そこまで春が……
            石川のり子


 最近、「もう年ですから……」とか、「若くはないんです……」などと、ことさら口にするようになった。私より年下の友は、「そんなお年には見えませんよ」と、軽く否定されるが、年配の方には、「まだ、お年ではありません」と、はっきり否定される。寿命が延びた今の世、古希(七十歳)は微妙な年齢なのである。
 私自身は、現役で働いている兄や姉を見ているせいか、今日のように冷たい雨の降る日でも、平日なのにコタツでミカンを食べながらテレビドラマを見ている自分を、恥じる思いがある。
 しかし一方では、二人の娘を独立させ、定年まで働き、ようやく得た穏やかな暮らしなのだから、好きに暮らせばいいのよと、肯定する気持ちもある。寡婦(かふ)の一人暮らしは、心の中に葛藤はあっても、文句を言う人がいない気安さ、怠惰な生活をしている。
 気持ちが体にも影響を及ぼすのか、この二月の寒さは肌身に堪えた。ちょっとの油断で風邪をひき、口内炎ができて、痛くてものが食べられなくなった。まったくの一人なら外出を控え、冷蔵庫にあるもので暮らせるのだが、犬がいる。鳴きもせず愛くるしい目で催促されると、飼い主としては要求に応えざるをえない。帽子とマスクに黒のダウンジャケットを着こみ、犬仲間に出会っても見分けられないような格好で、散歩に出る。得意げに歩くトイプードルの後ろから背を丸めて続く。忠犬のモモは飼い主の容体が気がかりなのか、ときどき振り返り、最短のコースを一周すると、満足して帰宅してくれる。
     → 二枚目へ



二枚目
 中旬過ぎて、ようやく雛人形を飾った。長女の初節句に買ったものだから、四十数回出し入れしている。習慣になっているので、この季節になると、気が急く。せめて、お内裏さまとお雛さまだけでも出してあげたいと思う。 
 娘たちが幼かったころは、節分を過ぎると段飾りにして、たっぷりの桃の花、雛あられ、ひしがた餅などを飾った。一気に春が来たようで心が浮き立った。
 今は段は出さず、床の間に、お内裏さまとお雛さま、三人官女、七楽人とを並べている。娘たちがこっそり触ったり、抱っこしたりした人形は、白い顔がちょっと黒ずんでいるが、桐の箱から出して、顔を覆っている和紙をはずすと、気のせいか眠りから覚めたような表情になる。四十数年前と変わらない端正な姿かたちが、私の心を安らかにしてくれる。
 明るくなった和室で、「あかりをつけましょ ぼんぼりに……」と小声で口ずさみ、幼い娘たちが大声で歌っていた情景を思い浮かべる。すり切れるほど聞いた『うれしいひな祭り』のレコードは、他のレコードといっしょに処分してしまったが、物は処分しても、胸の奥にしまい込まれている思い出は、私の心を温めてくれる。

 十年ほど前だったろうか。橋田壽賀子氏の『ひとりが、いちばん!』という著書を読んだ。当時夫と二人暮らしだったが、すでに夫は健康を蝕まれていた。看護していた私は束縛されない自由に憧れた。
 著者は高名な脚本家で、仕事量も半端ではないだろうし、お仕事とはいえ、原稿用紙を埋める孤独な作業は、集中できる一人がいちばんだと言い切れる立場である。凡人の私は、夫を見送って、一人がいちばんいいとは言えなくなった。
 さりとて新しい家族を得たいとも思わないが、振り返って、今ならどんなに煩わしくとも無条件で夫のすべてを受け入れることができると思う。
 おそかれはやかれ、私もあの世に行く。我が家は母が九十七歳、叔母が百二歳と長寿、姉も兄も元気である。何事もなければ、私も平均寿命までは生きられるだろうか。
     → 三枚目へ



三枚目
 しかし、予測できないことが次々と起きている。二年前に甥の結婚式で訪れたグアムで、痛ましい事故が起きた。青年が暴れ、多くの怪我人と三人もの貴い人命を奪った。またエジプト南部のルクソールでは、気球の墜落事故で、六十代の日本人夫婦が二組亡くなった。海外旅行の予定はなくても、地震は頻繁に起こるし、交通事故だってある。

 雨は止むことなく、庭に降り注いでいる。窓ガラスは曇っているが雪にはならないようだ。
 ふるさと新潟は連日雪だるまのマークである。今朝も実家の姉に雪の状態を電話で尋ねたが、寒いけれど、さほど雪は積もっていないと、のんきに応えてくれた。
 六十数年も昔のことで、うろ覚えだけれど、積雪量の多い年があった。二階の窓から出入りして、歩く道もなく危険だというので、学校は休みになり、家族で雪に閉じ込められた暗い家の中で過ごした。来る日も来る日も大きなぼたん雪が落ちてくる空を見上げて、姉は、もう春にしてくださいと、この時ばかりは、神様にお祈りしたそうだ。スキーで出入りしたことや雪を載せた電線が近くにあってこわかったことなどを、姉は咳き込みながら話した。また母から離れず、不安がっていた私に、「春よ来い、早く来い、と歌っていれば二月は逃げだして、すぐ春になるよ」と、慰めてくれたという。家中を走り回って大声で歌っていたことを、かすかに記憶している。
 三月の声を聞けば、やがて雪は解け、希望に満ちた春はやって来た。

 昼近くになって少し明るくなってきたので、レースのカーテンを開けた。目の前の雨に濡れた梅の木が、つぼみを膨らませている。ボタンの木も先端につぼみをつけている。チューリップはつぼみを抱えた葉が五センチほども出ている。庭には確実に春のきざしが見られた。
 さあ、いつまでも縮こまっていないで、雨が止んだら、明るい若葉色のジャンパーを着て、買い物に行ってこよう。