ヤマノイモ
        石川のり子


 朝のテレビで、ナガイモの収穫のようすが放映されていた。真っ直ぐに育つように長いパイプの中で栽培されたナガイモは、機械で掘り起こされていた。種類の多いヤマノイモの中でも、調理しやすいナガイモは好まれているようだ。見るからに美味しそうな五、六〇センチはありそうな立派なナガイモが、山積みにされていた。
 見ているうちに、ヤマノイモの好きな私は、急にトロロご飯が食べたくなった。買い置きはないが、我が家の緑のカーテンとして直射日光を遮ってくれたヤマノイモが一本、五〇センチほどの深いプランターに、まだ植えてある。これを掘ることにした。
 二階の手すりまで伸びた蔓は、すでに葉を茶色に変色させていた。同じ緑のカーテンだった三本のゴーヤは、十月早々に役目を終えていたが、ヤマノイモは丸いハート形の葉が青々としていたので、そのままにしておいたのだ。よく見ると、葉の付け根にはムカゴが大、中、小、と三個ついていた。ムカゴはデンプンなどの養分が蓄えられていて、種イモにもなり、炊き込みご飯や煮つけても美味しいらしい。
 我が家のムカゴは、大きいのは七,八センチのつくねのようなグロテスクなものだ。中くらいでも親指の先、小さいのは小指の先ほどで、よく見かけるムカゴの大きさである。蔓も伸びて太かったので、さぞかし地中のイモは長いだろうと、期待で胸が膨らんだ。
 さっそくプランターの土を掻き出そうとしたが、根が張っていて、スコップが入らない。茎を持って引き抜くことも無理なのでプランターをひっくり返して、底を足で強く振動させた。四角のプランターの形になって抜けた土の塊を、スコップでほぐすと、なんと握り拳ほどの丸いイモが出てきた。
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二枚目
 私の想像していたナガイモではなかった。
 そういえば、葉の形も長細い形ではなく、丸形だ。ムカゴもつくねのような大きさだ。もしかしたら、スーパーで見かけたことのあるヤマトイモかもしれない。すりおろして食べる気持ちにはならず、来年のお楽しみにと、庭の隅に埋めた。
 ムカゴは、せっかくだから試食してみることにした。いちばん大きいつくね形のムカゴを九つに切った。皮がむけて青い大豆ほどになったが、これにお猪口(ちょこ)いっぱいのお米、カップ三杯の水を入れて、行平鍋でゆっくり煮た。
 お粥しか調理法が浮かんでこなかったのは、一週間ほど前、本の整理をしていて、芥川龍之介の『芋粥』(いもがゆ)を目にしたからだ。材料はヤマノイモではなくムカゴだが、初めてでもお粥なら失敗しないだろう。
 物語では、「芋粥」を「あきるほど飲んでみたいということが、久しい前から、彼の唯一の欲望になっていた」貴族では身分の低い五位という、うだつが上がらない男が、京から敦賀(福井県)まで連れ出されて、念願の「芋粥」をたらふく食べさせてもらう。
 その量は、「切り口三寸、長さ五尺の山の芋」が二、三千本も集められ、五石を入れて煮る大きな釜に五つ六つも煮られた。切り口が三寸といえば約九センチ、長さは一メートル五〇センチ以上もある丸太のようなヤマノイモである。念願かなって「芋粥」を目の前にした男は、食欲が失せ、「いやいやながら飲みほした」。そして、「芋粥に飽きたいという欲望を、ただひとり大事に守っていた、幸福」をふり返っていた。何事も待ち望んでいる気持ちがいちばんであって、成就すると案外つまらないものだったりする。
 作品の「芋粥」は切ったヤマノイモを甘葛(あまずら)の汁で煮たものだが、私はお米と塩をほんの少し入れた、当時とは味も見た目も違うお粥だったのだが、ともかく私のお粥が出来上がった。
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三枚目
 食べてみると、やわらかくて少しとろみがあって、幼いころ風邪をひいた私に、母が作ってくれた懐かしい味だった。
 そういえば、昔、わが家でもトロロイモを作っていた。ナガイモだったのか、イチョウイモだったのか、今のように改良されていないので見た目ではわからなかった。晩秋の晴れた日に、父は畑の端に植えられたヤマノイモを鍬(くわ)で掘っていた。専用の道具がないので、途中で折れたり、鍬で切られたりで、無傷なものは少なかったが、それを納屋に吊り下げて保存していた。
 家族で食べるのだから、味さえ良ければ形にこだわることもないのだが、私はときどき母に文句を言った。お手伝いで囲炉裏の火にかざして、表面のひげを焼き切っているときなど、もっと長ければ手が熱くないのだ。掘り上げる苦労を知っている母は、黙って笑みを浮かべていた。
 新米のトロロご飯は美味しかった。大きなすり鉢で家族五人分のイモをすりおろし、粘りがあるので、味噌汁の上澄みを入れて擂粉木(すりこぎ)でのばす。消化がいいので姉と競って食べたが、腹痛を起こしたことはなかった。
 結婚してからも、スーパーでよくナガイモを買った。半分にされたものだが、その足で魚売り場に行き、マグロの刺身も買う。山かけは夫も食べてくれた。
 夫はトロロが大好きな私に、宇津ノ谷峠の丸子の宿(静岡県)には美味しいとろろ汁があるから食べに行こうと、誘ってくれていた。宇津ノ谷には義父の姉が嫁ぎ、従兄弟(いとこ)が住んでいたので、紹介したいと思ったのかもしれない。芭蕉が江戸へ行く門人乙州への餞(はなむけ)として詠んだ「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」の大きな石碑も見るといいよと、言っていたが、とうとう実現しなかった。
 いつか新幹線に乗って、富士山を仰ぎ見ながら、念願のとろろ汁を食べに行こうかと思っている。