退職後のあり方
             高橋 勝


  この九月のはじめ、東京文化会館大ホールで催された、新都民合唱団の定期演奏会で、ブラームスの「ドイツレクイエム」を聴く機会があった。それというのも、この作品が特に好きというわけではないのだが、私自身、この文化会館の友の会に入っているので、毎月募集のかかる無料招待に応募し、当選していたためである。
 舞台に一列になって入場してくる合唱団の方々を何気なく観ていると、いずれも髪が銀色だったり、お顔に人生経験がしっかり刻印されていたりしているのがうかがわれる。六十五歳から七十五歳といった感じの方々を中心に、百名を超す団体が雛壇に整然と並んだ。
 やがて演奏が始まり、ほどなく合唱が一斉に続く。大きく開いた口から、またそれを支える全身から、力強い声が一つに調和し、三階もある客席の隅々まで響き渡る。背筋を凛と伸ばし、一度も腰掛けることなく、フィナーレまで歌い通した。鳴りやまない拍手の波が合唱団と管弦楽団の一同を飲み込み、感激になおいっそう一同胸を高鳴らせ、歓喜のうねりでアンコールに応えてくれた。
 私も拍手をする手の動きが止められないまま、白黒のタキシードとドレス姿に身をまとった舞台上のパワーに魅入られていた。そのとき何かふと頭を過ぎるものがある。今後迎えるシルバーエイジの余生をいかに過ごしたらよいのか、と。
 新聞などの報道によると、六十五歳以上の人口は、今年初めて三千万人を突破したという。昭和二十二年生まれの、団塊世代に属する先頭グループの人たちが今年六十五歳になり、高齢者の仲間入りをしたためである。日本はこれからさらなる高齢社会に入っていくことが分かる。
 昭和二十二年における日本人の平均寿命は、戦争の影を引きずっていたこともあり、男性が五十歳、女性が五十四歳だった。その後、「敬老の日」が祝日法に定められた昭和四十一年当時は、六十八歳と七十四歳になる。ところが現在は、七十九歳と八十六歳である。定年退職の六十歳で職を辞すると、残された時間が二十年から二十五年ほどの計算になる。
     → 二枚目へ



二枚目
 ただし、六十歳を過ぎても心身共に元気でいる以上、再就職をしたり、専門職を続けていたりして働き続けている人も多い。ここでは、いずれ老後になり、遅かれ早かれ現役を退いた後、あるいは働いているさなかであっても、いかに残された時間を過ごしていけばよいのか、そのあり方について考えてみたい。
 老後と時間との関係で考えれば、まず現役時代は仕事一筋として働き通しであった場合、退職後はゆっくり休み、悠々自適な生活を送ろうとする人は多いと予想できる。ところがいざ仕事がなくなってしまうと、それまでの生きがいも同時に喪失してしまうことになり、毎日毎日めぐってくる時間を持て余すようになってしまうかもしれない。このような場合、退職という転機によってもたらされた時間というものが、自分の上に重くのし掛かる存在として始めて気づかされることになる。
 そこでこの時間をなんとかやりくりし、できるだけ充実したものにしようと思ったとしても不思議ではない。一人で過ごすことに耐えられないなら、地域の趣味サークルの戸を叩いてみることができる。今回のような舞台で活動するコーラスグループや、このところ人気のある山岳同好会やダンス愛好会、あるいは生涯教育の一環として俳句や川柳創作など室内でできる文芸クラブや生け花、料理教室といった活動団体が見つかる。自分の趣味や能力などに応じてなにか適当なものに参加し、仲間とともに時間を共有しながら一日を過ごしていける。
 あるいは逆に、時間が制約となってこれまでは実行しようと思っていても思うようにできなかったことが、これを機にやっと思い通り活用できるようになった場合も考えられる。例えばボランティア活動に従事しようと思うなら、地域で主催する各種催し物に参加できるし、教育現場や介護施設などに出向いていって援助を必要としている子供たちや施設のために自分の時間を役立てられる。それから一人でできる活動というものもある。例えば、それまでの経験を活かすなどして、学問や文芸創作を深められるし、レコード音楽をじっくり鑑賞し直すこともできる。あるいは国内外を問わず旅回りに出かけられるし、家に居ながらにして園芸ガーデニングに没頭することもできる。
     → 三枚目へ



