揺れ動いた心
             羽田竹美


 沖縄の白いビーチに建つ白い教会で、二〇一〇年十月三十一日に次男が結婚式を挙げた。祭壇の後ろはガラス張りになっていて、十字架が青い海に浮いているようであった。
 前日まで、台風が沖縄を直撃すると天気予報では言っていた。そうなれば飛行機は飛ばないだろう。季節はずれの台風に直前まで心配させられた。当日の朝、東京は大雨。私と長男は午前三時に家を出て、羽田空港に向かった。台風は沖縄をそれて、猛スピードで東京方面に向かっているという。六時半の便で沖縄に飛ぶ。かなりの揺れであった。台風に逆らっての沖縄行きである。眠っている長男の横で、私はロザリオの珠をずっと繰りながら祈っていた。
 沖縄空港に着陸すると、信じられない上天気だった。抜けるような青い空の下、レンタカーを借りて教会へと走らせた。
      〇
 娘の佐保が天に召されてから五年目に次男のAは生まれた。お腹に出来たときには正直言って戸惑った。そのとき、もうすでに私の股関節は壊れてきており、ときどき猛烈な痛みが出ていたのだ。産んで育てられるだろうかと、不安だった。夫と何日も話し合い、それでも私は赤ちゃんが欲しいという願望が強かったのだ。悪阻がひどく、もしかしたら流産という危険性も大であった。文字通り、命がけの出産である。お兄ちゃんになりたがっている長男のMのためにも、命を縮めてもよいからこの子をなんとか産みたいと思った。
 家族や病院のドクター、看護師さんたちの愛に支えられて、Aは誕生した。
 夫とMの喜びは大きく、退院してからみんなして宝物のように大切に育てた。十歳になるMが私たち両親と同じ保護者のような顔をして可愛がる姿に、あんなに辛い思いをしたけれど、産んでよかったと、しみじみ思うのだった。そして、私たちの家族となって生まれてきてくれたこの小さな命に、ありがとうを何度言っても足りないくらいだった。 
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二枚目
 Aは私たち家族の愛を一身に受けて、のびのびと、いたずらも桁外れに育ってくれた。兄とは正反対に活発で、ひょうきんで、考えられない突飛な行動をするAに、足が不自由な私はついていかれないという苦労もさせられた。活動的な子であったので怪我も多く、四歳のAを抱いて雪道を外科の病院に駆け込んだこともあった。あのときは、自分の足の痛さなんかかまっていられなかった。
 長男のMはしっかりした強い子に育てたいと思い、小さいときからかなり厳しく育てた。体の弱い私たち両親は、いつどうなるかわからない。一人で生きていかれる人間になって欲しかった。
 ところが、Aは兄がいることでそんな必要はないと、自然と甘やかして育ててしまったようだ。しっかり者の兄と違って、甘え上手というか、何かというと「おかあさーん」と擦り寄ってくる。それがまた可愛くて、夫も私もつい甘くなってしまうのだった。
 夫が亡くなる少し前、病院のベッドで、
「Aが可愛くてたまらないんだ」
 と言っていたが、私も同じだった。
 中学三年生のときに父親を亡くしたAが不憫であった。その後、兄のMがAの父親代わりとなって私の力になってくれた。けれど、Aがだんだん私から離れていくのが寂しかった。あんなにひょうきんにいつもふざけて笑わせてくれたAの態度がよそよそしくなるのが悲しかった。何を考えているのかもわからないもどかしさに心配のあまりついあれこれ聞いてしまい、だんまりを決めこむAについ声を荒げてしまった。
「心配しないでよ。もう、ほっておいて! 心配されると負担になるんだよ」
 ショックだった。
 この子は独り立ちしたくてもがいているのだ、と思ったがやはり、夫から託されたAが心配だった。
「もー、いい加減、子離れしてください!」
 ある日、彼女がいるのかと、聞いた私にAは苛立って言った。
 友達が笑って、
「私に娘がいたら貴女のところにはお嫁にやらないわ」
 と、言った。やはりこれは真剣に子離れしなければいけないのだな、と考えた。しかし、そうは言ってもなかなか簡単なものではない。
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三枚目
 Mが結婚したときにはあんなにうれしかったのに、Aが私のもとから出て行くことを思いめぐらすと堪えられなかった。食事を別にしたり、必要なときしか話さないように、Aの行動を詮索しないようにしたりと、私なりに努力した。あの子を一人の大人として見るよう気を使った。
 そして、何年か経った大晦日の晩、
「結婚したい人がいるんだ」
 と、切り出され、私の心に大波が立った。  
 この結婚を私が受け入れるまでには様々あったが、会ってみた彼女はとてもやさしくて、細かいところまでよく気の付く人だった。この人ならAを任せてもよいのではないかと思う反面、やはり大切にしていた宝物を離したくない気持ちは皆無ではなかった。その証に、入籍して家から引っ越すAが、
「じゃあお母さん行くから。いろいろありがとう」
 と、出て行ったあと、予期せぬ涙があとからあとから流れた。
       ○
「結婚式に花束贈呈はやめてよ。手紙を読むのもやめてよ」
 必ず泣いてしまうだろうことはすべてやめてもらった。
 美しい花嫁と幸せそうにしているAを私は祝福した。
「あなた、Aを守っていてくださいね。こんな素敵な女性を妻にしたのですから」
 亡き夫に語りかけ、賑やかな披露パーティは笑いのうちにお開きになった。控え室にもどった私のところにAがやってきて、私の前にきちんと座った。
「お母さん、今日は本当にありがとうございました」
 必死に抑えていた栓が突然はずれて、熱いものが流れ出た。
「やめてー、せっかく我慢していたのに、泣かせないで……」