ときめきは若さの秘訣
                       羽田竹美


 夫が亡くなってから十七年経つ。街に出ると、今でも夫の影を探している。
 背が高くて細身で、髪は黒々とした男性を追い続けている。ところが、背が高いといっても、夫の背丈は一八五センチ以上という、若いころにはそんじょそこらにいない高さだった。 そのころ背が高い男性というとせいぜい一七0センチぐらいが多い中、夫は頭一つ抜きん出ていた。駅で待ち合わせしても、雑踏の中で私は、夫が来るのがすぐわかった。 私はチビで、一五三センチ。キョロキョロ探している夫がおかしかった。
 今の若者は背が高くなった。一八0センチ以上ある若者が巷にあふれている。テレビに出ている俳優も一八五センチぐらいの人がざらである。私は自分がチビのくせに、背の高い男性しか目に入らない。
 長男は一八0センチすれすれでまぁいいとして、次男は一七六センチで止まってしまい、
「なんでお父さんを追い越せなかったのよ。チビなんだから」
 と、詰(なじ)ってしまった。
 すると、次男曰(いわ)く、
「お父さんとお母さんの背の高さを足して、二で割ってみてよ。それよりオレは高いだろう」
 たしかに。私は納得したが、残念でならないのである。
「あなたが、お父さんぐらい背が高かったら、もっともてたのにねぇ」
 次男は母親の言葉を柳に風と聞き流す。昨年、背の高い素敵な女性をみつけてさっさと結婚してしまった。
 私は一人家に取り残された。テレビを見ていたら、かっこいい俳優を見つけた。背が高く細身で、夫より目が大きくてハンサムである。夫には悪いが、この俳優に乗り換えた。毎週ドラマを見ながら胸をときめかす。
 ところが、ある人から「あの人はホモだよ」と言われ、がっかりした。本当かどうかわからない。でも、なんだか気持ちが失せてしまった。 
 美人とか美男子とか、外見でその人の価値を決めてはいけないとわかっている。背が低くても少々不細工でも明るく心のきれいな人であれば、逆に外見が美しく見えても心が歪んだ人よりずっとすばらしいのだと思っている。 が、かなしいかな人間とは視覚に一番左右される動物なのである。第一印象が美しい、かっこいい、となると、やはり胸がときめいてしまうのだ。
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二枚目
 私はリハビリのために毎週、車でプールに通っている。じっとしていても汗が流れてくる猛暑の夕方、赤いポロシャツを着て、プールに向かった。 途中でガソリンが切れているのに気づいて、あわてて以前安かったガソリンスタンドに入り込んだ。
「いらっしゃいませ。セルフです」 
 ついこの間まではセルフではなかったので私は焦った。 自分でガソリンを入れるセルフのスタンドは、入れ方がわからないので敬遠している。
「あっすみません、それじゃあ出ます」
 急いで出ようとした。すると、
「お教えいたしますからー」
 爽やかな声で言われて、車を止めた。
 とても親切で丁寧に教えてくれてガソリンは入れられた。係員の男性は背の高い、テレビに出ているイケメンの俳優に似ていた。
「この次からもこのカードで、どうぞご利用ください」
「でも私、年寄りだから忘れちゃうわ」
 と言うと、彼は、
「いいえ、じゅうぶんお美しいです」
 と、即座に答えた。
 私は年甲斐もなく頬を染めた。
「あらっ、イケメンさんにそんなこと言われて、どうしましょう」
 まったく恥ずかしいほど耳まで赤くなってしまった。
 ルンルン気分で車を運転してプールに行くと、プール仲間から、
「羽田さんどうしたの? 何かいいことあったみたいね」
 と、言われてしまった。
 このときめきはしばらく続き、あのガソリンスタンドの前を通るとき、彼の姿を探すのだが、何故か一度も見ていない。それでも、あの一瞬のときめきは私を若さに引き戻してくれたような気がする。