遠くて近い友
           石川のり子

 
 八月半ば、待ちかねていた中学時代の友人M子さんからの近況報告のメールが届いた。彼女は今、長女宅のダブリン(アイルランド)に滞在している。
 避暑が目的ではなく、三月十一日の東日本大震災による原発事故で、空中に飛散した放射能が健康を害することを心配したからである。甲状腺の持病がある彼女は、事故直後には韓国に五日ほど避難した。放射性ヨウ素の甲状腺への被曝を、同居していた次女が恐れて一緒に逃れたのだという。大勢の外国人が日本を離れたというニュースを他人事のように聞いていた私だが、M子さんもその一人だった。彼女は今、二人の娘に守られて暮らしている。
 メールには、「東京は暑い六月だったのに、ダブリンは涼しくて風邪をひいてしまい、おまけに転んで軽い怪我をして散々。でもポルトガルへ行って、美味しい魚料理を堪能したから回復したわ。ポルトガルは気温が三十度でも湿度が低いから快適よー」と、書いてある。以前住んでいたスペインは同じイベリア半島なのに、足を伸ばさなかったようだ。

 旅行前の六月の中旬に、銀座のカフェでおしゃべりしたとき、もうすぐダブリンへ行くつもりだと言った。年齢とともに出不精になっている私は、気軽に海外に出かける彼女の行動力に舌を巻いた。私は数えるほどしか海外旅行をしていない。その私がダブリンを知っていたのは、半月ほど前、イギリスのエリザベス女王が、英君主としては百年ぶりにこの地を訪問された、という新聞記事で読んでいたからだ。
「たしかアイルランドの首都よね」
「そうよ。厳重な警備をしていたにもかかわらず、到着前に首都ダブリンで暴動があったらしいの。独立前はイギリスに虐(しいた)げられていたからね。イギリスは紳士の国といわれているのに……」
 長女からの情報なのか、なかなか手厳しい。
「でも、訪問は関係を改善する目的もあったわけでしょう」
 彼女は軽くうなずき、何かを思い浮かべたのか目を細めると、笑みを浮かべた。
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二枚目
「気温は日本の春だけど、木がたくさんあって、静かな街(まち)よ。退屈なほど本が読めるわ」
「気に入っているのなら、永住も視野に入れているの?」
「それはないわね。娘は今、大手のIT企業に勤めているけど、将来はわからないし、国の景気があまりよくないようだし……」
 そうは言っても、三十代半ばで母親の身を案じて呼び寄せる娘なんて、そうざらにはいない。

 M子さんは英文科を卒業して五年ほど会社勤めをしてから、憧れのスペインに渡った。渡航前に我が家を訪れた彼女は、大学の聴講生としてスペイン語を勉強していると言った。信じた道を迷いもなく進んでいるように見えて、うらやましかった。そのとき私は、世田谷の夫の実家に住んでいて、長女を身ごもっていた。彼女とは全く違った生活をしていた。
 それから十五年ほどして、同級生の一人が、東京でM子さんが娘二人と暮らしていると教えてくれた。
 帰国しているなんて考えてもみなかったので、驚いた。住所と電話番号は手帳に書き留めておいたが、私自身が再就職したこともあって、連絡は途絶えたままになっていた。
 偶然の出会いとはこういうことをいうのだろう。七、八年も前になるが、銀座のデパートの地下通路を歩いていると、
「のこちゃんでしょ?」
 と、呼び止められた。私を見て笑っている、ちょっと異国的な雰囲気を漂わせた長身の女性は、思いもかけないM子さんだった。
「久しぶりね。時間ある? わたしなら三十分くらいだいじょうぶだから、コーヒーでも飲みながら、話しましょう」
 一方的な話し方は相変わらずだった。
 カフェで向かい合って座ると、彼女は開口一番に言った。
「全然変わっていないのね。だからすぐ分かったわ」
 声をかけられてもすぐにはM子さんが分からなかった私は、二十年ぶりに会った友の褒めことばが少し気になった。
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三枚目
 しかし、夕方の人込みの中でよくぞ見つけてくれた、とうれしかった。
「スペインには十五年住んでいたけど、娘二人を連れて戻ってきたの。コロンビア人の彼のことは話したくない。ただ娘たちには日本語をぜんぜん教えなかったので、かわいそうなことをしたわ」
「中学生と小学生だった?」
「ええ、登校拒否もしないで通ってくれたから良かった。その点は親孝行な娘よ。わたしも必死で頑張っているけどね」
 私は聞き役だったが、ときどき「人生って平坦な道ばかりじゃないから」などと、月並みな相槌(づち)を打った。
 会社の文房具を買いに出た途中だったという彼女とは三十分後に別れた。 別れ際に娘さんの写真を見せてもらったが、長女はスペインの大学に通い、モデルなどのアルバイトをしているとのこと、次女も芸能界からのスカウト話があるほどの美少女だった。
「あなたには宝物があるわ。がんばってね」
 握手をして別れた。
 それからは、私も月に一回ほど銀座に行っていたので、ときどき会っておしゃべりをした。

 冒頭のメールには、日本は肉、野菜、魚など放射能まみれで、何をどうやって食べているの? と書いてある。海外からみれば、危険な国になっているのだ。日本以外にどこにも逃げ場のない多くの日本人は、マスコミの報道を信じて日々を暮らしている。
 政治家は震災のこと、放射能のこと、もっと真剣に考えてほしい。困難に直面すると首相が交代するのが慣例になってしまっている我が国は、当然のことながら外国からの評価も下がっているという。

 M子さんは秋には帰国するそうだ。おみやげのリクエストは、嵩(かさ)張らないで値の張らないものなら何でもオーケーとのことだから、帰国までには決めて、ダブリンにメールするつもりだ。