松原の松は古くは江戸時代(寛文年間1661−1672)から植えられているといい、現在でも大きい松は直径1mを超すものもあります。7万本の赤松、黒松の見事な植林ですが、残念なことにはここでも松根油採取跡を見つけることは出来ませんでした。

森林浴の森日本百選
                          

●高田松原見学後は陸前高田に戻りそこからバスで一関まで出て(約2時間)、新幹線で帰省しました。古代琥珀の道は奥州道を通り、中山道、東海道と使って京・奈良へ運ばれてきましたが、今回の旅では裏の琥珀の道を探索し、現代版の琥珀の道を訪ねてきました。

●現代版琥珀の道を訪ねて

現代版琥珀の道を訪ねてと題し、陸中海岸を久慈から陸前高田まで旅してきました。第一の目的は既述しているように、陸中海岸沿いの松林で戦前に松根油を採取した跡が残っていないかどうかを調査するためでした。そのために、浪板海岸、碁石海岸そして高田松原を訪ねてきましたが、結果としてはどこの松林にも松根油を採取した跡はありませんでした。インタ−ネットで検索したり、電話で商工会議所や営林局などにも問い合わせましたが情報を得ることは出来ませんでした。今回、結果としては残念でしたが、それでも陸中海岸沿いの景色を堪能し、おいしい食事にも出会えたこと満足以上のものがあります。

●追記:

今回の旅でJR盛岡駅からJR久慈駅まではバスを使いましたが、途中盛岡駅から20−30分の国道沿いに大きな松林がありました。全部見たわけではありませんが、バスの窓から見た限りでは、松根油を採取したような跡が見受けられています。筆者が以前訪問した東北農業研究センタでも松根油採取跡がありましたが、このことから考えてもこの近くの国道沿いの松林で松根油を採取している可能性は十分考えられます。機会を見つけて盛岡を訪問して、松根油採取跡についての訪問記を計画しています。