三枚目
 以上さまざまな活動を列挙してきたが、このような活動を時間との関係で考えるならどのように言えるだろうか。あり余る時間にたえず追い立てられ、なんとか一日一日、一時間一時間と、時間を消費しながら、いわば受動的にその日その日をやり過ごそうとしているのか、あるいは、与えられた時間を唯一無二のものとしてとらえ、自らその時間のなかに能動的に入り込んで生きているのか、その相違によって同じ時間を過ごすにも、質的によほどの差異が出てくると考えられる。
 『徒然草を読む』(上田三四二著、講談社学術文庫)の中で、著者は兼好における時間のとらえ方について、原文に則して深く追求している。
「老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。……人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束(つか)の間も忘るまじきなり」(第四十九段)。ここには、死はいつやってくるか分からないので、このことをしっかり心にとどめおき、いつも忘れずにいるべきであるという、兼好の現世における無常観が簡潔に表現してある。
 さらに、「忽(たちま)ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ」(同段)と、いざ自らの死を目前にする段になって、はじめて現世の時間を過去にさかのぼらせることになるのだと語る。ここには兼好の死生観の一端が述べられていよう。つまり、浄土教の先行者に見られる厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)という後世を夢み熱望するのではなく、僧形をしていても兼好にとって切実なものは、あくまで現実の生への認識であるということである。
 第百八段には、「たゞ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし」という有名な一句が見られる。ここでは、万物皆流転の世の中にあって、今の瞬間を虚しく過ごすべきではないとして、そうしたごく短い時間を自らのものとして獲得すべきであると語っているのである。
 しかし著者は、こうした瞬間のとらえ方は、限定された時間に対する防御ではありえても、限定からの真の解放をもたらすものであるとは思えないと続け、次の箇所を引用する。「直(ぢき)に万事を放下(ほうげ)して道に向ふ時、障(さわ)りなく、所作なくて、心身(しんじん)永く閑(しづ)かなり」(第二百四十一段)。心身永閑を得るためには、世の諸縁に「けばく」された状態から離脱し、諸縁放下することが必要だというのである。そして、「兼好の心術の目指すところは、身(しん)における諸縁放下と、心における寸陰愛惜(すんいんあいじゃく)の上にあるこの心身永閑の境地にある」とまとめている。
     → 四枚目へ



四枚目
 一方、この寸陰愛惜の境地を得るためには、「念々、また念々、時々、また時々、彼(兼好)はみずからの心をもってみずからの心を覗き込み、みずからの時間をもってみずからの時間を覗き込む」という認識方法をとり、「直線的に流れてやまない時間を、瞬間、瞬間において完結させ、凍結させようとする」のだと著者は続ける。そして、兼好の述べる「つれづれ」の時間とは、「単なる退屈などとは似ても似つかぬ、ほとんど死を先取りしたような、瞬間、瞬間における自己凍結の峻烈さを封じ込めている」とするのである。
 以上をまとめてみたい。物事にとらわれなければ、それだけ身はそれらの物事に振り回されることもない。代わって自分の時間が持て、心も落ち着き、本来の自分の心と向き合え、楽しく対話することができる。しかしそうできるのは、人として生まれた以上避け得ない自らの死が必ずやってくるのを自覚し、それまでの時間をかけがいのないものとして認識できる心を獲得しなければならない。こうすることで人は、限定された時間から真に解放されるのである。
 『徒然草』の書かれた鎌倉時代末期と今日の戦後民主主義社会では時代状況の違いがあり、人間の感じ方も考え方も必然的に変わっている。それゆえ、現代人が兼好の生き方を一概に理想とするのは難しい。しかし、古典にはいつの時代にも学べる普遍的な教えが込められているのであり、そこからなにがしか吸収できるものがあるはずである。
 兼好は、「寸陰愛惜」のために「諸縁放下」する必要性を説いている。これは理屈としては理解できるものの、今日に生きる一般庶民にとってあらゆる俗事を投げ捨て隠遁するような生き方はほとんど不可能である。ただ考え方によってできるだけ減らしていくことはできよう。つまり、限られた時間を豊かに生きるためには、この避け得ない、あるいは自ら選択した俗事に混じりながらも、いかにしてそうした混じりけのない時間を手に入れられるかといった問題であり、これは、その人の生き方次第にかかわってくるということである。
    → 五枚目へ



五枚目
 退職をすると、特にすることもなく、自分も何かしなくてはと、絶えず強迫観念に追い立てられてしまうと、極端な場合には、ひと月分の日課表を前もって全て埋めておかなくてはならないなどと、意に添わないままなにがしかのサークルに入って無理に過ごすようなこともあるのではないか。しかしそうであるかぎり、結局は足を宙に浮かしてしまうだけで、心安らぐどころかいよいよ自らを空虚な時間に追い込んでいき、暗く沈んだ日々を送らなくてはならないだけのような気がする。
 そうならないためには、物事を断念する勇気も必要ではないか。何をやるかという問題も本人の価値観にとって目を逸らすことはできない。しかしそのことに囚われて実行したとしても現実的に不可能だと分かったなら、潔く考え方を変え、自分の手の届く範囲のことだけでもできれば良いと思える生き方を手に入れられればよいのではないだろうか。なぜなら、何をするかということも大切だが、それをすることによっていかに自分の時間を豊かに生きられるかということのほうがもっと大きな意味をもってくるからである。
 何か好きなことをしてそのなかに没頭していることができる。周りの人や社会や自然といった環境との関係を保ちながらその場に居ることができる。あるいは誰かと何か物事を通して繋がっていることができる。そのようなとき、人は、何もせず一人で自分の時間や心と向き合っている場合に感じられる時間とは違った、何か外的な物の動きに応じて自分の心に絶えず変化してやまない動きを、刻一刻と新たに感じとれるものである。突如として心にわきたつ小波(さざなみ)であるかもしれないし、何らかの感情で直撃される落雷なのかも分からない。あるいは得も言えぬ悲しみかもしれない。そうした色彩豊かな思いをしっかり抱きしめ、穏やかに楽しむだけの余裕を持てればよいと思う。
 なんとなく日暮れ時に外に出てみると、通りかかった古民家の垣根に白い夕顔の花が巻きついているのを目にしたとするや、若かりし頃読んだ古典の場面が蘇り、当時、実家で過ごしていた場面や、文通していた相手の面影を思いだすかもしれない。