蘇州夜曲
          福谷美那子
 

 私が初めて「蘇州夜曲」の歌を聴いたのは、戦後間もない国民学校四年生のときであった。

 君がみ胸に 抱かれて聞くは
 夢の舟歌 恋の唄
 水の蘇州の花散る春を
 惜しむか 柳がすすり泣く

 透きとおった水が流れていくようなこのメロディーの美しさは幼い私の心を捉えた。このひとときから、忘れられない曲になった。
 当時、私の故郷(横須賀市追浜)では、夏祭りになると、町の氏神様と言われていた「雷神社」に簡素な舞台が出来、演芸が催された。
 子どもたちは、今年は何が出し物になるのか、胸をわくわくさせながら待ったものだ。
 その年の劇は、だれもが知る「浦島太郎」だった。不思議なことに浦島太郎が竜宮城の乙姫様と別れるときに、乙姫様がこの唄を歌ったのである。
 歩道短歌会に入会して、佐藤先生がこの「蘇州夜曲」をお好きであると聞き、私はとてもうれしかった。先生を身近に感じたのである。
 どこの全国大会であったのか、考えても思い出せないのだがーー。その余興の舞台で「蘇州夜曲」が歌われたとき、聴いていらした先生のお顔にほのぼのとした笑みが浮かんだ。
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二枚目
 髪にかざろか 口づけしよか
 君が手折りし 桃の花
 涙ぐむよな おぼろの月に
 鐘が鳴ります 寒山寺

 最後の「鐘が鳴ります 寒山寺」のところにくると、先生がふーっと、ひと息つかれたような気がした。そのご様子を見ながら、私もかすかな安らぎを感じ、いろいろな想像をめぐらせていた。
 志摩先生の乙女のころを思い浮かべたり、行ったこともない蘇州の川の流れを心に描いてみたりした。けれども、先生がなぜこの曲がお好きなのか、だれにも尋ねることはしなかった。
 それは少女だった私が初めて「蘇州夜曲」を聴いたときの感動と、なぜ、乙姫様が浦島太郎と別れるときにこの唄を歌ったのか、だれにも訊かずに過ぎて来た気持ちと似ていた。
 きっと、これは自分で摘んだ感動の花束をいつまでも独りでいとおしんでいきたい願いだったのかもしれない。
 佐藤先生をお偲びするよすがに、私はこの曲が入っているCDを求めた。
 疲れたとき、「蘇州夜曲」をかけると、過去の時間がゆっくりと呼びもどされる。この孤独な時間、音の調べに酔いしれていると、恐ろしいほど冴えた光が見えてくるように希望が湧く。佐藤先生もどこかで聴いておられるかもしれない。
 そしてほんのひと時だが先生に近づいていかれるような気持ちになる。
 「鐘が鳴ります 寒山寺」この終章にくると、あの日の先生の微笑みが彷彿と思い出され目頭が熱くなるのである。
       (『線路沿いの家』より)