失 文 症
            柏木 亜希


 昨年(平成二十三年)の十一月くらいより内臓をこわして寝つくことが多かった。意識が遠くなることもあった。ああいうときは不思議なもので、世界に溶けていくような、自分がしだいに薄まっていくようで気持ちが良かった。身動きできずに昏々と眠っていたような数か月が過ぎ、耳の持病もこの体力低下にともない悪化してめまいと気持ち悪さに翻弄された。気づくと、季節は桜の散るころとなっていた。
 雨が地面に降るのを見ていると、雨つぶと地面の着地点のあの痕跡が、すべて残ればよいのにと思ったことがあった。それが、今季の桜の花弁が空気のゆれに促され、清流のごとく無音で流れ散るさまを目に映しているうちに、これは雨の着地跡の現実化だと知った。薄紅の雨ひとつずつが着地し水に浮き、点描の薄衣を地や川に描いている。まさに桜の花びらは雨のひとつぶひとつぶに相対し、着地の痕跡が消えずに美しく目に見え続けることに、しばらく気持ちを落花の景に入り込ませていた。
 ……などと、今現在は自分の外にあるものをことばに置きかえて、原稿用紙に絵でも描くように塗り込めている。しかし、ここまでくるのはそれこそ半年くらいかかっている。
 この半年間、すっかり体力と気力を病気に奪われて、人との対話はおろか、文字の読み書きが信じられないほど困難だった。まず第一に、思考がまったく働かず、あらゆることが恐くなり、引きこもり生徒のようになっていた。
 昔、『私は貝になりたい』というドラマがあったそうだが、心象はそんな感じだった。すべての感覚、意識を自分の中の一点に閉じ込めてしまっていた。
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二枚目
 当然人との関わりもまともにできずにいたし、驚いたことに文章の読み書きができなくなっていた。体力の低下は、ここまで自分を変化させるのかと、自分でも本当に驚いた。だが、メールも手紙も、電話さえ、外国語のようで解読できないのだ。日本語がポルトガル語かスワヒリ語かというくらいに、自分の中の日本語翻訳機能が消失してしまっていた。
 文字を見せられても知っている漢字と平仮名であるのにもかかわらず、その意味を思い出すのが辛くて、どうにもならず、文字自体を見ていられない。そして、自分の考えや思いを文章に書こうにも、なぜか、心と文字、文章をつなげる回路、もしくは橋のようなものが完全に病気に押し流されてしまっていた。あの分断は、正直、脳腫瘍を疑ったほどだ。しかし、耳の神経は脳に近いこともあるし、神経がだいぶ傷んでいたことは確かかもしれない。今こうして文章を書いて、文字を書き出していることが信じられない。
 あのような神経的、文章化機能がロビンソンクルーソー状態に陥ると、もうどうにもならない、と、ひたすら分断された神経の接続を待つしかなかった。

 あの半年間の体験は、しかし多大なことを教えてくれた。
 その一、文章を組み立てることは、実は非常に高度な技術であることだ。これは思考の建築といってもいいだろう。病気の間、ハイハイもできずに手足をバタつかせていたような精神的赤ん坊状態の私には、文章を読み書きする人々は立って歩いてダンスをする大人のようにさえ見えた。まさに驚異である。
 その二、心理的麻痺(ひ)は外界との接触をシャットダウンさせる。
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三枚目
 あたりまえのことだが、これは、そういう状態になってみないとわからない。傷ついた動物が、ひたすらじっと身を隠すのと同じなのだろうか。
 私は自分がウニかシジミになったかと思うほど心も動けずにいたから、なんとなく今では水中のシジミにも親近感が湧かないでもない。人間とはシジミに比べ、多彩な可能性と感受性の受け皿を備えて生まれてきているのだ。仮にシジミを単体の計算機に例えるなら、人はパソコンになるだろうか。逆に動物は、ひとつの突出した機能を持ち、人は総合的才能のバランスを重視した生物だ。
 文章の読み書きは、子どものころからの教育の賜である。その能力を一定期間失った私は、おとなの記憶を持ったまま幼児にかえってしまったのと同じだった。感覚さえも、幼児にもどっていたといってもよいだろう。
 思考の文章化は自分を客観視できる年齢になってからできるものだ。客体の文章を主体の自分へ変換して読み解くという作業もそうである。私は病気によって文章というものの奥深さを改めて教えられた。もっとも快復してきたからいえることではあるが……。これから少しずつ、いろいろなご連絡のお返事にとりかかれたらと思う。こんな私を許していただけるなら、だが。
 この体験をして、私は文章とは、仏師の一刀のごとく一文ずつ大事に、さらに気持ちを込めて書くべきなのだと思いはじめている。文章の存在意義は、どんな心を込め宿らせるかに負うところが大きいのかもしれない。
 言霊の幸(さきわ)ふ国である日本。万葉集に編まれた時代の霊妙さが現代にも再誕生することを願い、実現させたいものだ。