刹那主義      黒瀬長生

  刹那(せつな)主義とは、過去や将来を考えず、ただこの瞬間を充実すれば足りるとする考え方である。
 この刹那という言葉は仏教用語で、極めて短い一瞬のことである。
 お釈迦様は、人間の一生は刹那、刹那の積み重ねで、この刹那を最大限大事に生きることだと教えておられる。
 平成二十年(二〇〇八)八月二十日正午過ぎ、従兄(いとこ)が亡くなったとの電話連絡があった。
 彼は、三年前に大腸がんの手術を受け療養中であったが、まさか亡くなるとは思っていなかったので信じられなかった。
 お通夜と葬儀は慌ただしく終わった。その後、一段落して初七日の法要となり、やっと彼の死を事実として受け止めることができるようになった。
 祭壇の遺影はかすかに微笑(ほほえ)んでいた。彼と私は同年代で、子どもの頃は縁台将棋やセミ取り、コマ回しなどをして遊んだ仲である。
 彼は高校を卒業すると国鉄(現JR)に就職し、最後は予讃(よさん)線の新居浜(にいはま)駅長で定年退職した。彼が駅長として特急電車の発車の指示をしていた制服、制帽姿は、凛々(りり)しかった。人柄は穏やかで、笑顔を絶やさず、誰にも物静かに語りかけていた。また、身だしなみは、いつもおしゃれであった。
 それにしても、享年六十五は少し早すぎる別れで、悔やんでも悔やみきれないのである。
 サラリーマンは定年退職すると数年で亡くなる方が多い。私の勤務する職場でも六十代半ばで他界された先輩方が結構見受けられる。
 定年退職は、大きな区切りで安堵(あんど)感がそうさせるのであろうか。退職で精神的に緩みがくるのだろうか。生活環境の変化で体調の異変が生じるのだろうか。
 サラリーマンは、働いている間は緊張の連続である。毎日、職場に出勤するだけでも大変なことであるが、そのことによって、NK細胞(ナチュラルキラー細胞=がんを攻撃する)が活躍し、健康を保ってくれているのかもしれない。
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二枚目
 それに比して、定年のない農業や漁業、自営業者などは、私の知る限り、この世代で他界した方はほとんどいない。
 私が、もし彼と同じ年齢で死を迎えるのならば、あと二年間の余命である。しかし、その二年間も、本当に生きられる保証はどこにもない。今夜眠ってしまえば、明日の朝、目が覚めない異常事態が起こるかもしれないのである。
 この現実にどう対峙(たいじ)していくかである。明日のことよりも、現時点を充実させて楽しむのがいいのかもしれない。過去の出来事を振り返り、ああでもない、こうでもないと思い悩んだり熟考したりする余裕はない。ましてや一か月先の心配や、一年先、二年先のことで取り越し苦労をするのは愚の骨頂(こっちょう)である。 
 こんなことを考えていると、刹那主義もなるほどだ、とうなずけるのである。私は、日々の生活をそこまで徹底することは無理としても、その考え方に重きを置いた方が、後悔が少ない人生になるような気がする。刹那、刹那を充実させれば、総体的に充実した人生を送ったことになるのだから……。
 一生涯は日々の積み重ねであり、一日は刹那の積み重ねである。私が八十歳まで生き長らえるとして六千日、時間にすると十五万時間である。長いのか短いのかなんとも判断できないが、今まで生きてきた三分の一ほどの時間しかないことは明らかである。
 ところが、私は自分の寿命を過信し、まだ当分は死なないだろうと呑気(のんき)に構えているのである。今後は、毎日を大切に過ごし、刹那、刹那を自分らしく充実させて、その時々に出会った方々に、心を込めて接するべきだ、と反省させられた。
 知人の死に巡り合うと、いろいろなことを考えさせられる。亡くなった方が身近であったり同年代であれば、なおさらである。
 しかし、これも時が経つと、その思いは薄らいでしまい、また平凡で無気力な日常に戻ってしまうのだから困ったものである。           (『随筆 次の楽しみ』より)